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連載「75歳の義母が車を手放すまでの日々」
今回の作戦は、カギを預かる提案ではなくて、宣言です。
嫁が、有無を言わさず、預かっています。(だから、隠したに近い)
その翌日、心療内科の受診日。
「調子良さそうだから、運転したらどお?」
「あの病院までは道がわからないから、しません」
診察室にて
「ここへ来て急激に調子が悪くなった。というのはやっと車が戻ってきたのに、
第一声がカギは私がとっておくから、運転ダメだって。寒いからお布団に行ってるだけなの。
それだけのことなのに、具合悪くて寝てるんだって言われるの」
「カギは預かって、乗るたびに調子を確認して渡して、乗ってもらいたいんです」
「一回一回確認して、いいんじゃないの。あぁ、プライドが許さないのね」
「行くところは決まってるの、遠くないの。40年間無事故無違反、
自分でわかるから自分で決めたいっていうのに、5月の更新も通ってますよね」
「基本的にはOKなのであって、躁と鬱のときはいつも見ている人の判断でいいですよ」
「でも、カギ取られちゃったら運転出来ないじゃない」
「いや、取られたんじゃないですよ、カギ貸してって言えばいい」
「貸しませんって言うの」
「いやいや、貸しませんって言ってないでしょ。いつも見てる人が
『今日は頭まわってないね』『今日は元気だね』って言うのがいいでしょ」
「寒くなってきて、庭もできないし、新聞も字が小さくてよめないし
だんだん落ち込んできちゃって、やることもないし…」
「やっぱり、だんだん鬱期に入ってきたんだね」
「だめです、もう。でも、乗るなって言われると…」
「乗るな、になってないでしょ、現実」
「乗るな、になってるんですよ
だってカギ取っていったんですよ、
ちょっとそこまで、って思っても…」
「だから、話に来てほしいんだよ
」
「知らない間にふらっといかれちゃっても困るからね、
そこは少し妥協してください」
どーやっても、『ダメだって、カギとられた』になる。
なぜ、正しく伝わらないんだろう・・・
(この時点で、認知症の診断はでていない。今ならわかる、理解力が落ちている)
【プライド、被害妄想、人の話を聞く気がない、思い込みが激しい、頑固・・・】?