─黄金の都─

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シボラといいます!日々、感謝の念やいろいろな想いを綴っていきたいと思います。ご意見ご感想大歓迎(ノ`・∀・)ノ

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最近の政治はつまらないばかりで、ブログもまともに更新できない。
政治と総称されるが、各種メディアが伝える事は、基本的に政局。
政治というものは本来、政策で競う場であって、決して政治家の中の人間関係の流動性で競われるものではない。

さて、昨今、石原慎太郎氏が都知事を辞し、国政に再度挑むという意を表明したと、多くのマスコミが報じている。

まず、言っておくが、これに関して私は否定的だ。

何よりもまず、石原氏の年齢が問題である。氏は現在80歳である。そして、「近いうち」解散がいつか全くわからないので、2013年初旬と仮定しよう。ここでは、便宜上、数え年で82歳と言っておく。その82歳の人が何をできるのであろうか?

個人的な話だが、老年の方々(自民党ではいわゆる長老。)はその職を退いて若い世代に譲るべきだと考えている。

日本は国債(国家の借金)が非常に多い。老年の方は自分で背負うものは少ないが、若い世代には正に今も肥大する、それの負担も大きい。だからこそ、老年の方が無責任にその負債を増やす恐れがあると憂慮している。しかしながら、若い世代にとっては、我が身に降りかかる火の粉。どうして、懸命に軽減させようとしないことがあるだろうか。

歳だけが問題なのではない。石原慎太郎氏の子息も受け継いでいるようだが、「失言グセ」がある。作家であるにも関わらず、言葉の選定が不適切なことが多々ある。つい先日、氏は
『「もうちょっと若い人に人間の連帯感というものを感じてほしい。自衛隊に入ってでもいいし、警察ででもいいし、無償の行為をする経験をしてもらった方がいい。実際にやるかやらないかは仲間と相談する」
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121025/stt12102516430018-n2.htm』
と発言している。
自衛隊員も警察官も、有償である。これだけでは、ただの揚げ足取りだが、現行の日本国憲法では、『第九条①日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 ②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。』と厳格に規定されており、軍隊はもたない。
しかし、徴兵制などを施行してしまったら、軍隊ではないと言ってきた「自衛隊」の存在がますます、軍隊と同じになってしまう。自民党の新憲法草案の様に、国防軍と規定して、その上での徴兵制ならば全く制度的な問題はないかもしれぬ。

さらに、私は比例で当選した政治家は基本的に好かない。本当に国民の支持をその人が受けているか分からないからだ。この点では、山本一太代議士(自民党)が、自民党総裁選で候補を選ぶ基準としたものと同じであると考えている。
しかし、氏は比例で出馬すると一部報道で言われている。もしこれが本当なら、支持をするべくもない。

そして、やはり特筆すべきは

1975年 (昭和50年) 、石原は初めて東京都知事選挙に出馬した際の演説において、対立候補の美濃部亮吉(当時71歳)に関して「もう新旧交代の時期じゃありませんか、美濃部さんのように前頭葉の退化した六十、七十の老人に政治を任せる時代は終わったんじゃないですか」と発言し、政治家は遅くとも70歳前に引退すべきとする考えを表明した。』(ウィキペディアより)
である。
そして、今現在、氏はどうだろうか。これは、年齢と失言グセの両方を包含しているが、氏の発言が自縄自縛となっている。一貫性がないと言っても良いだろう。

これからも、批判の檄は飛び交い続けるだろう。