どのくらい眠っていたのでしょうか
目が覚めたら病室に戻っていました
この頃の記憶は凄くあやふやで、どのように時間が経過したのかあまり覚えていません
覚えているのは帝王切開の傷の痛み
初乳を出したこと
でしょうか
世の中の全てがどうでもいいような、そんな気分でした
さっきまでいたはずのお腹の赤ちゃんはもういませんでした
たった22週とはいえ、双子なのでお腹は重く結構出ていました
今は全然
たぶん、生まれたその日に赤ちゃんに会いに行くことが出来ました
ただ傷の痛みと心の不安定さからか、初日はストレッチャー(移動式ベッドのようなもの)で会いに行った記憶があります
赤ちゃんがいるのは新生児室ではありません
NICUです
新生児のための集中治療室です
双子はどんな状態なんだろう?
生きてるの?
すごくすごく小さいよね
これからどうしたらいいのだろう
そんな思いを抱きながら、対面しました
薄暗い広い部屋に大きな機械。大きな保育器。沢山の点滴。ピコンピコンとなり続けるモニター。
NICUには沢山の保育器が並べられ、沢山の赤ちゃんがいました。
双子はその中でも広い場所に並んだ保育器の中にいました。
たくさんの管に繋がれた我が子。
点滴、心電図モニター、お臍には栄養を与える管、お口には人工呼吸器
すごくすごく小さくて
大きな保育器の中にちょこんと眠っていました。
元気に産んであげられなくてごめん
ただただそう思いました
自分では呼吸さえもできない状態
皮膚は柔らかすぎるので保湿保温のためにラップのようなものでくるまれていました。
いわゆる普通の赤ちゃんとは全く違う姿
でも二人共
懸命に生きていました
その時居合わせた先生からだったか、最初の関門について聞かされました。
生まれてから3日
ものすごく大事な時期なんだそう
この3日間のうちに、死なないことは当然ですが、脳出血が怒らないこと。これが大事だということでした。
早く生まれすぎて未熟な脳の血管が、少しでも動きすぎると破裂してしまう
そのため2人は動かないように眠らされているのでした
脳出血が起これば障害を持つ確率がものすごく高くなる
それどころか死に至る可能性も高くなる
3日間
毎日祈り続けました
どうかどうか
2人が死にませんように
脳出血が起こりませんように
でも、2人ともが脳出血を起こさない確率はすごく低いものでした