マザーズコーチングを受けた夜、

「私もお母さんになりたい」と

涙を流したんです。

 

 

 

 

 

次男を妊娠中の写真を

久しぶりに引っ張り出してきて

過去に想いを巡らせている。




人生最初で最後の

マタニティフォトを撮りに行ったが、

おそらく妊娠中の写真は

この日くらいしか残っていない。




3年前のちょうど今頃、

私ははち切れんばかりのお腹をなでながら

眠れぬ夜を過ごしていた。



次男は予定日を過ぎても生まれてこず、

11月13日という日は

入院をして出産をする日だった。



次男の妊娠期は

私の人生の中でも

最もジェットコースターのような時間だった。



2人目がなかなか授からず、


1人っ子でもいい!


と腹をくくって開業届を出し、

銀行に借金までして

事業をスタートした矢先の

妊娠発覚だった。



そこからは、

強烈な悪阻に襲われ

仕事が全くできなくなり、


やっと悪阻が空けた頃、

アルツハイマーの父が入院。



仕事で忙しい母の為、

日中は私が毎日病院に行き

夜は母が毎日泊まり込みで父を見た。


アルツハイマーの父は

身体中に繋がれた管を抜いてしまう為

家族がいない時は

手足をベッドに繋がれていて、


その姿が辛くて毎日病室へ出向き、

夜、子供たちが寝てから

仕事をする日々が続いた。



夫は単身赴任中。


開業したばかりで仕事をしながら、

3歳の癇癪持ちの長男のお世話と

父のお世話は


妊娠中の私にはなかなか過酷で、

あの日々の出来事は

本当に覚えていない。



また最愛の父が亡くなった5日後に

詐欺にもあい、

当時の私は本当に

人生真っ暗だった。



それが

まさにこの写真をとった時期です。

    


人生の最も底を感じたのは
その時だったけど、

嘆く暇もなく、

輸出業に集中する日々。



あの時、

自分でも信じられない位の

売り上げを稼ぎ出した。



失った分のお金を取り戻す為、

妊娠中なのにほとんど寝ずに働き続け、


陣痛の間も海外のお客様のメール対応をして

出産翌日には病室でパソコンを開き、

仕入れを再開し始めた私。



産後ゆっくり休んだ日は1日もなく、

授乳しながら仕事をする日々。



そんな

産前産後を過ごしました。



本当に母として恥ずかしいのですが、

長男がおっぱいを飲む顔は覚えているのに

次男がおっぱいを飲む顔は覚えていないのです。


というより

次男が半年になるくらいまでの記憶が

ほとんどありません。


それだけ余裕のない状態で

日々を過ごしていたように思います。


妊娠中から産後、

長男にやってあげた事の1割も

次男にはしてあげられませんでした。



過酷な妊娠期の中、

元気に育ってくれて、

安産で生まれてくれて、

そして身体は少し弱めだったけど

大きな病気にかかる事なく育ってくれた

次男に心から感謝しています。



そんな輸出業時代を経て

次男が8ヶ月の時に夫が単身赴任から帰ってきた段階で、

コーチとしての人生を始めました。



私が

コーチになる。と心から決めたのは、

「マザーズコーチング」の存在です。



もう一度、私の心に

「母親」としての命が

吹き込まれた瞬間でした。



「このままでは

私も子供たちもダメになってしまう」


「このままでは子供たちの事も

愛せないかもしれない」



それほどまでに

「母親」としての自分を

責めていた私が


「私もお母さんになりたい」と

マザーズコーチングを受けた夜に

素直に涙を流したんです。



時を経て、

私は今マザーズティーチャーとしての

活動を続けています。



やっぱり

頑張って、無理して、

自分を責めてしまう

お母さんの力になりたい。


というのは

私の揺るがない想い。



あのお腹の中で耐え抜いてくれて

生まれてくれた愛しい次男に

心からありがとう。



毎年この日は

私を初心に戻してくれる。



大切な思い出たくさん作ろうね。


愛してるよ。

 




TCS認定プロフェッショナルコーチ

シニアマザーズティーチャー

西田みゆき