2年前 | Do you have yourself?

Do you have yourself?

てきと〜に更新してますぶろぐ〜



あの日からもう2年経つんだなあ

なんか今日家でゆっくりできたから
いろんなこと思い出してしまって
涙止まらなくなった
悲しい気持ちと情けない気持ち

2年前の今日はいつ東京に引っ越そうか
ってドキドキしてたときだった

最後に親父の仕事手伝うかってなって
11日に車検代行に
仙台の港に親子で行ってたときだった
無事ライン抜けて
あとはナンプレもらうだけ
ってなって車乗った瞬間だった
きゅいーんきゅいーんって
5日前ぐらいにも鳴ってたから
またかよ…ぐらいの感覚だった
とりあえず車がビルの横だったから
車から降りて広い方に逃げた

そしたら映画で見るような
音と迫力で目の前が一瞬で
別景色になってた
ビルからみんな逃げ出してきて
近くの工場は爆発して
ほとんどのガラス割れて電柱倒れて
みーんな泣いてた焦ってた

おれは車に走って急いでラジオ流す
津波に警戒、津波に警戒
やべえ、海近いから、
まじやべえってなって

親父は?!って思ったら
ビルから全く出て来なくて
おれはもうパニックだった
入って行きたいけど怖い
何回も強い揺れが来たから
でも助けに行かなきゃって思って
ビルの入口まで行ったところで
親父がお婆ちゃん抱えて出てきた
おれはほんとに心の底から
親父にリスペクトした
周りからは少なからず拍手が
感動した

でも状況は一向に変わらず
地震から10分ぐらい経ったときかな
ラジオで津波が10m、10mって言ってて
おれは震えが止まらなかった
親父1台、おれ1台、車運転してたから
免許取ったばっかりだったのに
こんな状況でおれも運転しなきゃいけなかった
信号なんか動いてないし
大渋滞だし
とにかく海から離れようって親父に言われて
車に乗って
歩道とか走ってとにかく逃げた
家族にはずっと電話掛け続けてたけど
このときはまだ誰も繋がらなかった

結局家に着いたのは
いつもなら40分なのに
このときは9時間かかって
23時前

橋は無くなってるし車はぶつかりあってるし
家は崩れてるしほんとなんなんだこれって思った
ラジオでは近くで遺体が200~300ほど
流れ着いたとか言ってるし
なんかわからんけどおれずっと泣いてた
こんなに簡単に人って死ぬのかよって


途中でお袋に連絡が取れて、弟妹たちは
保育園やら小学校やらで避難できたらしくて
無事だった
ただ、おれの一つ下の妹だけ、地震のとき
1人で家にいたらしくて
行方がわからなかった

とにかく家に着いて家に入ろうと思ったけど
ガラスは割れてるし中はぐっちゃぐちゃだった
食器棚洗濯機冷蔵庫テレビパソコン
全てが倒れてた
そしたらさ、見つからなかった妹、
こたつに隠れてたんだって
で、じいちゃんが助けに来て、
ばあちゃんちに行ってたって
まじ安心した

とりあえずその日は冷蔵庫から無理矢理出した納豆と牛乳食って車で寝た

次の日朝起きると街はこの世の光景じゃなかった

とにかく家に入れないとってなって
みんなで家戻って1日かけて片付け
めちゃくちゃ寒かったのと、
下が汚すぎて土足で入ったの覚えてる

近所の幼なじみがウチに来た
助かった!って
飯いま炊き出ししてるから
食べに来なよって
行ったら団地の人たちみんな集まって
豚汁とかうどんとか焼肉とか
腐っちゃうものとにかく食ってた
電気もガスもなかったけど
水道だけは一部の家だけ出たらしい
ウチも出たけど
ガスも電気も使えないからお湯は出ないし
石油ストーブで沸騰させるしかなかった

夜になって
友達と2人で中学校の方見に行った
万代書店ぶっ壊れてた
自動車学校ぺっちゃんこ
友達と入る?どーするなんて言ってた
そんなことはできない


街が、真っ暗で
月がめちゃくちゃ明るく感じて
友達が泣き始めて
おれも泣いた

普段がどれだけ幸せだったか
何でもない日々がどれだけ幸せだったか

車はもちろん走ってない
日にちが経つにつれて
車が走る量は減ってった

親父が車屋だからガソリンを
盗みに来る奴らがいっぱいいた
分けて下さい…ってくる人もいた
でも、あげられなかった

石巻に行かなきゃいけなかったから
ばあちゃんの実家が石巻の海沿いに
あるから、もう諦め掛けてたけど
とにかく行かなきゃって
ありったけの食料もって
地震から3日目
じーちゃんとばーちゃんと向かった


なんだこれ
地獄を見ているようだった

川には車が埋め尽くすほど浮いてて
道路が陥没しまくってて
道路はでろだらけで
魚がいっぱい道に死んでて
道には人がいなくて

これでもまだ街中のほうだったから
港の方に行くのが怖かった
まずばあちゃんの幼なじみの家に行った
生きてた
けど
全身ずぶ濡れだった
一晩2階で津波に浸かってたって

急いで実家へ
途中からさらに景色が変わった
道路に家があって瓦礫だらけで
道がなかなか通れない
さらに行くと
車が積み重なってて
瓦礫はまだ除けられてなかったりで
絶対によく見たら死体ありそうで
おれはもう目をつむってた

実家に着く寸前
歩道橋をいつも左に曲がるんだけど
曲がりながら右を見た

街が無くなってた

全て建物から何も無くなってた
それは渡波って街の方だった

ばあちゃんが泣き始めた

実家に着いた
万石浦の方
流留ってとこ
家は立ってる
どうしてだ?奇跡か?

中から叔父さんやらみんな出てきた
じいちゃんもばあちゃんも号泣して
抱き合ってた
みんな無事だったって
ちょうどもう一人のおじさんが帰ってきた
仙台から3日歩いて
帰ってきたところだったって

なんで家無事なのって万石浦は湾になってて
津波は直進するから
この家は湾の淵側だから、津波は巻くだけで
水かさがちょっと増しただけなんだと
床下浸水だけですんだと

奇跡だった

もう一人のおじさんは島に仕事に
行っててヘリで助け出されたと

いつも野球で試合してた
石巻市民球場には自衛隊のテントが
ずらーっと並んでた

感謝でしかない本当に
親戚身内は全員無事だった
本当に良かった

風呂に2週間入れなかったけど、一日だけ入れたんだ
親父が車屋の知恵を活かして
家のうらの給湯器と車のバッテリー繋いで
ちょっとだけ電気が使えて、
兄妹みんなで風呂に入った

その間に米炊いて、そんなことしながら
毎日とにかく生きることだけを考えてた

コンビニに一日並んだり
吹雪のなか灯油もらいに3時間並んだり
でもそこでいろんな友達と会ったし
知ってる人は大体みんな無事だった

日大山形の友達とか、
みんな電話とかメールとかくれて
携帯の充電もままならなかったんだけど
ほんとに嬉しかった

仙台の友達が隣の家まで
津波来たって言ってた



もう2年も経つのかー
書き始めたらずいぶんと長くなってしまった
今でもあのときの記憶は
こんなにも覚えてる
絶対に忘れはしない

世界中が被災地にしてくれたこと
日本中が被災地にしてくれたこと

ほんとに感謝でしかない

今も復興中だけど、
都会の何も知らない人たちよりも
被災地の人たちのほうが絶対に
明るく元気に暮らしてると思う

それも助けてくれた
みーんなのおかげだと思う

高橋歩さんは世界旅行中だったけど
すぐに帰って来て石巻に
ボランティア団体立ち上げたって
毎日瓦礫の撤去とかしてるって

今年の元旦に石巻に
初日の出見に行ったんだけど
まだまだ瓦礫は無くなってなかった

捨てるところがないんだって

遺体とかは身元がわからないやつは
浜に土葬してるだとか
みんなの知らないこと
まだまだあると思うけど

この機会に
いま生きていられるのは
誰の、何のおかげで、
どれだけ恵まれてるか
ってのを見直せる機会だと思います

いま、隣にいる人
いつも一緒にいる人
友達、家族、みんなに
感謝して愛を持って
生きていければ
おれはそれでいいんでないかと
思います






ま、


明日も頑張って行きましょう!



WBC段々上がって来てるね\(^o^)/!