ひさびさのブログアップ
9月にまるひと月、ライブやヒーリングの
イベントで遠征の旅をして10月4日に帰ってきてから
今日に至るまでは燃え尽き症候群になった感じで、
演奏に関してほとんどやる気、気力がなくなってた。
思えば去年の今頃、
ニューヨークから日本に完全に引き上げて
本帰国をしたのが10月28日とかだったから、
本帰国1周年ということになるな。
日本に戻ってきてから、ずっと活動し続けて
やっぱり音楽やヒーリングで自分の活動を広げて
行かなきゃっていう気張りがあって、
何度もなんども挫折も無力感も味わいながら
それでも自分の才能とお導きだけは信じ
立ち上がっては気力を振り絞って
頑張ってきたなーって、
この一年半の日本での活動を振り返る。
いやー、本当にお疲れ様、
よく頑張ってここまでやってこれました✨
でもここまでやってこれたのは、
人生の旅の先々で出会った人たちとのご縁や
日本各地で見て感じた自然の美しさ、
親しい家族や仲間たちの応援や愛情、
そしてそういったご縁やそれを導いてくれた
多くのスピリット達のおかげだったと感じてる。
二週間ほど前、家で飼ってる猫のクリタが亡くなって
自分にとって初めて家族がこの世にいなくなることを
経験した。
その時、愛するものを失う喪失感というのは
全く感じなくて、その反対に肉体的にこの世界に
亡くなった存在が常に自分の中に存在している感覚
と共に、現存している時よりもさらに深いところで
繋がっている感覚の方が大きいなーと思った。
クリタの愛らしい情景を思い出す時はいつも
その存在を感じれる。
クリタはうちの家族に先立って死に向き合うことを
教えてくれた。
そういう意味でもこのタイミングで自分が
日本に戻ってきててよかったと感じる。
うちの父も母ももう高齢の晩秋を迎える人生の最中、
親のそばにいて一緒に不安も悲しみも
苦しみも喜びも笑いも、共に経験し分かち合いながら
生きることを全うしていきたい。
先日は母と一緒に佐賀県の方までドライブ旅行してきた。
母は武雄神社の大楠を見てみたかったらしく、
そこに行ってみたいと言う。
それならそこから近くにある嬉野温泉に泊まろうと思い立つ。
大昔、自分がまだ小学生だった頃に家族で旅行した
嬉野温泉にある和多屋別荘が空いていたのでそこに泊まった。
自分が子供だった頃の追想と新たな発見による記憶の書き換え。
武雄神社に向かう前に行ったのは神社から近い場所にある
塚崎の大楠。
大楠が好きで、日本に戻ってからと言うもの
大楠に導かれてる感じもあるし、悠久の年月を隔てて生きてきた
生命の力強さや優しさに愛と親しみを感じる偉大な存在。
それから武雄神社に向かった。
武雄神社の大楠は有名な御神木
珍しい白塗りの神社拝殿。
夫婦檜(むすびの樹)
武雄神社のある御船山の裏側にある御船山楽園という
庭園に行った。
御船山の切り立った岩肌の姿が美しく、春にはツツジの花が
咲くようで、きっとその時期は本当に楽園のような美しい
場所なんだろうと思う。
和多屋別荘の川を渡る廊下から夕焼け空を眺める。
金魚の灯火が廊下に飾られてる姿が風情を感じる
こちらも、金魚の灯りのアート作品
起きてまもなく、母と一緒に部屋から眺める朝日。
いつも早起きしない母はこの時、滅多に見れないこの
太陽の美しい神々しさに感動の声を発していた。
嬉野の町にある豊玉姫神社はナマズが祀られている。
美肌の守り神。
宿の温泉に入ると肌がツルツルして確かに美肌効果がある。
神社内の木と太陽
鹿島市にある祐徳稲荷神社
自分は初めてそこに行ったのだけど、
母が鹿島市に祐徳稲荷神社があると言うことを呟いていたので
行こうと思い立ったのだけど、想像以上にいいところだった。
母とゆっくり山の坂を登って奥宮に到着
佐賀の平野と有明海と広がる空の景色がサイコーだった。
ここまでこれてよかった。
そこから鹿島の道の駅に停まって、
海沿いに行くと有明海の干潟を眺められる。
サイコーの秋の空
干潟の大地を見ているとムツゴロウがたくさんいた。
大小だいたい3〜10センチくらいだろうか、、
初めて見ることが出来て感動。
旅の最終目的地は佐賀大和の道の駅
そこでお土産買ったりアイスクリーム食べたりした。
川沿いに柿の木。
柔らかく熟していた。
収穫の秋、豊かさの秋、文化と芸術の秋
日本の空はやっぱりこの時期が一番好きだなー。
晴天の秋の清々しい空気と空、太陽、山と木々達、風と雲に
祝福されながら52年の豊かな人生に新たに注がれる光の旅でした✨
Love💖&Light✨