(心が)傷ついた、という表現を、
私はほぼしたことがない(冗談で言うくらい)。
(心を)傷つけられた、という表現を、
私はしたことがない
(傷つけられたなどと思ったことがない)。

なので(心が)傷つくということが、
どういうことなのか、
さっぱりわからない(ガリレオ風)

嫌な気持ちになった、ならわかる。
悔しい思いをした、ならわかる。
ムカついた、ならよくわかる。
悲しい気持ちになった、それもわかる。

でも、傷つくってなに?

嫌な気持ち、悔しい思い、
悲しい気持ちなどを
「傷ついた」というのだろうか。
それを傷ついたというなら、
「自分が」「勝手に」傷つくのだから、
そういう表現をすることは、
あるのだろうなとは思う。

でも「傷つけられた」に関しては、
ほんとうに、ぜんぜんまったく、
さっぱりわからない(ガリレオ風2)。

誰かの言葉に傷つけられた。
誰かの言葉で傷ついた。

それは、自分でその誰かの言葉を受け取り、
自分で傷ついたのではないのか。
その誰かの言葉を受け取らなければ、
傷つくことはなかったのではないか。

同じ言葉を受け取っても、
平気な人と、
「傷ついた」と騒ぎ立てる人と
いるであろうことは容易く想像できる。
ならば、
その言葉を放った人に、
どれだけの責任があるのか。

「ない」と、私は思う。

誰に対しても、
どんなことを言ってもよいと
言っているのではない。

自分が、不意に受け取ることになるかもしれない
不愉快な言葉を、
自分で処理する力をつけることが必要なのだ。
これに尽きる。

「あの人に傷つけられたのー」
「おーかわいそうに、よしよし」
とやりたい人は、
一生やってればいいと思うけどね。

 

 

 

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