続きです。

 

定年後、朝から晩まで、趣味の庭仕事、

昼休憩には、録画済みの美術・クラシック音楽番組を鑑賞し、

夜は、書斎で、読書や英語の勉強、

たまに、義母と二人で旅行へ。

大会社の元重役で、超・亭主関白おじいちゃん

 

脳梗塞で倒れた時は、まだ70歳だった。

 

 

麻痺が残った義父を、一人にすることは出来なくなった。

24時間、義母が一緒だった。

 

発語は聞き取りづらいところがあったのに、

義母の名前を呼ぶ「○○子~」だけは、ハッキリしていた。

 

年に数回、義母だって、お友達とランチぐらい行きたい。

その留守番が、嫁の唯一の手伝いだったかも。

 

義父が、「○○子は、どこに行ったんだ」

「○○子は何をやってるんだ」「○○子はいつ帰ってくるんだ」

と、数分おきに聞いてくるので、それ答えるだけの、留守番。

 

 

義母は、懸命に介護してきたと思う。

 

義父が倒れる前から、義母は言っていた。

おばあちゃん「お父さんより先に倒れるわけには、いかないわ。

こんな面倒な人の世話を、誰かに押し付けるなんて、迷惑かけられない」

 

共依存、という言葉を知って、まさに義父母のことだと思った。

 

 

3年たって、やっとデイケアに通い始める。

義母の方が、行かせるのに抵抗し、一筋縄ではいかなかった。

 

 

 

義父は、最初は、物事は理解できていたが、

徐々に、脳血管性認知症が進行してきた。

 

今は、何をどこまで、理解できているのでしょう。

 

現在、要介護2。デイケアを週3回。

リハパンを履いていますが、トイレ、風呂、食事と、自分で行っています。

 

それでも、不穏もなく、ルーティンを守った日々の暮らし。

倒れてから、10年。この暮らしが出来ているのは、優秀です。

 

義母は、話が通じないことに、声を荒げています。

わからないんだから、そんなこと言っても無理だって…

それがわからない、義母。

 

老々介護は、どこまで続けられるだろう。

 

義父にとっても、家族にとっても、

この暮らしが一日でも長く、続くことを願っています。