おばあちゃん「生協の配達員さんは、65歳なんですって。

私も10年前は、あのぐらい動けていたよね。はあ~。10年も経つと、こんなになっちゃうの?

嫁ちゃんは、今、いくつだっけ」

 

お母さん「40代後半デス」(ブログ内でカミングアウトしちゃったじゃないあせる

 

おばあちゃん「じゃあ、一番動ける時代ね」

 

お母さん「いやー、ゴハン作りとか、しないで済むならいいのにと思うよ。よく、昼寝してるし」

 

おばあちゃん「そんなぁ。

私は、仕事をしてたあの頃が、一番、キラキラして、動けたわ。

家のこともして、仕事も行って、充実してたキラキラおねがい

もっと仕事してたかったのに、自分(義父のこと)が退職したら、やめろって、絶対譲ってくれなくて。

私だって、65ぐらいまで、働こうと思えば、働けたのにな~ショボーン

 

おばあちゃん「もうダメだわ。もう70後半でこんなになるなんてあせる

 

 

義母の一番キラキラしていた時代は、40~50代、仕事をしていたとき。

 

あの亭主関白な義父が、よく義母が仕事をするのを許したな、と思うのですが、

たぶん、家のことをちゃんとやるなら、と言われてたはず。

それに、義父も、バリバリな時代で、帰宅もすごく遅かったと聞くので、

大丈夫だったんだろう。

 

共依存な夫婦で、義父の世話が生きがい、みたいなことを言うけれど、

結局、家から出て、外で仕事をして、成果を上げて、

一個人として認められていた上差しのが、

一番キラキラした時代キラキラだったのね。

 

 

それが、義父が、自分が退職して家にいることになったら、

義母にも、仕事を辞めるように、言った。

 

義母は、まだ辞めたくなかった。

でも、義父には逆らえなかった…いまだに、納得いってないんだね。

引き際を自分で決められなかったのは、かわいそうだハートブレイク

 

 

義母の星一番輝いていた時代ブーケ2の話でした。

 

何か思い出話をして、楽しく会話しよう、と思ったら、ココね。

万が一、徘徊や帰宅願望が出たら、戻りたいのは、ココね。

 

デイは仕事だといったら、行ってくれるタイプかな?

 

覚えておきましょう上差し