打倒“共依存”。
一部の人間に知識欲がためにちょっとした共通項に名前を付けられて、
それが専門領域で研究のために使われるならまだしも
昨今の一般化に落とし込む流れから不意に専門用語が己に降りかかり
「くっそやろーそんなもんにカテゴライズされてたまるかー」
とやたら憤ったり、、、
…と打ってるうちに、現代社会の傾向がほわんと。
あー、やっぱ排他的なんだよなぁ。
マイノリティ排除主義。
んー、前にもそんな事書いた気がするけど
(見つけたww→http://ameblo.jp/so-blog/entry-10026373933.html )
かくいう自分も、
社会的居場所を与えられた方が安心します。否定できません。
体調悪くなったとき、病名を探したりしますでしょ??
便利なんですよね、そういうときに学術的な言葉。
一方、思い当たりませんか。
他人から何か言われて「一緒にすんな!!」と思ったこと、ありません?
「○○な子だからー」とか「ドS・ドMじゃなーい?」とか
自分、私(そいつ)の何知ってんねん、勝手に当てはめんなや!!って。
しかし、極端なことを言ったほうが会話も盛り上がりやすいわけで、
こういうのはコミュニケーション法の発達・流れなのかなぁ、とも。
そう言ってること自体、
既に「そういうヤツ」に「当てはまる」のかもしれませんね。
しょっちゅう比較・分析するクセもあるし。ってこれがもうアカンやん。
何だかんだで、私も現代っ子なんですね。
こっわいなー。
自分も気付かんうちにそうなってはいないよう気をつけねば。
少なくとも、人と関わる場面では…。…あれ?何が言いたかったんだっけ。
※ちなみに※
こっち来てからよぉぉぉぉぉうそういうこと言いよる人にしばしば出会うが、
そういう人は、大抵グループを成している場合が多いことないですか。
そういう意味で、こちらでの出会いは本当勉強になります。
負担の軽い生き方を、都心の現代っ子はよう知ってはる。
だからって自分がそうなりたいかは疑問。
ラクなんだろうけど、さっき述べたようなマイノリティ排他主義等、
何かしら蔑ろにしているように感じるんだよなぁ。
都心のそういうところがナイズされないよう気をつけなければ。
良いところもいっぱいあるんですけどね。