明日、自分が死ぬと分かったら今日一日何をして過ごしますか。

一週間その猶予があるとしたら…それがひと月だとしたら?

「死を想え」というのはそういうことだと思います。


私たちは自分の時間を神様と約束してこの世に生まれてきました。

でも、その期限がいつなのか顕在的に覚えている人はおそらくいません。


私の母は60歳の誕生日を待たずに突然亡くなりました。
父はその翌年、母の一周忌の準備中に脳出血で倒れ、そのまま寝たきりになり、それから7年後に息を引き取りました。


二人とも、その運命を潜在的に知っていたのではないかと思える行動をしていましたが、具体的には私たちにたったひとつの言葉も遺してはくれませんでした。


かさこ塾でブログ術を学びながら、私は自分が本当にやりたいと思えることを見つけたいと模索していましたが、2回目の講義中に大きなヒントをもらい、最終回が終了したあと「今、一番やりたいこと」がわかりました。

子どもがいる全ての人に書いて欲しいと思っていたエンディングノートは、私が一番に書きたかったものだったのです。

自分が親にしてもらえなかったことを、自分の子どもに遺したかったのです。

だから、自分仕様にこだわりたかったのだと

私の大切な人たちにも、私が自分で書いて「最高」と思えるものを提供したかったのだと分かりました。


塾の途中でこのノートの製作が具体化しました。

塾が終わった今、製作に取りかかります。

塾は終わったけど、塾で学んだことを実践するのは今からです。


15年間、特別な場合を除き、毎日ブログの更新を続けてきた塾長の経験は、私たちの未来を教えてくれます。


この人に出会えてよかった。




終活カウンセラー 平原美津代

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