君を失って、これ以上はないくらい悔やんで、泣いて、泣き続けて、確信したこと。
君がいない世界じゃ意味がない。
だからもう一度、出会ったあの日と同じようにその手を掴んでみせる。
いくつもの純白が舞う景色の中で、君を見失ってしまわないように。
Episode 22
『冬萌』
病院に着いて車を降りたときには、20時を過ぎていた。
「面会の時間は終了しているけど、私が受付で上手く言っておくから」
そう言ってくれた瑞穂に理佐がいる病室を教えてもらい、愛萌ちゃんと向かう。
途中、すれ違う看護師の人たちが何やら慌ただしげに動いているように見えて不思議に思いながらも、程なくして病室は見つかった。
ドアを何度かノックする。
しかし応答はない。
「眠っているんですかね?」
「うーん……どうしようか」
愛萌ちゃんと少し迷ってから、少しだけドアを開けてみることにした。
隙間から見えた室内は電気が煌々と点いていて明るかった。
でもそこに理佐の姿はなく、少しだけシーツの乱れたベッドがぽつんと寂しげにあるだけだった。
ちょうど入れ違いでトイレにでも行ったのだろうか――そう思って何気なく廊下を振り返ったときだった。
「――友香、宮田さんっ!」
ふいにどこからか名前を呼ばれて声がした方に目をやると、瑞穂が何やら慌てた様子でこちらに走ってきていた。
「どうしたの、瑞穂?」
「大変だっ、渡邉さんがいなくなったってっ!」
「……え?」
私たちの目の前で立ち止まった瑞穂が、乱れた呼吸のまま理佐の病室のドアを開ける。
室内に入った彼女に私と愛萌ちゃんも続いた。
「あの、渡邉さんがいなくなったってどういうことですか!?」
愛萌ちゃんが聞くと、室内を見回していた瑞穂が振り向いて眉根を寄せた。
「夕方に点滴を交換しに来たスタッフが渡邉さんの姿がないことに気付いて、すぐに彼女を探したけれど、未だに見つからないらしいんだ……。私も今日はいつもより早く仕事を上がったから、異変に気付くことができなかった……」
入院していた人が病院から忽然と姿を消すなんて、そうそう起きることじゃない。
まさか、理佐の身に何かが?
ようやく呼吸が整ってきた瑞穂がポケットからスマホを取り出して、耳にあてた。
「……私だ。渡邉さんはどうした? 様子を見ていろと言ったはずだぞ」
電話口の声はよく聞き取れない。
でも話し方で、部下の人なのだろうということは何となく分かった。
「……何!?」
瑞穂が突然声を荒らげ、思わず彼女の顔を見る。
「どうして勝手なことをしたんだ!? そんな指示をした覚えはないぞッ」
明らかに動揺した様子の瑞穂に嫌な予感が一層増す。
「それで彼女は今どこにいるんだ!? ……な、分からないって、お前……っ」
「愛萌ちゃん、私たちも探そうっ」
病院のスタッフの人たちとともに理佐の捜索をしようと踵を返したとき、廊下の方から瑞穂を呼ぶ声。
声とともに足音が近付いてきて、ドアが勢いよく開かれた。
「土生先生! 渡邉さんが、見つかりましたっ……!」
他の医師と共に手術室から出てきた瑞穂は、ひどく疲れた表情でそばの椅子に腰を下ろした。
「とりあえず、処置は終わった。後は意識が戻るかどうか……」
「瑞穂。理佐に一体何があったの?」
「今日、私の退勤後の渡邉さんを任せていた部下が、独断で渡邉さんを襲った」
「襲った?」
「ああ。渡邉さんは脳内出血があって入院していたのに、あろうことか部下は彼女の患部を狙って殴ったと……っ」
話しながら、膝の上で震えるほど強く握られた拳。
「無能な部下ばかりっ……あいつも消してやる」
家で話したときと同じく、瑞穂が口元を歪ませて歯を食いしばる。
その表情は、不快な感情が高まったときの癖なんだろう。
「瑞穂」
彼女の前にしゃがんで、強く握られたままの拳を両手でそっと包み込む。
目をまっすぐ見つめると、その眼差しが、戸惑い混じりの幼子のように変わった。
「お願い。もう、そういうことはしないで」
立ち上がって、彼女の頭をそっと抱き締める。
「あなたが本当はすごく優しい人だってこと、私は知ってる。だから、お願い」
「友香……」
瑞穂が小さく頷いたのが分かって、抱き締めていた腕をゆるめる。
穏やかな表情に戻った彼女がおもむろにポケットから一台のスマホを取り出して、私に差し出した。
「これ、さっき渡邉さんを見つけたスタッフに渡されたんだけど、渡邉さんが手の中でしっかり握り締めてたって。もしかしたら、誰かに連絡を取ろうとしていたんじゃないかな」
理佐が連絡を取ろうとする相手……。
愛萌ちゃんと目が合った。
「開いてみましょう、菅井さん」
瑞穂からスマホを受け取り、逸る気持ちを抑えながらスリープを解除する。
そこに表示されていたのは――
茜とのメッセージ画面。
想像していたはずなのに、心臓が大きく跳ねる。
無意識に目で追った送信済みの文章に、私は思わず口元を押さえた。
『本当の幸せは、失ったものの中にあるのかもしれない。
寒い季節の中で、かじかんだ手が放してしまった温もり。
"ただ触れ合っているだけで気持ちがいい"
そう私に話したその温もりを、今でも思い出せる?
茜が一番に冬の知らせを届けたいと思う存在が、
茜からの冬の知らせを心待ちにしている。
ねぇ、茜。
次の冬が近付いてきたら、茜はどうする?』
画面を見た愛萌ちゃんが、はっとして私の腕を掴む。
「菅井さん見て下さいっ」
愛萌ちゃんが指す画面の端。
そこには"既読"の文字。
それは、このメッセージが、確かに茜に届いている証。
スマホの画面越しに、茜がいる証。
時が経つにつれて薄れてしまっていた残像。
そこに再び注ぎ込まれた、体温。
「茜……」
「菅井さん。守屋さんの手をもう一度掴んで下さい。きっとこれは、あなたにしかできないことなんです」
たとえ薄れていっても決して消えることのなかった手の感触。
だからもう一度掴むのに、迷うことはきっとないだろう。
背中を押してくれた愛萌ちゃんと、メッセージを送ってくれた理佐。
茜を大切に想う二人のためにも。
「土生さんっ、守屋さんの居場所、知ってるんですよね?」
「……すまない。私が守屋さんのことを知ったのは、宮田さんに話を聞いてからなんだ。それまでは知っているフリをしていただけで……だから彼女の居場所は全く……。力になれなくて申し訳ない」
「そんな……」
「大丈夫。茜は、必ず帰ってくる」
どんなに時間がかかっても、何度冬が巡ってきても。
「待ち続けるよ。茜がまた冬を知らせに来てくれる、そのときまで」
To be continued...