お久しぶりです。
実は昨日まで広島市内にいました。
ボーカルのレナさんと2人でクラシック音楽の
コミュニティーが集まるバー『オクターブ』
というお店で10周年パーティーがあり、
そこで演奏させてもらえる機会を頂いて、
私とレナさんはジャズとボサノバという
そのコミュニティーでは異色の音楽を
演奏しました。
しかしそれはそれでみなさんから好評いただき
広島の方達との交流がもて、楽しい時間を
過ごすことができました。
広島県では昨年、尾道や福山市などで
演奏活動をやった後、宮島の厳島神社を
お参りしたり弥山にロープウェイで登り
山から一望する瀬戸内の景色を望んだりと
素晴らしい思い出が詰まっていますが、
広島市内はもう長年、おそらく渡米する
前の20歳前後に一度訪れて以来なので
30年以上の歳月が経っての訪問でした。
滞在は一泊2日で時間も限られていたのだけど、
わずかな短い時間で原爆ドームと平和記念公園、
そして広島城を一人で散策しに行きました。
原爆ドームへはホテルから立町の路面電車駅まで
行くと4つ目くらいの原爆ドーム前駅で降りる。
するとすぐ目の前に原爆ドームの姿が現れた。
やはりここは国際色豊かで外国人もたくさん
訪問していた。
この建物の前に立つといろんな複雑な思いが
湧き上がってくる。
原爆で被災した多くの犠牲者をはじめ、
第2次世界大戦で犠牲になった日本の方々への
追悼の念にかられ、碑石の前で合掌し
祈りを捧げる行為が自然に湧き上がる。
それと同時に未だ私たちは
この戦争についても原爆投下についても
世間的に学校やメディアで伝えられるような
通説とは異なる語られていない多くの
真実を思う。
終戦後のGHQ政策によって戦勝国に
よって都合よく歪められ、封印され
洗脳されてきた日本の歴史は今もなお
その影響を色濃く残す。
過去にこの地で行われたこの国の
首相をはじめ政治家や権力者達などの
平和への祈りのイベントなどを
垣間見た時にその場限りの同情と、
うわべの言動から結果的に人を欺き
大きな利権のしがらみにもまれ、
結局なにも日本国民の幸福を追求した
政治になっていない事を思うと、
表面的な綺麗事があまりにも、
無垢な人々をバカにした洗脳工作の
押し付けに思えて、虚しさと
憂を感じてしまう。
ここには人類の闇がたくさん潜んでる。
どれだけ平和を訴えても戦争や争いは
今もなお続いてる。
どれだけ多くの犠牲を払っても
変わることのない悲しい人間の性(さが)
現代においてもその闇の本質は
あまり変わってないのではないでしょうか?
それは今年になって起こった
ビッグモーターやジャニーズの性加害の
事件などを通じて考えさせられます。
アメリカや海外のことはひとまず置いといて
日本の社会的な闇の根深さを感じさせる
ものでした。
ジャニー氏の性加害に関しては、
もう50年以上前からそれが起こっていて
何人も被害を訴える人がいたし、
約20年ほど前には週刊文集と
ジャニーズ事務所間での訴訟もあり
性加害が認められたという事実が
あったにも関わらず、テレビなどの
マスメディアではほとんど報道されず
黙認され闇に葬られたという事実。
タレント事務所、テレビ局、スポンサー、
マスコミ、どの関連業においても利権は
人間の良心とか、人権とか、倫理観とかを
麻痺させてしまうものなんでしょうね。
タレント達には罪はないのかもしれない。
罪はないけど、恐れと承認欲求という渇望に
根差した大きな忖度はあったでしょうね。
やはりここで言うことに従っていないと、
ステージに立てないとか、有名になれない、
とか。
そう言った利益との引き換えに得たものは
彼らにとって富と名声に付随する大きな
心の傷だったでしょう。
ビッグモーターの件も然り、
利益を追い求めた末に麻痺した人としての
良心と人権の侵害。
その犠牲となった下で働く従業員達と
彼らの生存を脅かされる恐れ。
そういった一連の事件は日本社会の
忖度文化の象徴的な現象の
現れなのだろうけど、
いつまで問題を黙認し続けるかは
結局その問題がある一定数までに達し
多くの人が声を挙げたり、日本以外の
権威のある国や団体が指摘しないと
変われない体質が根強い
ものなんでしょうね。
そうした忖度体質の別の例えで言うと、
未だに効果があると思ってなくても
マスクをつけている人だったり
会社の方針だからとワクCHINを5回、
6回、7回も打ちに行っている人たちも
結局同じなんですよね。
人から変に思われるのが気になる人、
その結果仲間外れにされる、
昇進できなくなる、取引できなくなる、
など、、
結局いい人や人の言う事を訊く人、
真面目な人というのが多々犠牲になって
しまう傾向にあるのではないでしょうか。
それで我慢して大丈夫だった人もいる
かもしれないけど、それで
後遺症に悩まされたり、実際死亡した
人も多くいるし、
年度ごとの超過死亡率では
注射をやる前と後で亡くなっていく
人の平均の数が劇的に増えているのも
事実。
コロナの後、私たちの根底にある
権力の抑圧、コントロールからの
恐れと依存が浮き彫りになった
ように現実に映し出されています。
インターネットで真実も伝わり
やすくなった世の中なので
そうした社会の闇の側面を知る人
たちはやはり増えていってるように
思います。
しかし知った上で自分はどう生きるかは
一人一人のチャレンジですね。
そこで結局被害者達に同情して、
不満や怒りを権力者や大企業に
投げかけたとしても自分は何も
変わらないですから。
今の世の中、そう言った忖度体質から
抜け出ることを促されている感も
ありますね。
それには他人軸から抜け、自分の感覚と
価値観を信頼し表現できる確固とした
自分軸を確立することが必要なので
しょうけど、それはまあ困難な
試練ですね。
その生存と利益からくる忖度体質に
日本人特有の
同調圧力や、
義理人情、
申し訳なさ、
犠牲心という美徳に似た自虐
などが絡むと余計に面倒で
生き辛くもなる社会。
長い間培ってきたその忖度体質や他人軸を
変えるって、多くの人はわかってても
余程のことが自分の実生活に
降りかからない限りはできないでしょう。
だから人はそのストレスで病になったり
精神的疾患を患ったり、
会社をクビになったり、
何かしらの限界点に達したときに
膿が現れるのだと思います。
そしてその余程のことが先にあげた
ジャニーズやビッグモーターなどの
被害者達に降りかかったんだと思います。
そう言った意味において彼らは変容する
機会を与えられたのだと思います。
そこでそうした犠牲者の方々が忖度、
他人軸の生き方を手放し自分軸を生きる
決意ができたならその闇は豊かさにとって
変わるのでしょうけど。
未だに体制の変わらない会社に依存し
変わることができない奴隷のような
人達も居続けるでしょう。
しかしそれもその人それぞれの
学びのペースなのでしょうから
それも否定できないですよね。
破壊が起こらないと目覚めないという
人間の惰性的習性を観るからには、
やはり闇も必然的にこの世界に備わった
人としての性(さが)
だと言うことでしょう。
だから外側の世界が崩壊していくのも
必然的な流れだと受け入れ、見守り、
それに呑み込まれず、囚われることなく、
この光と闇の世界で授かった自分の生に
感謝し魂を全うするしかないですね。
広島の原爆ドームを前にして、
受け取ったメッセージは
何かや誰かために自分を犠牲にする
人生や忖度を手放して、
日本人として、
この世に生を受けた命として、
また自分に対しての尊厳を取り戻し
本当の自分の人生を生きようよ。
そんな風に感じられました。
島自体が御神体とも言われる宮島の
近くにあって、この場所はそうした
光と闇を体現した象徴的な場所でも
あるのだと思います。
そう思うと、
自分の魂の衝動、あるいはハートの導きに
従って生きるという思いを、
この生と死の象徴の地、
平和記念公園の地で捧げる。。。
というのが自分にとっては自然な行為だと
感じられました。
全ては陰陽、光と闇の自然の法則の
バランスで成り立ってる。
ほんとは、
そんな光と闇の夢を見ているだけ
なのだけどね✨
眠れる魂達
おやすみ😴