憎んで生きる | 田舎モンが出戻った

田舎モンが出戻った

12年に渡るアメリカ田舎暮らしを中断し、サンフランシスコに2年滞在した3児のハハ
そしてまた東海岸に戻ってきたものの、下のムスメは日本に留学・・・空の巣症候群にかかってしまうのか???

ただいまいいヨメキャンペーン絶賛実施中!!!

 

とか言っちゃってますけど

ホントにこれはダンナ母がいい人なので出来る

 

そうじゃなきゃわざわざ12時間も運転して

こんなクソ寒いところになど来ない

(今週夜は氷点下、昨夜は雪降った!)

 

実際自分の親の時にはしてないし

 

あんまり人には言えてない暗~~~い話

ここでしちゃっていいですか

 

本当に暗いです

 

 

 

 

 

 

 

うちの母親2014年の夏だったかな

ふらついて歩けないことから脳腫瘍が見つかって

それが肺ガンから転移したものってわかった

ステージ4だ

 

長年喫煙してたからね

思いっきり自業自得

 

うちのクソ親父もそ2年前タバコ関係で死んでる

寝煙草の不始末ってやつ

 

集合住宅に住んでいたので周りに迷惑かけたはず

死傷者がでなかったのだけが幸い

 

この時も実家近くにいる妹が全て処理してくれた

(当時は両親は既に離婚していた)

遺体の確認とかしなくちゃいけなくて

「焦げた頭がフラッシュバックする」と

トラウマになっている

 

ワタシも行って手伝うおうかと言ったのだけど

その飛行機代をかかる費用に使いたいというので

お金だけ送って行かずに済んだ

 

そして母親の癌

この時もワタシは無情だと思うけど

日本に行けるのは2週間、それも1回だけ

その間に出来ることはなんでもやるから

だからワタシに来て欲しい時期を教えてと

妹に言っておいた

 

本当に妹に対しては申し訳なくて仕方なかったけど

当時はちょうど賃貸に出していた家の問題で

お金も必要だったし

それでワタシも仕事を始めて数か月だったのだ

 

これが親孝行な娘ならきっと仕事も辞めて

借金してまでも親の看護をしに帰国したのだろう

 

だけどワタシはその数年前に母親から

7枚にもわたる分厚い縁切り状を渡されてた

その後に1度だけ会ってはいるけど

もうそれを最後に会うつもりはなかったし

 

でもやはり妹にだけ負担をかけるのは忍びなくて

ホスピスに入院できる頃に3週間休みを取った

11月のことだった

 

もう妹には有給が残っておらず

ワタシの主な任務は

時間のかかる母親の家財道具の処分

 

幸い離婚した時に大分物を減らしてはあったけど

やはり2DKの家には物が溜まる

 

金目のものなどないから

業者に来てもらって処分するだけ

でも業者を探したり、自治体と連絡を取ったり

田舎だからそれが結構大変

 

一応全てのものに目を通した

そうしたら母親の日記のようなものが出て来た

ワタシに対する恨みつらみが書かれてあった

 

ワタシが赤ちゃんだった頃癇が強くて

鍼灸に連れて行かなければ行けなかったとか

大学の時にワタシが激太りして醜かったこととか

 

くだらないけど覚えてる

ああもう思い出したくないけど忘れられない

なにしろ悪いことしか書いてなかった

 

そして例の絶縁状の下書きまで

ご丁寧に取ってあった

 

これはその絶縁状が一時の感情の高ぶりで

書かれたものではないということ

 

見舞いに行っても優しい言葉一つ出てこない

触ることも出来なかった

 

と言うか、それを見つけたことで

もうこの人に優しくする必要はないと

上手い言い訳を見つけたと言った方が良いかも知れない

 

毎日病院には顔を出していたけど

話をすることもなくただそこに座っているだけ

もうその頃には上手く話が出来なくなっていたが

たまに頭がはっきりしている時があって

その時だけ事務的な会話をしていた

 

親はワタシが覚えている限りずっと煙草を吸っていた

ワタシが何度やめろと言っても

言い訳ばかりしてやめなかった

 

そして肺癌ってカルマどころか

いかにも当たり前な結果だ

 

しかし母親は

「おじいちゃんもおばあちゃんも(母親の両親)

ずっと吸っていたのに肺癌にはならなかった

なんで私だけ?」

と言った

 

ワタシが二十歳の頃に

両親の離婚(ワタシが小学生の頃1度離婚してから復縁している)や

激しい夫婦喧嘩のせいで

どんなに辛い思いをしてきたか訴えた時

何を今更バカげたことを言っている?と

取り合ってももらえなかった

自分たちが悪かったと一言でも言ってくれていたら・・・

 

自分でやったことの責任は取らない人たちなのだ

 

呆れて物が言えず立ち去るしかなかった

そしてワタシがアメリカに戻って2週間後に死んだ

 

ワタシと母親の関係は何だったんだろうと思うたびに

病院でベッドに寝ている母親の姿を

冷たい目で見降ろしている自分を思い出す

 

親を憎んで生きるということ

自分の子供たちにはこういう思いをさせたくないと

ひたすら願うのみだ