今でこそ自分はヒーリングやってきたり、
経験で学んだことから周囲のエネルギーの
影響を受けやすい、いわゆるエンパス体質
というものを克服してきたように思うけど
その昔は結構そのエンパスという性質に
苦しんでたと思う。
その当時はそれをエンパスだと気づいてなくて
ただ生き辛い性格だとは感じていたけど。
30代に入って間もなく、
音楽を通じてかなりの挫折感や自分への
無力感、無価値観などを感じ、
かなり自分に失望した時期を過ごした
ことがあった。
それはそこまで自分に対して期待してた
というのもあるし、親を喜ばせたいとか
人に認められたいなどの承認欲求も
あったから、その期待の反動から
生じる失望と挫折感も大きかった。
プライドだけは高いから否定されたり、
拒否されたりする恐れから被害者意識も強く、
会話も苦手で話が続かないと緊張したり、
つまらないと思われるのが怖くて、
余計につまらないこと話してたり、
そんな無駄な気を遣うことばかりしてると
本当に通じ合える人でないとすぐに疲れてしまう。
お酒の場なんてとても苦手で、
酒が入ると体が赤くまだらになるし、
体がしんどくなって会話を楽しむどころじゃ
ないし、もう人から離れたいとばかり思ってた。
今じゃ適度に酒も楽しく嗜むし、
たくさんの人の中にいてもそこまで疲れなく
なったけど。
アメリカに住んでても決して流暢な英語でもなく
聞き取りなんてアメリカ人の発音なんか
スラングや隠語なんか混じって話されると
会話にもついていけない。
その劣等感と罪悪感が付随してたから、
アメリカ人でもよほど外国人に対して理解のある、
思いやりのある人でない限りうまくコミュニケーション
も取れなかった。
そう言った生き辛い自分の内面を本質的に
変えたいと思ったところがヒーリングに
辿り着いた動機だったと思う。
自分の内側の制限や抑圧された感覚から解放され、
人生を自由に生きたいと願っていた時期。
エンパス体質とはそのような肉体、感情、思考の
重いエネルギーにうまく対処できなく生き辛い
状態なんだと思う。
感情を浄化することはとても重要な変容の
プロセスで、先にあげたような思い込みや信念から
生じる思考と感情を何度も浄化することで
新しい自分を再構築するする。
人の感情は海の波のようなもので、
陰陽の浮き沈みの波が何度も上がっては消えてゆく。
エンパス体質と言われる人たちの場合は
その波のベクトルが上下に大きいか下に傾いてるか
という傾向なのだと思う。
ヒーリングでサポートできるのは
その浮き沈みをフラットな状態にリセットすること。
そしてそれを時折続けることで内観力が身につき
波の浮き沈みを軽減したり、
感情を手放しやすい状態になり、
不要な思い込みや、信念というものに気づきやすく
なるので意識を拡大して成長する助けになる。
人は誰しも人生の中で悲しみ、辛い思い、怒り、欲望、
などの感情を経験するもので、それらの一般的には
ネガティヴと言われることでさえ必要な経験だから
そう言った穢や傷ついた心は浄化したり手放したりは
できても、それを否定することはない。
否定し続けると自分の内側の光と闇との葛藤が
生じるから自己否定や自己卑下などが生じたり
鬱になったりもする。
汚い話、排便が人も含め動物にとってとても自然な
本能的行為なのと同じでネガティヴな感情は
否定するものではないのです。
ある意味ネガティブ感情は排泄物みたいな
ものと捉えたらいいかもしれない。
排泄することで体内の不要な
ものを手放し、また新しいものを摂取するという
循環のような。
そのストレスを貯めると精神的に病んだり
体に症状が出たりする。
だから人が不快な気持ちになった時に
「クッソー」って言葉を発するのは、感情の排泄を
吐き出したい衝動なのだから
ある意味理にかなってるのだと思う。
かつてキネシオロジーのセッションを中心に
やっていた時はその人の性格的な性質を変える事が
ヒーリングの究極的なところだと思っていたことも
あった。
けれどそう言ったセッションをやり続けていると
だんだん疑問が湧いてくる。
なんか自分が本質的に魂がやりたいヒーリング
ではないという感覚に葛藤していた時期もあった。
でも今は全く性質を変えるという事に捉われてない。
だってどんな人でもその性格や性質は必然的に
カルマや魂に必要な経験として生じるものだし、
その変容は人生の経験のプロセスを通過することで
生じるものだから。
ヒーリングはあくまでもその人生の学びを
円滑に、そしてバランスをもたらすための
サポーターであって、その人にとって
必要な経験が全うできるまでは性質が変わる
ということはできないのです。
だからエンパス体質や生き辛いとかで
苦しんでいる方達に何か伝えれるとしたら、
自分の執着に付随する感情と感覚を内観し、
それらを手放す作業を続けることだと感じます。
例えばお金に執着が強い場合、
もっと稼ぎたい、もっと欲しいという欲求が
不十分感、不足感を煽って不安や妬みの感情が
現れたり、
別の例えを言うと
愛に執着が強い場合、
もっと愛されたいという欲求が
不十分感、不足感を煽って不安や妬みの感情が
表面化したり。
けれど本質は何かを所有する事で得られる
幸せの代わりにその所有を手放す事で
軽く生きることかもしれない。
エンパスを通じて自分の内側に意識を向けやすい
環境にあるのは、とてもチャレンジングな事で
それを克服する事プロセスを通じての学びが
魂の求めるものだったりもします。
光と闇は表裏一体
どちらも同じワンネスのコインの中にある。
今日は久々にヒーラーモードでふとそんなことを
書きたくなった次第でしたー🙏
ホームページ https://motherearthsound.amebaownd.com
最後に最近のライブを紹介。
フィリピン人の女性ジャズシンガー・レオノーラと
先日小倉のSwing21で行ったデュオライブ
音楽は演奏する人の存在の光と闇のコントラストが
反映された魂のダンス(祈り)だと思う。
Youtube https://www.youtube.com/@osamuguitar/featured
先日母とドライブで行ったうきは市にある
流川の桜並木。
久々の快晴の天気で桜満開で
木花咲耶姫の春のエネルギー浴びてきました。