フジミ模型製1/700 戦艦 山城を作りました。

 

フジミ模型の商品は箱開けると、こってりとランナーキットが入っています。

自分なんかは、作り応えがありそうで嬉しくなるものですが、「細かくて嫌だ!」とのたまう人もいらっしゃる様で・・・。

たぶんそう言う人はエッチング化なんて恐ろしいと思うのでしょうかね。

極端な話、自分なんか実艦をドラえもんのスモールライトで1/700にして飾りたい!と思ってますし(笑)、いえ、艦船なら駆逐艦クラスでもいいから実艦欲しいとも・・・爆笑。

まぁ、そんな気持ちで模型作りしてる今日この頃。

山城のモデルは昭和16年タイプです。

そこにフジミ製専用エッチングではなく、アオシマ製エッチング+木甲板(多少ジャンクエッチング)で製作をはじめたのが、いけなかったか・・・。

なぜアオシマ製エッチングなのか・・・

単純にショップに純正品が売って無かったのと、アオシマ製の在庫があって安かったから(購入当時エッチング+木甲板1400円!!)

アオシマ製リテイク山城も売ってましたが、申し訳ないぐらいにアオシマ艦船であまりいい思い出が無いもので・・・。

ただフジミ製も16年モデルしかなかったのが残念。

しかし、フジミ艦船に1942~1944アオシマエッチングが使えるのか!?というある種の不安もありましたが「大丈夫でしょ」という声がどこからか聞こえてきたもので造船開始してしまいました(笑)

フジミのこのキットにはバラストがついていません。

ついてないことが多いので、東急ハンズで鉛板(売ってるときはロール状)を購入してあります。

この鉛板、もちろん戦車にも、飛行機のバランス調整にもすごくいいです。

鉛板は柔らかいのでナイフで切ったり加工しやすいので重宝してます。

↑舷外電路をつけていきます。フジミ製には舷外電路の刻印がありますのでそのままでも良いのですが、エッチングについてたので・・・。

で、この舷外電路、アオシマさんの取り付け指示場所がバルジキ―ル付近、(多分)間違ってるんです。

バルジの上部サイドに貼って・・・とあるのですが、どこを調べても「バルジと船体の際」であって「上サイド」ではないのです。(フジミさんの彫刻通りでしょうか)まぁ、山城に乗ったことないので(笑)そんなことが分かったところでしょうか。

↑フジミ製のサーチライトはクリヤ―パーツなので、レンズ後部にシルバーを塗り、レンズ部にはマスキングを施してから軍艦色を塗ります。乾いてからマスキングを取ると探照灯らしくなるのでものすごく気に入ってます。

ただ、艦載機のクリアータイプは嫌いです。特に水上機のフロートが透明で小さいと、すごく分かりづらいのですよ。

塗ってから付けると接着が弱いもんで、これも困るし・・・。

↑船体にアオシマ製木甲板シールを貼ってみました・・・。

あたりまえですが1/700という基本縮尺なのでサイズ違いはありませんでした(汗)

ただ、削り落さないとつかない部分も多数ありました。(これは純正木甲板でもありますね)

失敗だったのが、アオシマのだと艦橋基部は木甲板が張られたシール(多分純正だとその部分はくり抜くはず)なのに気がつかず、そのまま組んでしまったことです・・・。

ので、第二砲塔・艦橋基部が木甲板の厚み分浮いてしまってます。

これにあとで気づくのですが時すでに遅し状態でした。これが不運艦のはじまりになってしまうとは。

↑完成した戦艦山城。

艦首部のアンカーチェーン周りはアオシマのエッチングはよくできてると思います。

後部の艦載機クレーンと艦載機台車の作りもなかなかいいです。欲を言えば艦載機移動レールも欲しいところ。

↑なぜ16年モデルにレーダーが付いてるのか?とかの突っ込みは無しでネ。だってレーダー付けるとカッコいいんだもん。

こうやって見ると日本海軍戦艦は外国艦と比べて艦橋が高くていいですねぇ。

特に、扶桑とこの山城の違法建築が。(笑)

↑バゴダマストの艦橋は山城の特徴ですね。扶桑の方がもっと不安定そうですけど(笑)

↑正面から見る日本海軍の戦艦は、いかにも「鉄の城」ですね。

木甲板も付けるとグッと引き立ちます。

↑左舷側。1941年モデルと1944年モデルでは近代化改装はあまり影響はないのですが(艦橋の張り出し構造や上部見張所が多少違う)、対空兵器が大幅に向上しています。これは昭和16年モデルなのであっさり感。1944年モデルだったら、甲板は機銃だらけになっているはずですね。

↑総評・・・アオシマ製エッチングでもちゃんと合いました。ネットでアオシマの山城を見るとリテイク品であっても水密ドアの彫刻が無い・・など、やっぱりフジミのこだわりにはかなわないのではないでしょうか。

まぁ、好きな人はエッチングの水密ドアぐらい付けるでしょうけれど。

アオシマさんもがんばって欲しいものです。秋月型駆逐艦なんか、もう古過ぎだもの。

アオシマ製エッチングは扱いやすく、なかなか良い作りです。

自分の模型制作にエッチングも出来れば国産で!と個人的にこだわってます。

先のシャルンホルストにはやむなくアメリカ製エッチングでしたが、最近は”変に高い中国製”があるので気をつけねば。

彼の国は尖閣諸島や沖ノ鳥島を狙ってますからね。

↑カッタ―ボート周りは白糸で加工。

↑フジミ製山城の場合、艦橋部を一度素モデル組みしてから、エッチング化する部分を削除・入れ替えた方がいいと思った次第です。

というのは、先にエッチング化して組んでしまうと、山城独特な艦橋後部の補強板取り付け時に艦橋全体を上から押さえつけるためにエッチングを押しつぶしてしまうのです。

で、出来あがった山城の艦橋は、よく見るとエッチングの押しつぶしに配慮しながら後部補強柱をつけようとしたので、ピンセットやナイフでいくら調整してもうまく入らず上部がやや反ったままに・・・。泣

しかも、前述したように艦橋基部の木甲板厚み分浮いて支柱基部に隙間ができてしまいましたので、最強の違法建築物になってしまいました。(笑)

↑上空から見た((笑)戦艦山城。

これで我艦隊の戦艦扶桑型4隻竣工です。

あとは戦艦武蔵と、戦艦陸奥、金剛型3隻で連合艦隊戦艦揃うはずなんだけれど・・・(笑)

↑横須賀軍港前の公園にある軍艦 山城の碑(現在)

戦艦山城はここ、横須賀海軍工廠で1913年起工。

扶桑、山城、伊勢、日向の戦艦4隻の同型艦のはずが、手探り状態での設計であったため、それぞれ違う改良が施されて、4艦とも艦橋やマストの影映が違うものとなってしまいました。

山城には当初、艦上水泳のためのプールがあったり昭和天皇が乗艦したこともあったようです。

35.6センチ主砲6門という装備は当時世界最強でしたが、そのため艦中央部防御が弱い、という指摘が当初からあったらしいです。

そして、その鈍足のために、戦中はほとんど内地で訓練艦として鎮座し、活躍することもなかったこの艦も、連合艦隊の艦船が消耗するにあたり、いよいよレイテ沖海戦に参加することになりました。

 1944年、西村艦隊に配属されたこの旧式艦は鈍足のために、戦艦大和、武蔵他新鋭艦で組まれた栗田艦隊(北方突入)とは別にレイテの南方から姉妹艦の扶桑とともに(他巡洋艦は最上のみで)細いスリガオ海峡を抜けてレイイテ湾に突入する作戦でした。

しかし、これも米軍には筒抜けで、海峡の出口で待ち構えるキンケイド中将は戦艦6隻、重巡洋艦4隻、軽巡洋艦4隻、駆逐艦26隻、魚雷艇39隻という戦力差でした。

これが悲劇の西村艦隊はじまりです。

米軍の制空権内のため、せめて空襲だけは避けることで夜戦に挑んだ西村艦隊ですが、米艦の放った魚雷1本で被雷した戦艦扶桑があっという間に真っ二つに折れて漂流・・・。その被雷で電源系統の損傷もあってかサーチライトも無線信号も主砲発砲もなく沈黙状態だったとか・・・。やっぱり艦中央部が急所だったのでしょうか。

西村艦隊は敵味方入り乱れての夜戦で、同士打ちや誤認(二つに折れた戦艦扶桑を2隻被弾火災と見たり、山城と扶桑を勘違いされたり)もあり、あっという間に駆逐艦時雨だけを残して全滅してしまいました。

この戦艦山城も、戦闘中、艦中央部から後部が被弾、被雷して火災で沈黙する中、バゴダマストの艦橋が崩れ落ち、第一、第二主砲だけが発砲していましたが、その後の被雷で沈没寸前まで第一主砲だけが応戦していたといいます。乗員1500名あまりの中、生存者は10名しかいなかったとか・・・。旧式艦で3、4倍の敵と交戦しては勝てるはずもなく。

後から来た志摩艦隊もその惨状と敵情不明からの混乱で衝突事故、同士打ちをして戦意喪失して引き返してしまいます。

これが太平洋戦争での最後の戦艦同士の海戦と言われた実状です。

 

戦艦 山城に栄光あれ。