Councelor Satoshi

Councelor Satoshi

経済・身体・精神的自由から成る
本物の豊かさの構築

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あれは確か6年前だ。

街の定食屋のテレビでオーロラの特集が組まれていて、
それを見た瞬間に「見に行こう!」と決意した。

 

弁護士を目指すべく高校生のころからひたすら勉強をしていたが、
そういえばゆとりもなにもなかった。

 

心は荒涼とした砂漠のように乾き、
體はさびついた歯車のようだった。

オーロラを拝むこと自体が困難ということも知らずに、
思い付きで航空券の予約をしてノルウェーに訪れたことを今考えると、
無計画に無鉄砲をかけ合わせた行動だとも思う。

さらに思い立ったタイミングも悪かった。
一年の中でも寒いとされる時期だったのだ。

-20℃という極寒を数値でしか捉えずに、
「めっちゃ防寒すれば大丈夫でしょ!」
と考えた自分の浅はかさにはムンクの叫びと同じくらい、
開いた口がふさがらないだろう。

しかし4日という短い滞在期間でオーロラが見れたのは幸運だった。

元々そこにあったオーロラが何かの気まぐれで姿を現したように感じた。
何かに隠されていたのだろうか。

それとも私たち人間の目がそこにあるオーロラを認知できないからかもしれない。
そんな私たちに気を利かせてオーロラが見えるようにしてくれたのだろうか。

それがもっともらしい。
私たち人間は見たいものしか見ないのだ。

心理学の世界では「スコトーマ」というが、
この世の中には見えない世界(盲点)がたくさんある。

 

シベリアンハスキー

ノルウェーに滞在しているとき私の傍らにはずっとシベリアンハスキーがいた。

犬ぞりを10頭ほどで引っ張っていくその訓練された姿を見ると、
人間のエゴによってそうさせられているのではないかと感じた。

ただその役目を終えると彼らは調教を行っている現地人のもとに向かい、
その愛らしさを最大限表現している。

犬は与えられた役目を忠実に果たすことそれ自体が幸せなのかもしれない。

そう考えるとその訓練された動きは、
決して義務感からの行動ではなく忠誠心の表れに感じたし、
ある種の気高さと雄々しさを感じた。

だからといって近寄りがたさはなく、
目で会話をしようとすれば近づいてスキンシップをとってくるほどに
人懐っこい性格にはとても癒された。


シベリアンハスキーはその名前の通りロシアのシベリアを生まれとする犬で、
運動量が他の犬種に比べて非常に多い。

そのため彼らの真骨頂は寒い地域と広大な土地で活かされるのだ。

日本の冬以外は彼らにとって暑いからだろう。

常に口を半開きにしてハァハァ言っているせいか、
日本ではたまにバカ犬と揶揄する人もいるぐらいだ。

何を言う!

シベリアンハスキーのその気高さと雄々しさは日本では表せない。

運動量が多い犬種でもあるから、
そのダイナミズムも狭い土地の日本では味わえない。

個性が活きるには適所がある。
それを忘れてはいけない。

私たちは知らないことは知覚できない。


世界

世界をあるがままに見る

人間は自分の見たいものしか見ないし見れない。
オーロラの神秘とシベリアンハスキーの雄々しさを目の当たりにした時に私はそう感じた。

生まれ育った環境・教育・経験に基づいてでしか世界を解釈できない。

それは自分自身にも他者においてもそうなのだ。
自分の価値観で全ての事象と他人を解釈するのは愚かなことだと思うし、
なによりも新たな可能性を閉ざすことになる。

私が見たシベリアンハスキーのノルウェーでの気高さを知らなければ
一生バカ犬のレッテルのままかもしれない。

それはもったいない。

世界を見る解像度が高まれば高まるほど、
小さな幸せにも気づくことになる。

私が常に旅をするのは新たな発見を得て、
世界をあるがままに見るためだ。

Mount Cook, New Zealandにて

ノルウェーを訪れた後、私は弁護士を目指すことを止めた。

初任給1500万円を超える弁護士がいるなか、
4万円の家賃さえ払えないほどの弁護士がいるほど歪みがある業界で、
私は自由も豊かさも手に入れられる気がしなかったのである。

大学を中退した後にニュージーランドに訪れ、
日本では見れない広大な大自然と地平線を見た私は、
新たな世界に踏み入れたような気がしたのである。

大学を中退した私にニュージーランドが
門出を運んでくれたのである。

弁護士に理想を描いていたころには視界に入らなかったものが
オーロラを見ることで目が洗われたのだろう。

人は世界を見たいようにしか見ないし、
聞きたいものしか聞かない。

今までの自分の経験でしか物事をはかれない。

世界を在りのままに見るには、
非日常を味わうという世界を旅する経験が必要なのだ。

平凡なものを緻密に見れば、非凡なものが見えてくる

東山魁夷 (文化勲章受章 日本画の巨匠)

 

当たり前のことではありますが、
私たちは生まれながらに自身の體(からだ)と一心同体のため、
その存在をことさら意識することはありません。

ただし我々の體は様々な系(臓器)で成り立つ奇跡の存在だということを忘れてはいけないのです。

 

それぞれの系が互助組合のように全体に作用しているので、
部分最適な接し方ではいずれ體を害しますし、
常に全体最適の視点で體に対して真摯に取り組まなければいけないのです。

 

「胃腸を悪くしたから整腸薬を飲めばいいや」
「熱があるから解熱剤を飲んでおこう」

 

なんて考えはこの場で捨てさっていただければ幸いです。

 


 

これまで私はお金の稼ぎ方と同じかそれ以上に、
人体・健康・精神というものについて研究してきました。

 

これは私自身が生まれつき12種類の重度のアレルギー・アトピーを持っていたことに始まりますし、
そのほかにも他の人たちが経験したことのないトラウマが私をそうさせたのです。

 

医者には治らないと言われるほどのアレルギー・アトピーの重症度でしたが、
それらをほぼ完治させることができました。

 

また重度のうつ病にかかったことがあるので、
心療内科に半年通い薬物療法が終わった後は、
カウンセリングやコーチングを受けたこともあります。

 

これらに投資した金額は総計500万円ほどでしょうか。

 

多くのセミナーを受け書籍を読み、
現代でアレルギー患者が激増していることや、
社会に生きづらさを感じている人が多いということに気づいたのです。

 

「そういう時代になったんだ」と安直に考えてしまえばそれで終わりですが、
原因は必ずあり、それを知ることはこれからの人生を豊かにするためには必要な事なのです。

 

 

8年ほどの研究と検証を踏まえ、

  • 現代にはびこる病原菌
  • 現代社会を牛耳る裏組織
  • 日本人にあった食習慣
  • 100年時代に求められる生活習慣
  • 誰もが勘違いしている睡眠や呼吸について
  • 人生を豊かにするマインドセット

これらを学びました。

その結果私事ではありますが、

  • 体脂肪率1桁の維持
  • 6年間の健康維持
  • 常にハイパフォーマンスを維持する習慣
  • 世界をありのままに見る視点

を確立することができました。

ここでそのすべてをあなたにお伝えします。

私たちの體は多くの小宇宙(ミクロコスモス)を内包する、
大宇宙(マクロコスモス)なのです。

小宇宙の一部が崩壊すれば、大宇宙の様相が崩れるように、
精神(小宇宙)が病に侵されれば、體全体(大宇宙)に影響が出るのです。

私たちの體という宇宙を守るためにも、
あなたの體を構成するものは、
あなたが普段口にするものや行動だということを感じて頂きたいのです。

そしてそれら構成物はあなたの言葉を構成するのです。

言葉は体を表す

私たちを構成している在り方は、言葉になって表現されます。
 

日々口にする食べ物や運動なども心身に影響すると考えると、
それらも間接的に言葉になって表現されていくのです。

 

私たちの言葉(言の葉)は在り方という幹から発せられる。

土壌やその他の環境が木に栄養を与え、幹を太く丈夫に育てる。

 

幹が健全に育たなければ葉は枯れていくはずです。

 

あなたの葉が青々としたものになるよう、
充分で質の高い栄養を摂取して、
人間の幹である在り方を豊かにしていきましょう。

 

それが私がこれから説き、
あなたが追い求める本物の豊かさと自由であるはずです。

 

これから変わっていくことを楽しんでいきましょう!

 

 

追伸

これからより具体的な情報発信をさせていただきます。

在り方を構成するのは洗練された體や知識だと思うからです。

そして同時に経済的な豊かさを手に入れ、
理論武装だけを施したただの意識高い系ではなく、
本質を手に入れた洗練された人間へと成長していきましょう。

 

今回のような健康や精神に関する記事は、
【身体的自由の構築】と【精神的自由の構築】というカテゴリーで話させていただきますので、
健康に興味のある方はそちらのカテゴリの記事をご覧ください。

これからあなたが自由で豊かな人生を送るきっかけを
お届けできればと思っておりますので、
お付き合いいただけると幸いです。

悪意というものは、他人の苦痛自体を目的とするものにあらずして、
われわれ自身の享楽を目的とする。
実存主義の大家  フリードリヒ・ニーチェ

私たちは未だかつてない危機に直面している。

人類はコロナウイルスの猛威に経済は破綻し、
悲痛な叫びが世界にあふれかえっている。

コロナショック、コロナ離婚,,,

人の心は殺伐として心のない言葉があふれる。
悪意なき悪意は言葉のナイフとなり誰かの心をえぐる。

自分にとって大切な人やそうでない人も意図せず傷つけてしまうその光景は、
ただ怒りのはけ口を外に見つけようとしているだけな気がしてならない。

全ての人が少なからず不幸に陥っているこの状況で、
自分以外の何かに悪意をぶつけるのはどうかと思うが、
そうするしかないのだろう。

 

 

WHO(世界保健機関)は日本を

世界一危険な国として認定している。

地震・台風・土石流・火山活動などの自然災害は、
諸外国に比べて圧倒的に多い。

 

治安などは良いがこれらの自然災害の被害は天文学的だ。

 

阪神淡路大震災、東日本大震災、
新潟県中越地震、熊本地震、ハキビス,,,

 

これら災害のことを考えるとそう認定されても仕方がないだろう。

そして私は過去の一幕を思い出した。

 

 


あれは高校2年の修学旅行で訪れた沖縄から東京へ帰る、
2011年3月11日の飛行機の離陸時だ。

「大地震が目的地付近で発生したため、このまま空港へ引き返します」

確かそんな機長のアナウンスで空港に戻り、
さらなる宿泊が決まった高校生だった私は、
空港にあったテレビの光景を見て呆然とするしかなかったのだ。

濁流から逃げるも飲み込まれてしまった軽トラック。
文字通り火の海となった津波が家を破壊しつくす姿。
人のような形をした何かが吸い込まれていく一瞬。

言葉が出なかった。

3.11のときの記憶はまだ鮮明に覚えている。

そんな中まだテレビを見ておらず沖縄旅行がただ延長したと感じ、
浮かれていた高校教師はピースをして記念写真を撮っていた。

なぜそんなことが出来るのだろう。

家族への連絡を取るために携帯電話を
耳から離さない生徒の姿がそこにはあるのに、
そのようなことをする姿を見るのは悲しかった。

 

数100キロ離れている東北の惨状をテレビ越しとはいえ、
見ていたのならそんなことはできなかっただろう。

 

人の悲しい姿をこのような場面で見るとは思わなかったが、
今思えば想像力が欠如しているとはこういうことなのだろうと思った。

しかしこれで全ての人をそう認知するのは早すぎる。

人は見えるものしか見ないが、
あるがままに世界を見る視力が大事なのだ。

 

愛とは想像力である

世界の経済すら破綻して死者数と感染者数は増え、
政府の対応に不満を覚えて心は荒み、
その心のまま距離が近づくために人々は傷つけあってしまう。

しかし他の誰かが何を言おうと私は人類が性善説で生きていると信じているし、
人の痛みを共有し愛を分かち合うことのできる唯一の生き物だと信じている。

心がなければ人類は発展していない。
心を通じ合わせるから縁を結び愛をはぐくむ。

私たち一人一人は愛が育んだことで生まれた奇跡の存在であり、
そんな人間を性悪説だと感じることはない。

私たちは生まれながらにして美しい。

誰かの痛みを想像し、その痛みを癒し、愛を渡せる生き物なのだ。

今かつてないほどの事態に私たちは戸惑っている。


愛を感じれなくなってしまうかもしれない。

 

だが私たちは本来は相手を想う力があり、愛にあふれているのだ。

 

思い出してほしい。


あなたは生まれながらにして愛にあふれる人間なのだと。
そしてその愛をあなたの大切な人に分かち合うことが出来るほど、
愛ある人間だということを,,,

 

 

追伸

このブログを立ち上げ数日が経ち、
今回こそは豊かさを手に入れるための具体的な情報を発信しようと思っていましたが、
現在コロナウイルスで世界が危機的な状況に陥ってしまっている状況を見て、
このような記事を書かさせていただきました。

私自身が愛の足りない行動をして、
大切なひとを傷つけてしまったことがあり、
自戒の念を込めての執筆です。

これからコロナの前後であらゆる常識は変わっていきます。

経済も人間関係も健康に対する考えなどすべてがです。

だからこそ不変であり普遍である人間の愛を信じ貫いて、
これからを生きていきましょう。

 

もしあなたが何かこれからを不安に思っているなら、
コメント欄でお伝えください。


お力添えさせていただきます。

それでは失礼いたします。

こんにちわ、Satoshiです。

 

今回はセミナー的な記事にしようかとも思いましたが閑話休題として、

私が旅で経験したことをお伝えしていきます。

 

 

非日常

 

 

 

私は3年間で国内の短期移住10か所を経験するほど旅が好きです。

 

旅をしていると、その場所で出会う非日常の風景や新鮮な食材。

それらと同じように私が大事にしているのがそこでしか出会えない人との出会いです。

 

非日常が私たち人間の脳を活性化させ、ち密な脳のネットワークを作り上げる。

 

これが私が旅を愛している最大の理由でしょう。

 

過去に移住していた軽井沢で、

同じく個人でビジネスをやっているという方と出会ってきました。

 

 

比較的近いところに住んでいたのでネット上では意気投合していました。

 

 

うっすらと感じてはいましたがその方が私と会ったのはビジネスへの勧誘で、

足早にその場を去りました。

 

 

現状に不満があるでしょ?

 

僕より確か5歳年上のその女性は、ひっきりなしにそう言っていました。

 

「もっと年収上げたいでしょ?」とか

「もっと良いところに住んで生活をよくしたいでしょ?」などと。

 

私は旅をしているという暮らしぶりを「さも当然ですよね?」という風に、

披露すると相手を委縮させてしまうという経験を持っていました。

 

だから東京出身だが、

今は北軽井沢で暮らし細々と個人のビジネスをしている設定で会いました。

 

話を聞いている限り、紹介案件がただ年収をあげるためだけのもので、

その先のヴィジョンが全く見えてこない。

 

だから丁重にお断りしその場を去りました。

 

私自身様々なビジネスの案件が舞い込むことがありますが、

そのビジネスで何がしたいかストーリーがないと共にやりたいとは思いません。

 

そしてとあることを言っていた友人、そしてとある旅を思い出しました。

 

 

日本は遅れてる

 

 

よく大学の食堂で語り合った友人がこんなことを言っていました。

 

「確かに日本は経済大国かもしれないけど、

やっぱり科学だとかビジネスの最先端はアメリカだし、

ファッションだってパリが発信したものをまねてるだけ。遅れてる。俺はアメリカに行きたい」

 

私自身日本は進んでるという人が多い中で「それは間違いでは?」と

思うことが多くありました。

 

 

彼の意見にはおおむね同意し、じゃあアメリカの人間はどう思っているのか?

 

 

当時の私はそう思いアメリカに出かけたのです。

 

 

 

Too fast,everything. in America.

 

 

サンフランシスコから電車を乗り継ぎ、バークレー校で学生に携帯アプリを駆使しながら

「あなたは何を目指しているのか?」尋ねてみた。

 

 

「アメリカはだめだよ。何もかもスピードが速すぎてとても気疲れする。

なんというか、人間らしい生活、自然を感じる瞬間がこの国にはないんだ」
「ぼくはもっと自分が生きているって実感がほしいんだ。

だから大自然と向き合うような、エアコンも冷蔵庫もないような、そんなところに行きたいよ」
 

 

 

正直その時は特に何も考えずに「答えてくれてありがとう!」ぐらいの気持ちでいた。

 

 

 

アメリカにもいったので今度はアメリカの学生が行ってみたいと言っていた

大自然が感じられる場所に行くことにしたのです。

 

 

 

 

 

大自然、でも娯楽はダンスだけよ
 

21歳でパキスタンにほど近い新疆ウイグル自治区のホータンに行った。

周りは360度砂漠の海、はるか崑崙山脈からカレーズで水を引いてきて、

一本一本タマリスクの木を植えていく。

 

そうやって緑(=人が住める空間)を創りだす。

 

バークレーのあの学生が言っていた「大自然と相対する人の営み」を感じることができる、

まさにその最前線だ。
やはりここでも街にあった大学の校門で学生をつかまえて、

日々何を考えて何を目指しているのかを徒然と聞いてみた。彼女はいった。

「ここは本当にだめ。何もないもの。

砂漠と砂漠を防ぐための樹を植えて畑を広げていくだけ。

娯楽と呼べるのはダンスパーティーくらいだし」


「こんなところより発展した都会で、最先端のファッションがあって、

たとえば北京とかに行って暮らしたいわ」


「日本はどう?楽しいことでいっぱい?」
 

オアシスを広げることの大変さ、民族の差別、将来への不安など話はつぎつぎと移っていき、気がついたらもう日も暮れて窓の外はすっかり暗くなっていました。
 

 

カザフスタン

 

 

日本のサブカル、ぼく好きなんだ


彼女と別れた足で今度はカザフスタンのアルマティに向かい、

そこからさらにイスタンブールに行こうと旅行会社を訪ねた。

 

残念ながら、西に行く便はどれもチケットが完売で、

たまたま席が空いていた北京行の飛行機に乗ることにした。

北京でも同年代の学生と話す機会に恵まれた。

友人が知り合いの英文学専攻の院生の相部屋のベッドをひとつ用意してくれたのだ。

 

 

その日から3日間、同年代の中国人学生3人と日中関係を含めつつ、

日々何を考え何を目指しているのかを徒然と聞いた。彼らはいった。

「北京はだめ。言論の自由はないし、人はゴミゴミしていて、毎日がとても忙しい」
「たとえば音楽や映画、ファッションやアニメとか、

のびのびとした表現の幅が広い日本の文化が大好きなんだ。

いつか中国から出て日本のような国で暮らしたい」

日本から遠く離れた大陸の地で同世代の人間と夜中まで喧々諤々と話をし、

疲れた頭を枕にのせながら、

すこしのぼせたぼくの頭の中にふと一つの考えが降りてきた。

 

 

 

 

みんなユートピアを求めている

 

世界中どこにいても「ここにないもの」「ここでないところ」をみんな求めているんだ。
現状に不満で、現状の中にいて変化を感じられない自分に不満で、日々をすごしている人がこんなにも多いんだ。
大学の食堂から始まった旅を振り返ってみると・・・・・・

あれ?一人一人が求める場所にいくと最終的には元いた場所に戻ってくる。

みんなユートピアを求めているじゃないか!

 

 

 

 

ユートピアを求めない人
 

会ってきた人、話してきた人をもう一度、思い返してみると、

ユートピアを求めていない人たちがいることに気がついた。
 

かれらはきまってとても素敵な目をしていた。

もちろん仕事に疲れていたり、思うに任せない現状に苦しんではいるものの、

けっして現状にたいする不満を口にするそぶりさえ見せなかった。

 

いや、見せなかったのではなく見せる「不満」すら持ち合わせなかった

――こういった方が正確だろう。

 

 

ユートピアを求めない人。

彼らに共通することは現状をしっかりと把握しながら、その中で最大限楽しむ方法を模索していたことだ。「では、どうできるか」がだいたい口ぐせ。

 

 

 

マートルデ。

かれは砂漠の真ん中にある街の大学教授で大きなひげを蓄えたおじさんだ。

自分の民族の自立をどうすれば達成できるかを真剣に考えながら、

コミュニティー作りや教育に心血を注いでいた。
 

 

 

彼との会話は終始「じゃあどうすれば現状をよりよくできるか」だった。
 

 

これまでの実績とそこから得られたアイデア・課題について、

日本からきた若者がどう感じるか、ものすごく真剣に聞いて、話してくれた。
 

ちょうど彼と出会った時期は学費の集金時期でマートルデは少し疲れていたけど、

合間合間に時間をつくっては民族の村々に、ご飯に、衣装にと、

興味津々のぼくをあっちこっちに連れて行ってくれた。

 

「どうだ、素敵だろ?」

 

案内するあちこちでマートルデは得意げだった。



早川さん。

彼女はタイでエイズ患者の最後の受け入れ先、ホスピスを切り盛りしているおばさんだ。
地域社会にも家族に捨てられて身よりのない人たちに、

寝るところと労働と語る場を提供することに人生をかけて取り組んでいた。

 

彼女は毎週誰かを看取り、

少ない運転資金ですべてをやりくりするから朝から晩まで働き通し。

精神的にも肉体的のも経済的にも絶対に大変のはずなのに彼女はいつも笑っていた。

「楽しいかどうかなんてわからないけど、

だけどいまやっていることは最善だと思うし、まぁ、よく生きてるほうだと思うわ」

 

いま楽しい?ふと疑問に感じたことを口にしたらさらっと返事を返された。

 

彼らには求めるユートピアがないんだろうか。

 

ユートピアの語源は not everywhere、つまり「どこにも」「ない」。だから『理想郷』となる。
マートルデや早川さんにとってユートピアはないというより、not not everywhere―「どこにも」「ない」ものは「ない」。かれらはいま、本当のユートピアにいるのでしょう。
 

 

 

 

私が旅をしているのもユートピアを求めての行動なのかもしれない。

 

「ユートピアはどこにもない」のと同時に住む場所が十分ユートピアになりえるのでは?

 

 

そう思うのです。

 

それでは失礼いたします。

 

 

 

またぜひお会いしましょう。

こんばんわ、Satoshiです。

 

 

今回は本物の豊かさの要素である身体的自由を構築するための、

高い規律を生み出し、生活全体を正の循環に向かわせる習慣のメソッド

についてお伝えしていきます。

 

 

もちろんこのテーマを最初にお伝えするのには、ちゃんとした理由があります。

 

 

もしかするとあなたは、

「身体的自由を構築するために習慣のメソッドが必要ないのでは?」

と思われるかもしれません。

 

 

あるいは、「手っ取り早く健康になる方法を教えてほしい!」

と思われるかもしれません。

 

 

 

しかし本物の豊かさの自由とは一時的な自由ではなく、長期的な成果を重視するのです。

 

 

習慣のメソッドを最初に選んだのは、

これが私の基本的なコンセプトとしてあるからです。

 

 

 

変化が激しい現代(高度経済成長期後の現代)では、

既存の価値観や情報が通用しなくなることがよくあります。

 

 

 

ビジネスで例えるならば、

戦後のものが乏しかった時代とテクノロジーが発達しものが溢れている時代では、

経営戦略も変わってくるでしょう。

 

もっと身近なものであれば過去と現代のファッションは全く違うはずです。

 

 

 

 

本物の豊かさの構築で目指していく長期的な自由度を確保するために

資産を構築するシステムは欠かすことができませんので

(せっかくならリッチな自由を味わいたいですから)、

 

 

・環境が変わっても、それに最適化させる柔軟性

・あらゆる環境下でも機能していく堅牢性

 

 

の2つを貪欲に求めなくてはいけません。

 

 

そのためにも私たちが図らずも支配されている習慣を、

何となくではなく意識的に選択(オーダーメイド)していく必要があるのです。

 

あらゆる選択は、意識しない限り、習慣に従うのですから。

 

  • 新しい知識や経験を得ることのできる書籍を読む
  • 身体のパフォーマンスを高める運動などを行う
  • 質の高い食事をして病気になるリスクを高める

 

などを私は習慣にしていくことを心がけています。

 

本物の豊かさの構築を実践していくということは、

その時々のみで通じるうわべを取り入れるのではなく、

激変する時代でも変わらない本質や世界の真理を読み解く必要があるのです。

 

 

もったいぶらずに、即効性のある方法を教えてよ。
Satoshiさん!

 

 

そうおっしゃるあなたのお気持ちはわかりますが、

私が現在行っている具体的な健康法だとか資産の構築法を教えても、

本当の意味で教えていくことができないのです。

 

決してもったいぶっているわけではないのです。

 

 

なぜなら私とあなたで、生活環境・価値観・経験(バックグラウンド)が異なるからです。

 

 

全ての人に通用するテクニックなどは存在しませんし、

もし仮にテクニックを教えたとしても、あなたと私で、

 

 

  • 育った環境
  • 後天的に得た知識
  • 現在のステージ
  • 趣味や嗜好

 

といった部分のほとんどが合致しない限りは、

私が得られる効果とあなたが得られるそれは全く異なるのです。

 

そればかりか逆効果になる場合があります。

 

 

さて。

とは言っても分かりづらいと思いますので、具体的な話をさせていただきましょう。

 

 

 

 

アレルギー

 

 

私は生まれつき重度のアレルギーでした。

 

今現在ではアレルギーを治すために様々な情報を得てきましたが、

アレルギーの種類は多数存在していることを、あなたもご存じでしょう。

 

食物アレルギーも多様化してきましたし、原因も様々です。

 

 

私がアレルギーを治してきた方法を行うと、

逆にそれが原因でアレルギーを悪化させてしまうこともあります。

 

 

もちろん本質的な方法で治療することもできますが、

私が行っている具体的なやり方が、あなたにも通じる可能性は低いのです。

 

 

つまりあらゆる面(ビジネス・身体面など)で他人のテクニックが通ずるのは、

雷に二度打たれるくらい稀有な事例と言えます。

 

 

要するに、

本物の豊かさの構築をしていくなかで資産や健康を追い求めていくのならば、

ドラえもんの秘密道具や、アラジンの魔法のランプを見つけることではなく、

高い自己規律を持って、長期的な学習をしていくことが不可欠なのです。

 

 

 

 

 

タバコを吸っていた意味がわからない...

 

理想的な習慣を確立するために、

やめたい習慣(暴飲暴食、喫煙)や

だらだらと過ごす時間(第4領域)などを断ち切る際にも、

今後伝えていく習慣のメソッドは大きな効果をもたらします。

 

 

重要なのは「止めよう」という意識の力だけに頼らないことです。

 

資本の倫理(システム)は、人間が依存するように設計されたものを多数生み出しました。

ジャンクフード、添加物、たばこ、テレビ、ゲーム、AVなど...

 

 

これらを意識して、悪い習慣を断ち切る出来るようになると、

かつてはヘビースモーカーだった方でも、

 

「なんでタバコを吸っていたんだろう...」なんて発言が臆面もなく出るようになります。

 

 

 

私自身、習慣のメソッドを私生活に取り入れることで、

高いモチベーションを維持できるようになりました。

 

 

本物の豊かさの構築をするしないに関わらずこれから使いようによっては、

あなたの生活をより良い方向に一変させる情報を、

大きなテーマとして伝えさせていただきますので、

ぜひあなたの生活に取り入れていただけたらと思います。

 

 

 

それではこのあたりで。

失礼いたします。