月形町立知来乙小学校 | Johnnyのブログ 「Welcome to the Moomin village」

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2017年3月19日

久しぶりに廃校に足を運んだ……

「つきがたちょうりつ ちらいおつ~」と読む。

深い雪に閉ざされていた校舎にも小さな春が来ていた……

雪解けが進む北海道。
この季節は他の季節より切ない。

「別れの季節」
そんな言葉が似合う時季のせいだ……

廃校から10年以上経過する。
校門には「月形町立知来乙小学校」としっかり刻まれいる。

正面玄関にも……

新しい校舎……
そして廃校から10年以上経過しているが、何かに再利用されているのは解る。
しかし付近には人ひとりいない……


明治36年3月12日
この途方もない月日がこの学校の開校日だ。
114年も以前の事になる。




この管理された校舎は後に解ったが「ちらいおつ遊び塾」と言う名前で有料施設になっていた。

(下2枚ネット写真)

体育館には一輪車や滑り台、迷路等がある。
キャンプ等宿泊施設としての準備もあるようだ……

今、この施設がどれだけの需要があるのかは計り知れない……

廃校を二次利用しながら、再び廃施設となり廃墟となった学校を今までにも見てきた……

青い空が余計悲しく感じるものだ……

ハンカチのような白い布切れはボロボロに引き裂かれていた。

小さな小さなグラウンド……


狭くて野球はできないな……
いや……野球ができるほど生徒も居なかったに違いない……

どこの廃校に行っても遊ばれなくなった遊具を見るのは切ない。


校舎の横にはちょっとした建物があり、
「木楽打部屋 ふわふわ工房」と書かれた看板がある。
かつてここは何に利用されていたのだろうか?

その看板のあった位置にはかつてこんな看板が掲げられていた……



さようなら 知来乙小学校
103年間 ありがとう
想い出と共にいつまでも…



人にとって卒業した学校は人生最大の想い出である。
特に小学校はなおさら……

この学校は幾人の最大の想い出になっているんだろう……





日本の片隅で一つの学校が消えていった……

平成18年3月31日
月形町立知来乙小学校 廃校