ただただしんどかった。
患者さんの名前はおろか
スタッフの名前さえ分からず、
部屋の番号も、
物品も、
どこに何があるかも分からなくて
情報とるにも
すべての情報が大切に思えて
最初はなんと
内服薬すべて1人1人メモるという有様だったし
血ガスと言われたのに
血培の物品もってったり
もうほんと散々でした。
昼休みは昼休みで
人見知りで
仲良くなるのにとても時間がかかる性格だから
なんか居場所が全然見当たらなくて
すごく寂しくて
お昼ご飯ものどを通らないし
美味しく感じないし
それでも
「早くお昼を口の中にかきこんで
仕事に戻ったほうがいい!
そのほうがずっと楽だ!」
って思って
早くお昼を済ませてフロアに戻っても
新人の僕に出来ることなど
ほとんど何もありませんでした。
「なんで看護師になったんですか?
ほんとこんな仕事なんて選ばないで
ずっと先生やってれば良かったのに」
って何人かに言われたし
誰がどんな場面で僕に言ってきたかも
すべて鮮明に覚えてるけど
あの言葉は、2つの意味で悲しかった。
2つの意味で、とても。
まあ、その2つって
どんか意味でなのかは書かないことにするけど。
同じフロアに同期はいなかったけど
だから、
新人同士で比べられるなんてことはないのだけど
「あと1年経ったら、
あれくらい動けなきゃだめなんだからね!」
って、1年先輩のことを指しながら
この台詞はもう何回も言われた。
「ああ、自分は看護師1年目として
本当に出来てない人間なんだな」
ってあの当時からずっと思いこんで
それはそれは落ち込んだ。
もともと僕は
とても自分に自信がないほうだから
未だに
「自分は看護師として劣等生なんだ」
という想いが強い。
未だに、とても。
実際、
僕の後輩を見ててもすごい。
1年下の2人も、
2年後輩の子も
3年後輩の2人も
僕なんかより、ずっとずっと、すごい。
自分は劣等生でも。
でも、絶対に腐りたくなかった。
素晴らしい先輩たちをみてると
「ああ、俺もあんな風に動きたい
あんなふうに仕事できるようになりたい」
ずっとそう、強く思っていた。
どういう場面で
どう動けばいいのか、
自分なりにむっちゃ観察した。
人一倍、勉強したつもりだし、
分からないことを、
絶対に分からないままで終わらせなかった。
納得いくまで、調べた。
ときには、Drに質問したりもした。
ありがたいことにDrは嫌がることなく
「藤井さん、なんでも聞いてください☺️」
って、言ってくださった。
泣けるほど、
ありがたかった。
とにかく、成長したかった。
その想いは今も変わらない。
ずっと何らかの意味で、成長していたい。
でもやっぱ
1年目は本当にしんどかったな。
全然笑顔にもなれなくてね。
「藤井さん、まず笑いましょう」
って、
上司に怒られたりもした。
ほんと最低なNsだよね。
Ptのまえで笑顔になれないなんて。
文字通り、
顔も心も死んでいた。
そんな1年目、
先輩たちが僕を成長させるために
いろいろ書いてくださっていたノート。
とても尊敬する先輩が届けてくださって
はじめてそのとき
このノートの存在を知ったんだけど
読んでいて
まあ顔から火が出るわ🔥
変な汗かくわ💧
…いやあほんと、参りました。
でも。
こんな出来損ないNsでも
最期まで見捨てることなく
先輩たちは育ててくださった。
そのことを考えると
本当に胸がどうしようもなく熱くなるのです。
先輩たちみなさん、
僕を見捨てることなく
育ててくださった。
感謝しかない。
もう、本当に。
看護師になって
難しさを感じたことも、
多々ある。
本当にいっぱいあるけれど、
たとえば申し送り。
3交代制であれば
たとえば日勤が終わる頃に、
次の準夜勤さんに
今日患者さんはどんなだったか
どんなイベントがあったかとか
まあそういう情報を
次の勤務者に申し送るのです。
最初は、
何を申し送るべきで
何がいらない情報なのか、
よく分からなかった。
でも夜勤を重ねるたびに
「ああ、こういう情報が申し送られてないと
次の自分の勤務のとき
こういう困ることが起こるんだな」
ということが
何かトラブルが起きるたびに分かってきて
何を次の勤務者に
申し送らなければいけないか
だんだん解るようになってきた。
とはいえ、
申し送りはとても難しい。
今でも、とても。
「カルテで見たことや
全体の申し送りで送られたことは
わざわざ個別で聞かなくてもいい」
っていう人もいれば
「いや、私は一応、
どんなことでも
全体でも個別でも申し送られたい」
っていう看護師もいる。
ちなみに僕は、後者のほう。
僕はそのほうが安心なの。
看護師になって、
感激したこと、
感動したこともいっぱいある。
それはもう、たくさん。
たとえば、
その申し送りが終わったあと
「じゃあ藤井さん、
よろしくお願いします」
と前の勤務者が僕に話す。
「よろしくお願いします」
の言葉には、本当に毎回、胸を打たれる。
「ああ、どれだけの想いを
この言葉にこめてるんだろうな。
申し送られたこと、大切にして
俺もがんばるぞ」
って毎回思うの。
看護は、永遠に続くリレーのようだ。
バトンを渡す(申し送り)のが
遅くてもだめだし、
雑でもだめ、
バトンを落としたらもっとだめだ。
次の走者はもう走り出しているから
渡すタイミングも大事。
本当にそう思う。
転勤が決まってからは
本当にいろいろ言われた。
本当に、いろいろ。
でも僕は挑戦したいのだ。
どんなに辛い想いをしてもいいから
挑戦したい。
バスケットボールの神さま、
マイケル・ジョーダンが言ってた。
「俺は失敗には耐えられる。
でも、挑戦しないことには耐えられない」
おんなじ気持ちだ。
最終日、みなさまから
最高に素敵な色紙をいただいた。
年度途中の転勤になったのに
昨年度いたメンバーの皆さまからも
メッセージが届いていたこと。
これにはほんと涙がでた。
いったいどうしたら、みなさんに
この感謝の気持ちが伝わるのだろう。
粋なことをしてくださったのは、
前のボス。
前のボスには、
死ぬほどお世話になった。
ここには書けないけれど
大切な場面で、
もう何度も何度も、
手を差し伸べてくださった。
僕は絶対に一生、
忘れることはないでしょう。
死んでも、忘れない。
そんなボスが最後、
なんと僕にこんなものを
プレゼントしてくださった。
藤井さんならできます!
でも、もし転んだら、
この絆創膏貼って
何度でも立ち上がってね」
…ボロボロ泣いた。
ほんと泣きすぎ。
この絆創膏は御守りとして
名札の中にこれからもずっと入れて働こう。
僕の人生は、
昔から本当に
とんでもないことばかり起こる人生で
何度も何度もぶちのめされてきたけれど
不思議なことに
人の出逢いにだけは
本当に恵まれてるの。
1年目のときに出逢ったDr.N1と
去年出逢ったDr.N2との出逢いは
自分の中で大きかった。
クリスマスにピアノを弾けたこと、
最後はバンドで演奏できたことも
かけがえのない想い出。
最後の数ヶ月は
それよりも笑顔多く勤務できたかなと思う。
PNSパートナーのおかげだ。
毎年変わるパートナーにも恵まれた。
ほんとにどの先輩も、
スーパーマンみたいな人だった。
なんでも知っていて、
なんでもできる。
少しでも、近づきたかった。
男性Nsふたりとも
本当に仲良くさせていただいた。
メンズ会、
むっちゃ楽しかった。
またいつか、
同じ職場で2人と働ける日がきたらいいな。
最終日はいっぱい
写真撮れて良かった。
本当にみなさま、
ありがとうございました。
心の奥底から
ありがとうございました。




