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連載『75歳の義母が車を手放すまで』
『嫁がカギを預かり、乗るたびに体調を見て渡すシステム』は理解してもらえず、
嫁がカギを奪った!と怒り心頭の義母は、
一日に何度も二階に上がってきては、嫁に訴えた。
恨まれるのを覚悟でやったとはいえ...きつかった
嫁姑で、こんなに口論したことは、これまでなかった。
「私の車のカギよ、返して
。どうしてあなたに管理されなきゃいけないの?どうにも納得いかない。
取られたせいで、ますます調子悪くなって、ひどくなってきてる。
何をやっていても、ムカムカしてきて、そのせいでまた鬱になる。
カギ取られたから、もう怖くなって運転できないかも。
車屋さんからカギを取っていったやり方がきたない。
寝てるのは寒いから節約のために布団にいるだけよ、
調子悪いと思わないで」
「せっかく車が帰ってきて、いきなりカギは預かります、って確かに、気分悪いよね。
でも、どうか一歩、歩み寄ってもらえませんか?」
これを一日に何度も、繰り返し聞かされて、ついには
「乗るときに、相談するから、カギは引き出しに入れるのではダメなの?」
譲歩案の交渉キター
本当に勝手に乗って行かない
嫁も、ここまでくると、思うところあり…
『義母はとにかくカギが取られたことに怒っており、
相談して乗る部分、つまりその先の話は聞いていないのではないか?』
(まだ認知症の診断は受けていなかった。今ならわかる、複雑すぎて理解できないのだ)
悩んだ結果、その譲歩案を受け入れることにした。
この作戦の目的は、
『義母の体調を嫁が見極めて、これからも運転し続けること』だったのに。
ダメだった・・・というより、内容を理解してもらえなかった。
12/20
「乗るときには嫁に相談してください」とメモを付け、
車のカギは定位置の引き出しに戻した。
それから、義母は「○○に行ってくるね」と、嫁に声を掛けてくれていた。
それは、相談って言わないヨ…OK出すつもりだったから、いいけど。
実際、それから運転したのは、歩いて5分の場所に3回。
なにくそパワーは長続きせず・・・
12/26
義姉に電話。
「もう生きていたくない、しんどいけど、義父を置いてはいけない」
また8月と同じ、本格的なうつ期に突入。