おばあちゃん「平成だ、令和だって、もうわからないわよ」

 

いつも言う。

 

義母との会話には、「平成18年って何年前?」などのセリフが、よく登場する。

古い通帳を眺めては、それ。

古い書類を眺めては、それ。

 

なにか手続きが必要で調べている、ではない。

なんでわざわざ、そんなことに頭を使ってるの?

過去の栄華を懐かしんで暮らすのは、高齢者あるあるなのだろうか。

 

お母さん「平成何年が西暦何年になるのか、すんなり出てこなくても、生きていける」

 

おばあちゃん「そう。それでね、私は昭和の人間なんだけど、19〇×年生まれ、って覚えておけばいいんだって」

 

お母さん「ふーん」

 

おばあちゃん「でね、お父さんが、昭和〇年生まれなんだけど、西暦はわからなくて、

今80歳なのか81歳なのか、わからないのよ…」

 

お母さん「う~ん、80でも81でも、どっちでもよくない?日々の暮らしに大した影響はないよ」

 

おばあちゃん「だって、書類書くときに、困るじゃない?」

 

お母さん「書類書くときに、調べれば、いいだけでしょ?

私なんかね、子ども4人の学年はさすがにわかるけど、クラスは覚える気ないよ?

だって、脳みそがこれしかないのに、そんなこと覚えておく余裕ないもん」

 

おばあちゃん「えー、嫁ちゃんは、まだ若いのに、何言ってんの?」

 

お母さん「いやいや、他にもっと覚えておかないといけないことがあるでしょ?そっちで手一杯ですよ」

 

おばあちゃん「そーおー」

 

お母さん「そうだよ、書類書くときは、本人たちに『何組?』って聞けばいいんだから、最初から、覚えようとしてない」

 

おばあちゃん「へえー」

 

お母さん「だってさ、あれもこれも覚えておかなきゃって、無理でしょ?それで、わからなくて、不安になって、辛いでしょ?」

 

おばあちゃんうん、辛い

 

お母さん「だったら、80でも81でも、どっちでもいいか~、ぐらいに、思って暮らせばいいのに」

 

おばあちゃんだってね、今までそうやって、何でも把握して暮らしてきたのよ」

 

お母さん「それで、今、把握できなくて、困ってて、楽しく暮らせてる?」

 

おばあちゃん全然、楽しくない

 

お母さん「だよねー」

 

おばあちゃんでもねえ、わかっておきたいのよ」

 

お母さん「そうなんだね、私は楽に生きるのが目標だけど、義母はわかっておきたいのが生きる目標なんだね」

 

 

義母は、何でも把握できる自分に、価値を見出す。

この先もずっと、この価値観を手放すことは出来ないだろう。

 

とても生きにくそう~と前から思っているが、まあ、余計なお世話だよね。

 

私は柔軟なアタマで、年老いても、楽に楽しく生きるのを目標にしたい。