駅が駅でなくなる時 | Johnnyのブログ 「Welcome to the Moomin village」

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自由に気ままに
歩いて旅をしたい…

多くの事は望まない…

小さな幸せを感じていれば
それでいい…

2016年3月25日

この日は自分史に刻まなければならない、悲しい日になりました。

3月26日、新幹線開業に沸き立つ陰で、ひっそりとひとつの駅がなくなりました……

東追分駅


この場所が僕の「聖地」でした……

失ったものは、あまりにも大きく切ない……



19時45分

僕は最後を迎える駅に到着した。
既に5~6名の方々が駅にいました。

駅ノートを通じて、知り合いになれた方、2名に期せずにお逢いできました……

実はとても嬉しかった……


ありがとう……
駅ノートと一緒に大事にします……
⬇  ⬇  ⬇  ⬇


時間の経過と共に、見送り人が増えていきます……

少ないけれど、この駅を好きな人がいて、こうして、こんな場所に人が集まる事が、とても嬉しく思えました……

「何処かで誰かと繋がっている」
「一人じゃないんだ」
そんな気持ちでした。


20時00分
JRの職員の方がいらっしゃいました。
挨拶をさせて頂くと
「追分駅長です」と……


「あなたがJohnnyさんですか」と笑顔で応えてくれました……
駅ノートを置いてはならない駅があるなかで、とても理解のある優しい駅長さんでした……

このメッセージも読んで頂いてました。
本当に感謝します。

20時15分
最終一本前の列車が近づき……

スピーカーから20時16分の追分行きの列車がアナウンスされた……
これが追分行きの最終列車になりました……
数名の方が乗車されました……


20時16分
いつものように静かに旅立ちました……


報道の方もいらっしゃいました……
少しだけそれらしくなってきました……

駅に来た同志と少し語らいました……
鉄道ファンというよりは、僕と同じように「この駅が好き」という方々ばかりでした。

最終列車はこのあとの20時56分の夕張行きになります。

時間が近づくと駅長がスタンバイに入りました。

20時54分
最終列車の灯りが見えてきました……
いよいよ「その時」が来ました……

20時56分30秒

夕張行きのサヨナラ列車が旅立ちました……

駅長が「ありがとうございました」と挨拶をされました……
そして最後に「Johnnyさん」と呼び止められ、硬い握手をしました……

職員の方によって、駅が施錠されました。

「夢をありがとう 東追分駅よ永遠に」
これだけは撤収されずに残されました……

僕の魂です……

51年の歴史に幕が下ろされました……


✳  ✳  ✳  ✳

いつもの帰り道、丘の高台から駅を見下ろしていた。
今日の深夜に灯りは落とされると、駅長が言っていた……

全て最後の光景である……

駅の上に月が浮かんでいた……
ぽっかりと……
明るく……


そこが駅であろうと無かろうと、太陽と月はこれからも照らし続けるだろう……