中国なしで生活できるか 丸川 知雄 | So-Hot-Books (So-Hotな読書記録)

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書評と読書感想文の中間の読書日記。最近は中国で仕事をしているので、中国関連本とビジネス関連本が主体。

<My Opinion>


身の回りに溢れているMade in China製品。ざっと身の回りにある物を見てみても、食品にはじまり衣服、家電やPCに至るまで、あらゆるものが中国製だ。このままいけば日本は全てのものを中国製品に頼るようになり、「中国なし」では生活できなくなってしまうのではないか。そんな問いに答えてくれる一冊。


本書のタイトル通り、果たして「中国なしで生活できるか」。この答えはもちろん「できない」だ。ただし、それは日本が一方的に中国に依存しているからという理由ではなく、中国も日本なしでは生活が送れないという事実に基づいている。日本と中国は経済的に相互依存しているのだ。本書に掲載されている統計を見てみると、戦後からの日本の中国に対する輸出に占める割合はほぼ一環して上昇し2006年時点で15%程度ある。またそれと歩調を合わせるようにして日本の中国からの輸入に占める割合もほぼ一貫して上昇しており2006年時点20%程度ある。


考えてみれば当たり前のことだ。例えばパソコンは多国間で製造された関連パーツの組み合わせで製造されている。Made in Chinaと書いてあっても、パーツ全てが中国で設計から生産まで行われたことを意味する訳ではなく、最終製品に加工する段階において組み立てが中国で行われたということを表しているにすぎない。パソコン関連パーツの生産拠点は現在東南アジアが多いが、そのパーツを製造する機器自体は日本メーカー製だという話やパーツの設計は日本メーカーが行っている等という話は良く聞くところだ。 つまり、「Made in China」や「中国製」と書いてあっても、その製品は多国間貿易の総体であり、中国が全ての付加価値を生み出している訳ではないということを認識すべきだ。著者も指摘している通り、その文脈においては、日本は技術という生産要素を多く持ち、中国は労働という生産要素を多く持っているがゆえに、それぞれに異なった産業に比較優位を持っており、そのために日本にとって中国は最大の貿易相手国になっている。


日本にとって中国は最大の貿易国ではあるものの、中国からの輸入額は日本のGDPの2.9%(2007年度統計)に過ぎない。この事実も重要だ。理由の1つは日本の産業構造だ。日本は第3次産業がGDPの7割を占めており、第1・2次産業は3割程度だ。そして、輸入品目はほぼ第1・2次産業に属しており、第3次産業は輸入が難しい。このような産業構造なので、第1・2次産業の輸入額が大きくなったとしてもGDP全体に対するインパクトは限定的なのだ。2つ目の理由は国内では小売業、卸売業等の中間業者のコストが高い為、「中国製」の製品の購入価格がそのまま輸入額にならないということだ。 身の回りに溢れている「Made in China」の数からイメージすると金額が少ないように思われるが、実際の金額はこの程度の水準なのだ。


本書が与えてくれた示唆をまとめれば大きく2点。 1つは「日本は中国製品に依存し過ぎている」と悲観的になる必要はなく、輸入依存度ベースで見てみれば中国製品に依存しているという程ではないということ。又、本書にある通り、例えば中国からの「タオル」の輸入増大は、確かに日本のタオル産業の衰退をもたらしたが、その反面で、日本から中国への織機の輸出の増大をもたらしている。それに見られる通り、日本と中国は相互に経済発展していくことが可能だということ。これが2点目。 日本のメディアでは何かと「中国脅威論」が取り沙汰されるが、今後、我々日本人は中国の「イメージ」ではなく「事実」を捉えて中国と共に生活していくべきだと思う。


又、蛇足になるが、Made in Japanであっても、日本の一般的な消費者が想起するように、Made in Chinaよりも高品質な製品であるという保証はもはやどこにもない。それどころか、パソコンに代表されるグローバリゼーションの象徴のような製品においてMade in Japanであることは、むしろそのイメージ対するコストを価格に上乗せされているかもしれないと考えるべきだ。「Made in Japan」や「国産」を盲信するのもいい加減止めた方が良いだろう。


以下気になった点をメモしておく。


<Memo>


●「国産品が安心」に根拠なし

日本の消費者の多くが持っている「中国産食品が危ない」というイメージ、というよりも信念は、ごく稀に起きる違反のケースを針小棒大に報じるマスコミと、冷凍ギョーザに大量の農薬が仕込まれていたという衝撃的な事件との、相乗効果によって生じた幻想である。実際には、日本政府が輸入食品に対して厳格な規制と審査を行い、国民の健康を保護しており、その厳しい基準をクリアして入って来た中国産食品は、極めて安全性が高いと言える。(P79)


●中国国内には存在しない「食の安全」

中国の衛生部 (日本の厚生労働省に相当)が、食品メーカーや小売店を対象に毎年100万から200万の食品のサンプルを集めて行っている食品衛生検査の合格率にもそれは表れている。私が北京に住んでいた1990年代前半には、合格率が八割程度だったのが、最近では九割程度まで上昇しており、昔よりも食の安全性は高まっているといえる。しかし、それでも一割以上の食品が不合格だというのは、相当に深刻な数字である。(P94)


●「世界の工場」という意味

オートバイもそうだが、中国の産業は、もともとは差別化された製品であったものを、多くの企業がコピー生産を繰り返すことによって、コモディティ化してしまう魔力を持っている。コピー生産は、主に同じ市や町にある企業のあいだで繰り返される。自転車の場合も、飛鴿()から労働者が離職して民営メーカに技術を伝え、そこで技術を覚えた別の労働者がさらに独立する、といったことが繰り返されるうちに、一つの町に同様の製品を作る企業が何十社、何百社と増えていったわけだ。―― 中略 ――中国は「単なる」世界の工場ではない。「差別化商品をコモディティに変えてしまう魔力を持った」世界の工場なのである。(P227)



「中国なし」で生活できるか/丸川 知雄

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