請求書
2025年7月8日
〒610‐0120
京都府城陽000000000号
ニコニコアカウント名「50歳無職まー」
ニコニコID 123476201(Re)
0000000殿
〒0000000
00000000000000
ニコニコアカウント名「ゲスト」
ニコニコID 135584949(帰ってきた)
らまいんどらたか
前略 私は貴殿に対し、以下の貴殿による私に対する名誉毀損行為等にもとづく慰謝料請求をするため、本書を呈上いたします。
貴殿は2025年年6月から7月にかけて、ハンドルネーム「50歳無職まー」を使い、インターネットサイト「ニコニコ生放送」内での配信において私を誹謗中傷および強要脅迫する言動を繰り返されました。
たとえば2025年年6月14日には2021年にT氏と私の間で交わされた私信を公然と暴露し、さらにT氏の事実無根の妄想すなわち私がT氏へ肉体関係を迫ったなどの誹謗中傷を一方的に公然と暴露し、同年6月15日には、T氏の私への事実無根の誹謗中傷 即ち私がT氏のアマゾンアカウントへ不正ログインし「自殺用ロープを欲しいものリストに入れられた」「さらに自殺用ロープや性的商品を送ってきた」などT氏の肉声をネット上に公然と公開されました。その後も私がT氏へ恋愛感情を持っていてT氏に振られた腹いせにT氏へ嫌がらせ行為を行っている ネット上で私がT氏に成りすまして違法行為を行っている 等々数数えきれない事実無根の誹謗中傷を繰り返されました。私がこれ以上の誹謗中傷をやめるよう懇願いたしましても「これからもどんどんお前の悪さ晒してやるからな」と私を威迫脅迫なさりました。さらには私の陰部の写真を「俺に送ってこい」 私の全裸写真を「俺に送れ」と性的強要を繰り返されました。
ネットサイトは誰でも閲覧できるので上記配信は「公然と」行われたと言えますし、配信内容は事実の摘示をして私の社会的評価を下げるものといえるので、貴殿の行為は「名誉毀損」に該当します。また性的強要行為は刑法犯をも構成する重大な人格権侵害行為にあたります。
貴殿による名誉毀損および人格権侵害行為により私は回復不能の甚大なるな精神的苦痛を被っており、発生した損害額は金500万円を下りません。
そこで私は本書をもって貴殿に対し、不法行為にもとづく損害賠償請求として金500万円の支払を求めるべきところ、貴殿は精神疾患に罹患していると自称されており仮に精神疾患が真実であるなら一部情状を酌量すべき事情に当たる可能性があるため、請求額500万円から金200万円を減じて、金300万円の支払いを求めます。本文書到着後2週間以内(2025年7月22日まで)に下記銀行口座へ入金する方法にて上記慰謝料をお支払い下さい。同時に謝罪広告の掲示も求めますので、本書到着後1週間以内に上記のサイトおよび貴殿のXにおいて私への謝罪を行い、上記の誹謗中傷が真実の事実に反することを明確にしていただきたく、また性的強要行為についても謝罪を求めます。
本書に対しご意見がある場合、上記期間内にご連絡いただけますようお願いいたします。
なお上記期間内にお支払いもご連絡もいただけない場合には、民事訴訟や刑事告訴などのより厳正な手段を検討せざるを得ませんが、私は貴殿と争うことは希望いたしませんので、本請求の誠実な履行を求めます。
草々
記
北海道拓殖銀行 やませ支店 普通預金
口座番号 0000000
口座名義人 ラマインドラタカ
なお 慰藉料の支払いが確認されたのち、本件支払いが慰藉料であることを明確にする必要もございますので、貴殿宛に領収証を送付いたします
付言いたしますが本請求文書には住所氏名口座番号など非常に重大な個人情報が含まれておりますので、第三者への開示行為は一切禁じます。貴殿が個人情報を漏洩された場合にはさらにプライバシー権侵害の不法行為として慰藉料金100万円を追加請求いたします
ただひとりごと
今日もダメかなってあきらめかけてたけれど、
奇跡的に出かけることができて
8月以来行くことのできていなかった病院へ
3ヶ月ぶりに行くことが出来たわけですが
まず外へ出かけると
何十年とかけて
国や、地方公共団体や、民間の皆様が
コツコツとバリアフリー化を進めてきて下さっていること
そのことのありがたみを身をもって感じるわけです
そういえば
ずっとお世話になている教授先生が地方から会いに来て下さった
そのときに
と申しましても 我が町も大概な地方田舎町なのではありますが
それはさておき
教授先生が驚いておられたのは
街を歩いていると
普通に車いすの方や白状をついておられる方、独り言を言っている方、
そういった方々が
普通に街にいて、
そしてご本人も周りの人も
それを当り前のこととして特に気にしておられる風もない
それがごく日常であるらしいことに
先生はちょっとショックを受けたと
先生の暮らしておられる街、
つまり私が若い頃に住んでいた街でもあるのですが
名ばかりとはいえ一応は人口100万は超える政令市なのですが
その街にも同じ確率でハンディのある方々は暮らしておられるはず
おられるはずなのに
その姿を実際に目にする機会は殆どない
では、彼、彼女達は
姿は見えないけれども確実にその街で生きておられる彼、彼女たちは
どこにいてどこですごしているのか
と考えると
ショックに感じた、と
そういうことを 先生は仰っていたなと
ちょっと思い出したのです
そのことをちょっと思いだしたには
少し違った角度から思うことがあるからでもあって
街に立つ私は
周りから見れば完全に異形の人で
振る舞いも至って奇異で
目まぐるしく 忙しくテキパキ動いておられる方々とは
まるっきり別の
時間の流れから何から
まるっきり異なる異形の人で
異邦人で
どのように表現すればいいのか分らないけれど
端的に感じるのは
刺さるように胸に起こるのは
あ、あちら側には二度と戻れないんだ
あちらの世界には二度と戻れない存在なのだと
そんな風な落ち込みを
外へ出るたびに体験する
あれが出来ないこれも出来ない、あれも障壁これも障壁、でもあれもしなきゃこれもしなきゃ、と焦りまくっているのが私の日常。正確には、まだ頭の元気だったころはそういう日常になる時間があった、今はあれが何なのかこれが何なのかもはっきりと見えないことがとても苦しいのだけれど、この際は一旦無視する、ここではなぜ日常的に失敗をやらかしてしまうのか、を考えたいので。
常に目の前の事々に一生懸命にならざるを得ないために、なぜそのような事態となるのか、一生懸命にしたことは面白いように裏目に出てしまう、それがなぜなのか、については、感覚としてはずっと分かっていながらも言葉としては理解できていない所があった。
原因ならばいくつも分かっている。神経症のレベルで言えば森田療法で言われる所の自己中心性やとらわれなどもそうだろう。精神病も気質や癖とは無縁に突然発病するわけでは(多くの場合は)ないので、耳を傾けて損はない。自己中心性に注目するとき、一つ指摘できることとして、君は自己中心的だ、君が自己中心的だから悪いのだ、言われると、そんなことはないと反論したくなる気持ちも起こるかもしれない、ということ。何故かというと、本人は一生懸命に人の事を考えているつもりでいるから。寧ろ人の事しか考えていないつもりでいると、いっても良いくらいなのではないか。自己中心性に気付くかどうかは、神経症に限らず精神病においても、治療の進展に関わるポイントではないかと、今のところは感じている。ここをヒントに掘り下げていくと、根本にある本質としてあるポイントが見えてくる。
環境や状況条件などが変わっても、相手が誰であるかが変わっても、場所や時間などが変わっても、社会の情勢が変わっても、いついかなる時でもどこにいたってどこに行ったとしても、確実に同じように適応不全をおこしトラブルが起こるのは、本人に原因がある。周りがどうであっても必ずおかしなことになるからには、周りが変わっても本人は全く変わらない所の、何か本質があるはずだ。ふと周りから解放されたときに考えてみると、ピンとくる事がある。私の場合は、一生懸命にしているつもりなのだが、相手は顔をしかめていたりする、その表情は印象に残るから、ずっと謎として残っていたりする。この謎と、自己中心性と言う言葉とを結び付けた時に、ピンときた。
一言で言うと、自分の都合ばっかり考えて、人のことを思いやる気持ちが一切ない事。
私の場合は、これが本質といってよい、と、今の時点では考えている。ここから周囲、社会との軋轢、摩擦が生まれ、そこから生じるひずみが蓄積していった先に、発病はあったように思う。そこには生物学的な資質なども勿論かかわってくるだろうけれども、本質の一つであることは間違いない。
いやそんなことはない、と、最初は思うけれども、しかし、人のことは頭で考えているだけであって、気持で思いやっているのではなかったと、最後には気付いた。相手の気持ちや立場などに対して全くの無頓着で無関心で読み取る力がない。分からないもの見えないものを読み取ろうとしても読み取れない。だから頭で考える。頭で考えて、こうすれば相手を尊重したことになるだろうと、思うのだけども、それはどうしても頭で考えたことだから、相手の気持ちからはかけ離れてしまっている。結局トラブルになったりする。
一旦気付いてしまえば、これまでの経験、目の前がくらくらするくらいに途方もない数を積み重ねてきた、手痛い失敗の数々ともすんなりと符合してしまうから、すごく納得がいく、腑に落ちる。大事なのはここから先で、そのような本質を持ってしまった人間として、では今後いかに振る舞えばよいのか、という点。
相手を思いやれていないなら、思いやればいいではないかと、なってしまいそうだが、しかし、今さら思いやる力は育てようがない。思いやろうとするのは無駄な努力だと思う。思いやろうとしてずっと、これまで失敗してきたのだから。思いやれないことを、どうしようにも動かせない本質として、受け入れなければならない。
そして、思いやらずとも履践可能な、社会の慣習だとかルールがあるとしたら、それにただ従えば良い。何も考えずに従えばいい。
例えば親戚やお付き合いのある筋に冠婚葬祭があれば、何も考えずにとりあえず出席する、そして志を慣習に従って差し出せばいい。ここで頭を働かせて独自の行いをすることは有害で無益だ。
また例えば、仕事を引き受ける義務のない人にある仕事をお願いした場合、その仕事を引き受けて下さった時又は仕事をしていただいた後に、慣習に従って一定の金券なり菓子折りなりを返礼としてお渡しすればよい。こういうとき一生懸命になっていると、誠意を見せようとするあまりに、例えば直接的にストレートにお金を、しかも過分に渡そうと考えてしまいがちだ、そんなことをしたら相手のプライドを傷つけるということに気付く力がないから。お前は一体何さまだ、お前は相手を召し使える社長にでもなったつもりかと、後々になってまずかったと気付いたとしても遅い。
ではそのような慣習、ルールがない場合または見つけられない(知らない)場合はどうするか、その時はじっとしている方が良い。こうなんじゃないかと無い知恵を絞ってみても、絶対に良い結果は(たまたま偶然に功を奏することはあったとしても)ないと思わねばならぬ。避けなければならないのは、分からないけども何かせねば、と考えてしまうこと。正しくは、分からないから何もしない、なのだ。合理的に考える力を失っていることが症状だ、そんな人間が考えて何かを行えば、とんでもなく非常識なことをやらかすほかないのだから。
慣習、ルールを作っていくことも大事だ。日常的に行わねばならない行動ごとに、この行動はこういう時間にこういう手順でこういう具合に行うと、きっかりと決め込んでしまう。決め込んだとおりに履践することだけに集中する。これだけで大きなやらかしは、ある程度防ぐことは出来る。
本質の部分で人の気持ちからはかけ離れてしまっている。合理的に考え動く能力もない。そこをしっかりと踏まえて事に当たることが肝要ではないかと、今は思うのだ。
ここまでのことは、何度も何度も自分に言い聞かせるのだが、しかし思うようにはなかなか行かず、未だに同じ失敗を繰り返し続けている。今年のお正月には、一つ一つの事を慌てず焦らずゆっくり慎重に丁寧にやり遂げていくことを目標にする、と親兄弟には書き送っているのに、まだ全然できていない。道まだ歩き出したばかりだと思う。
分裂病とは一見関係ないとように感じるけども、実は大事なポイントだと、実感としてそう思っている。
これだけ静かな年度末は一体いつ以来だろう、就職して3年目4年目位の、下っ端でのびのびと、生活の心配からも解放されて精神的にも伸び伸びしていた一瞬それ以来のように見える。
静かではあるけども、法律関係の変動はかなり大きい。身分の変動と言うべきか、長年意地になってしがみついてきた身分を、諦めなければならない。その手続きはおおかた終わっているために、表面上は至って静かで、外観上も動きなく、静謐の趣。しかし身分の変動がある以上静かでばかりいるわけでなく、一見穏やかそうでありながら内心波しぶき立つ様は、動きのなかったがために動揺の激しかった一時期、学校を出る間際、卒業式も欠席して、この先どうすればいいのだろうと頭を抱えていた時期に重なる。
年度改まって4月からの事は全く決まらず。いくつかの所を案内して戴いたり、相談員の方や人事の方とお話をする機会はいただいのものの、活動の場に出るには重症すぎるために現場として組織として対応できない、との理由で、いずれも受け入れには至らず。外での活動は難しい、というよりも自分の病態では箸にも棒にもかからないことは昨年の段階で指摘されており自覚もしていたから、そのこと自体は当然のこととして特段の感慨はない。何も決まらずに新年度を迎える覚悟を固める機会として受け止めようと思う。覚悟をしたうえでようやくと、昨年からずっと勧められていた方向へぐいと舵を切る準備ができた、そういう大事な手続きであったと、出来れば今年の夏までにはそう受け止められるようになっていたいと願っている。
そういう宙ぶらりんの時期なので、あまり表だって人様にお会いするのは気が引ける、まず間もなく期限の切れる肩書を語るわけにもいかないから、自分は何者かを人様に説明することからして難儀なものだから、気が引ける。しかし宙ぶらりんだから背負うものもなく率直な物語りすることの出来るときでもある。なので、3月の講話は断らずに受けた。
正式に発病して23年、患者会活動に参加してからも21年目となり、自分もベテランの域に入っている。これまではとても細かなテクニカルの話をすることが多く、テクニカルで無い一般的で有難いお話は専門家にお任せすることだから、当事者にしか出来ない細かなテクニカルをお話ししてきたのだけども、今年の講話では、この機会にこれまで省いてきた身上を明ら様にすることにしたいと考えて、事務の方とお話を進めているところ。何のことは無い先輩方の真似をしているだけの事なのだけれど。先輩方の披露して下さる「履歴書」は、私には何よりも生きたモデルとして大きな地図を示してくれているから、ちょっとだけでもその真似に近づきたいと願ってる。
頭の整理に、少しだけ流れを一瞥。
▢生育 社会性共感性の欠落、言語力の欠落等、今で言う緘黙症、今で言う発達障害。今さら診断を受けた所で治療できるものでもないので、医師も検査を受けたければ受けてもいい程度。今のところ検査を受ける予定もない。これを診察項目に加えると収拾がつかないので今のところ傍論以外では触れないでいる
▢10代前半 対人恐怖症状など神経症諸症状の深刻化
▢10代中盤 陽性症状の苛烈を極める。幻視はほぼ無し。幻聴の激しさ。死ね死ね大集団の襲撃 冷たい視線 「歪んだ笑い顔」集団。
実存的無価値観・反価値感。etc
芸術点の見事に高すぎる股裂き状態(生への執着の強さ、生に値しない反価値の確信・生を返上する義務感)
一度目に確実な方法で、しかしほんの僅かな偶然で生かされる。ここで精神科に繋がる。
二度目には確実性に劣る方法で、数日の入院のみで終わる。
よく言われる、一度目は躊躇いがあり不確実な方法、二度目には確実な方法で完遂に至る、とは異なる経過。
⇒昏迷状態にありながら、生き残ったことで一つの生まれかわり体験
問題の先送り
▢18歳~ 高校の卒業と大学入学、先送りした問題とも再開・直面
生きる以上は社会の轍から外れてはいけないとの強迫感もあり外観上は停滞なく順調にルートを進んでいる、しかし内実を伴っていない。
大学卒業、修士課程、一見順調に見えるから親族も治ったのではないかと錯覚。精神科医、学相の先生、患者集会の諸先輩方の支え、同病の仲間との出会い、などのお蔭でギリギリのところを生かされる。
▢浪人から就職へ 浪人と標榜していたが実際には就労不能を自覚する期間。障害を受け入れる手前まで。障害基礎年金の申請寸前までいくが親族の反対を受け中止(当時の診断書が残っているが、現在とは基礎疾患のリストがだいぶ異なる。三大精神病、薬物アルコール中毒、人格障害、知的障害など。現在のような、例えば“広汎性”といった曖昧さを許すリストにはなっていない)
⇒就労。まさかの展開。こんな奇跡はあるものか、諦めなくてよかったとの思い大。
▢就労状態 何一つ治ったわけではないので、治らずでも付き合いながら仕事をこなしていく技術を身に付けて行く。生活が安定したことに安堵、一時期伸び伸びとする。
~~→徐々にごまかしがきかなくなる。身体症状の悪化。二次的三次的な精神症状の発現。薬物依存状態へ。
▢健康状態の悪化 健康への無頓着、緩やかな自殺行為でもある。
次第に身体各所に不具合が現れる。しかし治療を受けない。
→要精密検査。2018年悪性の結果。翌年入院・オペ・等々、身体面でも正式に病人。別部位でもまた。
▢勤務先から事実上の戦力外 集団的組織的無視活動。これを受けて何人も辞めていくのを見てきて、いよいよ自分の番。悪あがきを見せる。意地になって勤務を続ける。やがて消化器系に異常、出血。
長年困ってきた物忘れが格段にひどくなる。思考言動の支離滅裂さにストップが効かない。こまごまと日常的にミスの発生。そして戦力外へ。法的な責任を負うようなどでかい失敗を犯す前に最後通牒を出して下さって、結果的にはよかった。
▢保健福祉など受給面 2014年保健福祉手帳2級(現在1級) 何のために申請をしたのか、一般就労はいよいよ厳しいと感じ始めていたため次の手を打つ準備として。結局就労面では使用せず。現在福祉サービスの利用に必須、申請して置いたことは適切だったのでは。
他の受給面は基礎が2級、これは最後の最期になって昨年に申請、審査期間は一か月と1週間、誰が見ても一見して明らかに該当するケース。疑いを容れないケースなので、結果待ちまで予定が立ちにくい、という期間のなかったことは有難かった。
▢現在 一旦表ルートから外れることで時間的に余裕、ゆっくりと振り返る時間。病識を新たにする。生活すること仕事をこなすことで必死であったために気付かなかったことに、どんどんと気付いてしまう時期。これまでの無茶を知る。身の丈に合った生き方を模索。身の丈に合った活動を医師とケースワーカーさんから提示される。それに向けて徐々に舵を切っている段階。
話すとあっという間なので、まだまだ肉付けをしていっているところ。患者会仲間と久しぶりにお会いできる楽しみ、というか不安、恐怖と、これまで隠してきた恥の部分も話さねばならない苦痛と。怖さ、苦痛がある分だけ、そのあとにはたとえがたい清々しさが待っていると、期待して。
岡村さんにおめでとうって、ありがとうって伝えるすべはないのだけれど、大きな山あり谷あり乗り越え還暦を迎えられたことに、その気力、意思力に、平に敬意、そして感謝、そしてそしていつまでもって祈ってる。ずっと孝子さんの背中を追いかけて生きてきたし、これからもずっと目標であり、憧れ。全ての記念日には孝子さんの歌がある。
例えば『Lover My Love』
孝子さんの事を知ってその次の次の年、隣町のレコード屋さんで注文して、取り寄せて戴いた、
アルバム『andantino a tempo』は未だに15の心に響いたままに聞くたび初々しい感動がある。また感動のあり方はその時々のあり方を端的に示してくれる(孝子さんがよく言われる所の)リトマス試験紙。その中でもとりわけ燦然と輝く名曲に、『Lover My Love』。
時が過ぎたら何もかも消してくれるといいね
そんなあなたの投げやりな言葉ふと聞いた気がします
消すという、救いの全くない一言に、
投げやりという、また救いようのない連体詞を重ねられることで、
「私」はもはや、文字通りに散ってゆく街に、文字通りひとり投げ捨てられるのだけれど、救い無い境地は純化されて愈々、次なる一手(一句)を鮮烈に照射する、
と、いう所に妙があって、
ここに物悲しく物語るようなギターの音色が織重ねられて、聞き手はすっかり参ってしまう。作り手の意図を越えて、人を力づけざるを得ない、そんな名曲のひとつ。
3:35~時が過ぎたら何もかも消してくれるといいね
そんなあなたの投げやりな言葉ふときいた気がします
孝子さんの歌唱をもって平板だとか、感情に薄いだとか評されることもありますが、どうしてどうしてここでもお声は涙に濡れていて、孝子さん特有の一緒に苦しみながら歩いてくれてる感覚を助長してくれるのです。
時は下って、40代は孝子さんにとって苦しい時代だったと思う。当時書かれたエッセイなんて痛々しすぎて胸が余り痛くって、読むのは辛かった。そんな時にも決して投げ出すことなく堅固な意思をもってご自分の仕事に向き合い続けたから、50代に一気に新境地を切り拓かれ、一つの到達点を示してくれたのだと思う。立て続けに発表された楽曲は、、一人の人間として孝子さんの完成の仕方を見せてくれて、身震いのする思いがする。それは今私にとって一つのかえがたいモデルであり、やっぱり目標であり、憧れ。
取り組むべき課題が何なのかはっきりと分らない。一体何と闘っているのか、分からなくなる。
一つ一つを取り上げればそれ単体で十分に致命的だ。
だからついついそれ単体にクローズアップしてしまいがちになるんだけど、仮にそこで何らかの落ち着きどころを見出したところで、また別の疾患と両立し得ないから、おじゃんになる。一枚剥げばまた一枚と際限がないものだから、そのうち一体何と闘ってるのか全く整理のつかない底なしにはまり込む。
整理のつけ方は無いことは無い、
例えば体と脳神経とに大別する、そして体のうちに致命的に問題となる臓器ごとに下位概念を立てる、また脳神経は脳神経で生得的な異常と反応的に発生した異常とに分けてみる。
ここで困るのは、優先順位を付けられない事。どれも後回しにも先にもできないこと。一つ一つがいちいち重篤なものだから、問題を分けてみてもその次へ考えが進まない。下手をするとそれは全てを放置することにもつながる。
ここではその時その時に切迫した急迫度に応じて反応的に対応せざるを得ない。その時その時、それぞれの専門医に言われた通りすることで必死。考える余裕はない。余裕のないうちに一体何をやっているのか何と闘っているのか分からなくなる。
分からなくなってると落としてしまいがちなのは、何のために、という契機で、ふと我に返ったときに、何のために、と突然突きつけられて、何も考えられない圧倒的な壁にぶち当たる。余り体験したくない絶望感。
先月にトラブルが起きたのは、それまで割合的には後回しにしてきた疾患で、今はとりあえず喫緊の課題として相手としなきゃならない。ならないのだけれど、この局面を乗り切ったところでそれで落着というわけでなく、次から次へとボロが表ざたとなる連鎖はとどめようがない。
ゴールが見えるものでもない。仕事なら期限があって、期限を過ぎれば失敗という結果が出る。病気の場合、失敗という結果もいつ出るかはっきりとはわからない。はっきりと分らない中で、先月のように突然終わりが訪れたりする(今回は終わらなかったけども)。大まかに、一つ一つの疾病について何パーセントの人は何年生きた、とデータはあるけども、特に複合技で来られていると一つ一つのデータは互いに譲りあって答えをほのめかしてもくれない。なら本来は分からないことをわかろうとすることに意味はない。何のためにと分っておればいいことだ。身体だけど、優れて精神的な問題なのだ。その精神がそもそもダメになっているものだから始末が悪い。結局訳の分からないまま今日も終わる。分からないまま治療を受けるから、はっきりしない患者だなと、医師からも疎まれる。
疎まれるから、もうちょっとだけでも気持ちをはっきりさせなくちゃならないんだけれども、分からないのだ。本人が分らないものはどうしようもないじゃないですか、って、医師の怒ってる顔が目に浮かぶ。もいちど、麻酔で眠らせてくれないかな、こんがらがって訳が分からないのだ。
発作が収まってからのこのこと受診に来る人も珍しい、って医者は怒っておいででしたが、そう言われてもなあって気もするのだな
突然起こった発作ではなくって、ある程度予見できた発作なのだから、前もって通報できる体制にしておきなさいよって、いうことなんだろうけども、ただ、いざ倒れてみると何にもできないんだな・・・あ、これは愈々終わりだなって、覚悟する以外には何にもできなかった・・・
緊急通報機器も、役所で貸し出してくれるんだけど、都合よく通報ボタンが近くにあるときに倒れるとは限らないもの。
多くは60代以降におこる発作。私のような年齢ではあまり起きないもの。なんで20年以上早くこういう発作が起こるのか、原因は分かっているから、今同じような原因を作ろうとしている人を見ると、見栄とかなんとかはどーでもよく、止めたくなる。
場所が少しずれていたら呼吸も止まってたぞって、叱られたって、さあ何か対策のとりようはあったのかしら・・・単身のお年寄りで同じように困ってる方は多いと思う。お年寄りならまだ利用できるサービスも多いからマシなんだろうけど、マシと言ったってみんなサービス受けられるわけじゃないから。特に身寄りのない方は、死んでも迷惑かけちゃうってことにビクビクしてるんじゃないかな。
ビクビクしてる人同士助け会えないかな、って考えるんだけど、いい案が浮かばないな。電話一つかけるだけで大分と違うから、そんなに難しい事ではないと思うんだけど・・・
これからまた少しずつあったかくなっていくから、次に寒い季節が来るまでは発作が起きないでくれよって、祈るしかないのだ。あったかいきせつに倒れてしまったら、えらく迷惑かけちゃうから。
倒れるならお庭にいる時に倒れてくれたらいいんだけどなあ・・・
自分は病気ではないとまず思っている。
そこから異様な体験を積み重ねて病識を得る、病気だと自覚するに至る。
前段階で、過去の謎が一気に解けてしまう瞬間がある。
異様に研ぎ澄まされた瞬間。
過去の謎、取り巻く世界の謎が解ける、そのまま一気に宇宙の謎まで解けてしまう。
宇宙の始まりから終わりまでに存在するすべての量子を一枚の感光紙に露光させた神の地図を手に入れてしまう瞬間がある。
そんなバカな話は無いよね、と思う常識は残っているので、それがおかしな妄想である事は自覚できる。
おかしなことなので人には言わない。
分裂病特有の言い回し、私は神だという言い回しはこの体験からくるのではないかと。
謎が解けてしまう瞬間から、しばらくの間対話が続く。
見える世界も世界観も自己認識もがらりと変わってしまうので、変わってしまった世界からもう一度過去、現在との対話を行う。
対話の中で様々な異常な体験を発見する。
あのときはこういうことだったのか、この出来事はこういう意味だったのかと一つ一つ合点が行っていく。
同時に残された常識との対話も行うのでとても苦痛に満ちた思いをする。自分の異常さがどんどんと明らかになって行く。自分がおかしな確信に基づいて生きてきた事、特有の奇異な世界観に人を巻き込んで生きてきた事を自覚する。なんて言う人間だこんな奴は生かしてはおけない、と痛切に思う。何故そんなことにも気づかなかったのだと後悔する。消え入りたいような、とはこういうことを言うのだろう。
もう後悔するようなことはするまいと決意する、決意するのに現在の行動に対しては傍観者になれない。
冷静なつもりで居る時は、自分が動けば問題が起きると分かっているので動かない。
しかしその間もずっと頭の中ではまだ謎解き作業が残っていて、言葉になる前の段階、意味そのものが頭の中で飛び交っている。
ある行動をするときと言うのは、そういった、意味のせめぎあいの中でうまれたある着想に動かされて、やむに已まれず動くような感覚。
分裂病特有の、操られ体験というのは、こういう体験からうまれるのだろうと。
日常生活の中でもこのようなせめぎあいがあって、つい数時間前に自分が行った事を強烈に後悔する。なんでこんなことをしたのかわからない、敢えて説明しようとすると、その説明がおよそ合理的でなくわけの分からないものであることに気付く。そして怖くなる。もう何もするまいと心に決める。そして頭の中を意味が巡り続け、ある時また意味のせめぎあいから着想が生まれやむを得ずに動く、そして後悔する。
こういう日常を3~4ヶ月経験すれば、いくら認めたくないと思っていても認めざるを得ないようになる。自分は病気なんだと。
知らぬが仏であって、気付いてしまうことはとても悲しく、ショックを受ける。ごく最近の事だ。2021年9月。
ショックを受けながら少しずつ落ち着いてくる段階が、今。せっかく気づいたんだから、おかしな言動に至るメカニズムも感覚として分かってきたのだから、人に迷惑をかけずに慎ましく生きる方法も自覚的に見つけて制御していかねば、と思う。その方法を模索しているのが今。
本格的におかしくなたのはいつからなんだろうと考える。
おかしくなったのはいつか、はわかる。目に見えておかしな出来事が増えたのもいつかわかる。おかしくなるきっかけはおそくとも15歳の時にはおきている。そこから階段状におかしくなってきている。目に見えておかしな出来事が増えたのは2018年だ。そこから約3年、この間、問題は起きたしかなり迷惑をかけてしまった、思い出すと狂ってしまった頭はさらにおかしくなる、マイナスにマイナスをかけてもプラスにはならない、たいそう後悔する。けれども、幸い警察や弁護士の厄介となるような取り返しのつかない問題は起こさずに済んだ、思い返すとギリギリの出来事もあって今さら肝を冷やしているが、まだブラックリストには載っていない。かなり不安定な時期だったのにギリギリで踏み留まれたのは、親兄弟や学校友人などに感謝するしかない。
もともとの素質として規範意識の人一倍強い人間だったから、頭がダメになってきてもギリギリの規範意識は保っていられたのだと思う。
今でも訳の分からない行動をとった後に、後悔すること、訳の分からない事だと自覚できるのは、そういう元々の素質によっているんだと思う。
病識を得る、えてしまったショックはまだまだ続く。大分落ち着いてきたがまだまだ不安定だ。この先落ち着くことは果してあるのかと思うと、どんより気持ちも沈み込む。せっかく気づいたんだから生かさねばとも思う。
大分訳の分からないことだけれども、こういう葛藤のさなかにある。



