宗純の (小) 部屋 -2ページ目

宗純の (小) 部屋

日々の思いを keyboard に託して。

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日曜日に花見に出かけた。

毎年
桜開花してる頃

靖国神社に参拝している。


陸軍中野学校の
戌組だった叔父は
ルソン島で戦死した事に成って居て


英霊は
靖国神社で眠って居る。


昭和50年代に
「叔父がルソン島で生存して居る」

との騒ぎが有ったが~
我が家は動かなかったが~



家族が

靖国神社以外も行きたい!


と言われ
千鳥ケ淵経由で
靖国神社参拝し
神田川沿いの桜並木を
散策しようと思ったが


家族が
江戸城跡の天守閣に登ったら
公園を気に入って仕舞い

二の丸公園内も散策。

二重橋も見たこと無い!
と言われ~


結局、有楽町駅迄歩き
阪急デパートやら
マルイやら
ガード下の飲食店を物色し
ビックカメラで
電化製品をResearch!

外が暗く成った事を確認して
帰路に。


京王デパートで
《大北海道展》開催していたので立ち寄り。

弁当購入し

自宅で夕食とした。
靖国神社は
近い内に参拝しよう。





政府等が
放射線量等の数値発表する度に
スーパーから
野菜等無くなる。
悲しい状況である。

人体に影響の有る放射線量では無いのに!

福島の農家が
「原発が無ければ!」
と嘆いているタイトルの新聞を読んだ。次は何を
言いたかったのだろうか?


関東圏の電力を作る為の原発が
東北の福島県に有る事実を

関東圏の人達に
理解して貰いたい。

大手スーパーが
震災地の生産物を
特売しているが

《ガンバロー日本》《震災地の野菜を!》
等のポスターが貼って有るが~


私は、一言足り無いと思ってる。


それは
《関東圏の電力を作成してくれている福島県の~》

の一文を入れて欲しい。


今迄、福島の原発が有るおかげで
我々の普通の生活が出来た事実を
再確認して頂き

安易に
「福島県産の野菜や牛乳等は食べない!」


と、決めつけ無いで欲しい。

我が家の合言葉
《夜、停電したら寝る》

《放射線量を確認しながら(行政の報道値を実際の人体被爆危険値量と比較して)、被災地の生産物は購入する。》

と言ってるが。

家族の協力は
少ないかな~



ミネラルウォーターが
スーパー等の店頭に出て来ない昨今。

今週月曜日に
西武線沿線のT市に有る
西武デパートに立ち寄り
デバ地下で食料購入していた処。

ミネラルウォーターが
床置で売っていた。
「奥入瀬の水」と「但馬の水」だったと記憶して居るが。


ところが!
お客さんは、あまり購入しない。
500ミリリットルボトルを3本だけ購入し
冷凍庫保存して
計画停電中に
冷蔵庫の保冷用も兼ねて
購入した。

2リットルボトルは
家族は購入したかった用だが
私は
「西武で売ってるんだから、自宅近くのスーパーでも売ってるよ。」

と、言い切ったが。

自宅近くのスーパーでは
ミネラルウォーターは
一本も売ってませんでした。

何故
西武のデバ地下では
ミネラルウォーターを
我さきに購入する人が
いなかったか
今でも不明です。

ひょっとしたら
大手スーパーよりも
デバ地下の方が
入手しやすいかも知れない。


この話を乳児のお孫さんと同居している
知人にアドバイスしたら
「私は東京駅八重洲口で途中下車して、北海道のアンテナショップで毎日2リットルを2本購入してるよ。野菜も有るし。ヨーグルトも買えるよ。」



流石!
日本の母!祖母!


昨夜
全国展開している医療グループの
関連会社に勤務する知人からメールが有った。
(大地震後に
この知人は、福岡から電池等送ってくれた。福岡も品薄だったとか)

「今、鹿児島に居る。
明日一番のフライトで奄美大島に飛ぶ。
鹿児島か奄美大島で電池や懐中電灯等上達して、送りましょうか。」

と、嬉しいメールが届いた。


当面は、計画停電も無いような気もするし。

近所のスーパー等でも
単一電池が売り出されそうだし。



知人には
丁重にお礼のメールを送り
気持ちだけ、頂く事にした。


今一番欲しいのは
《納豆》
です。

家族が大好きで
一人で夕飯に
普通に2パック食べる。

スーパーやコンビニには
納豆が売ってない。

家族から
「ネットの通販で探して!」
と、言われて居るが~
後輩の臨床検査技師から
2ケ月振りのメールが届いた。


「震災難民中です!」
と。


企業の巡回集団検診をやっていて

検診バスで福島県を巡っていて
地震に巻き込まれ
現地て
二日間検診バス内で
過ごしたそうです。

その後、やっとの思いで
検診会社のある
地元千葉に帰ったら
千葉の実家が、液状化で
斜めになり
玄関は開かず、トイレのは閉まらず
お風呂は斜め。

電気、ガス、水道はストップしていて

結局、ご両親と一緒に避難所暮らし。


やっと落ち着きを取り戻して
私に昨日メールをくれた。

治検をやっていた頃に
一緒に働いた
治検コーディネートを担当していた
真面目な臨床検査技師だったが

人間関係で
心を痛めて居て
良く相談に乗っていたが

私が、病院勤務に戻った後で
結局退職して仕舞ったのだが。


まさか、地震の被災者に成って居るとは
知らなかった。



私の知人の医療相談員は
未だ連絡が付かない。
宮城県松島に
4年前息子さんと帰郷して居るのだが

携帯電話が通じない。
実家の住所も知らないんだが。


関東圏在中の頃は
私の仕事を助けて暮れたが

ご主人と離婚して
宮城県の実家に引越ししたが~

震災の後、連絡付かない。