「平成だ、令和だって、もうわからないわよ」
いつも言う。
義母との会話には、「平成18年って何年前?」などのセリフが、よく登場する。
古い通帳を眺めては、それ。
古い書類を眺めては、それ。
なにか手続きが必要で調べている、ではない。
なんでわざわざ、そんなことに頭を使ってるの?
過去の栄華を懐かしんで暮らすのは、高齢者あるあるなのだろうか。
「平成何年が西暦何年になるのか、すんなり出てこなくても、生きていける」
「そう。それでね、私は昭和の人間なんだけど、19〇×年生まれ、って覚えておけばいいんだって」
「ふーん」
「でね、お父さんが、昭和〇年生まれなんだけど、西暦はわからなくて、
今80歳なのか81歳なのか、わからないのよ…」
「う~ん、80でも81でも、どっちでもよくない?日々の暮らしに大した影響はないよ」
「だって、書類書くときに、困るじゃない?」
「書類書くときに、調べれば、いいだけでしょ?
私なんかね、子ども4人の学年はさすがにわかるけど、クラスは覚える気ないよ?
だって、脳みそがこれしかないのに、そんなこと覚えておく余裕ないもん」
「えー、嫁ちゃんは、まだ若いのに、何言ってんの?」
「いやいや、他にもっと覚えておかないといけないことがあるでしょ?そっちで手一杯ですよ」
「そーおー」
「そうだよ、書類書くときは、本人たちに『何組?』って聞けばいいんだから、最初から、覚えようとしてない」
「へえー」
「だってさ、あれもこれも覚えておかなきゃって、無理でしょ?それで、わからなくて、不安になって、辛いでしょ?」
「うん、辛い」
「だったら、80でも81でも、どっちでもいいか~、ぐらいに、思って暮らせばいいのに」
「だってね、今までそうやって、何でも把握して暮らしてきたのよ」
「それで、今、把握できなくて、困ってて、楽しく暮らせてる?」
「全然、楽しくない」
「だよねー」
「でもねえ、わかっておきたいのよ」
「そうなんだね、私は楽に生きるのが目標だけど、義母はわかっておきたいのが生きる目標なんだね」
義母は、何でも把握できる自分に、価値を見出す。
この先もずっと、この価値観を手放すことは出来ないだろう。
とても生きにくそう~と前から思っているが、まあ、余計なお世話だよね。
私は柔軟なアタマで、年老いても、楽に楽しく生きるのを目標にしたい。
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