今から書くことは、じいさんが幸せだったかどうか、無理やり自論で納得する内容です。

 

一部の方に暴論になりえるので、不安な方は見ないようにお願いします。

 

って言っても、誰もこんなとこ見ちゃいないだろうけどw

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当に、生殖に関して難のある方にとっては酷い暴論になりえます。絶対に見ないでください。

あくまで馬鹿で出来の悪い孫が、じいちゃんの死に直面して、幸せだったかどうかを無理やり納得するだけの内容です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

亡くなる前日、ひ孫(息子)の顔を見せに施設へ。コロナのおかげでなかなか会えなかったが、いよいよ最後ということでしっかり挨拶ができた。意思疎通は全くできなかったが、ひ孫の顔を視界に入れた瞬間、じいさんは少し笑顔になったようにも見えた。そう見えたのは、ただの願望だったのかもしれないけど。

 

じいさんは呼吸をするのもやっとで、沢山管もつながっていて、とても苦しそうに見えた。体は2回りほど小さく感じた。

 

 

 

深夜、息を引き取ったとの連絡が入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

じいさんは、はたして幸せだったのだろうか。

 

幸せと不幸について、昔からよく考えている。これはあくまで自論で、根拠は一切無い。じいさんが幸せだったと無理やりこじつけるだけの都合の良い話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

命の最後の瞬間。意識が体という乗物から降りる瞬間。肉体や脳の機能を手放し、意識は別の世界へ。あるいは意識ごと消えてなくなる瞬間。いろんな物が無価値となる。

 

お金、地位や名誉、高級車、宝石、肉体、知能や知識、能力、コンプレックスや障害、後悔なども。脳の機能である思い出や感情、友人や配偶者の存在までもが無意味、無価値となる。

 

手に入れてきた物の、ほとんどすべてを手放す瞬間、唯一残るものがある。

 

自分が継いだバトンを次へ繋いだかどうか。遺伝子を継いだかどうかの価値だけが残る。これが最後の最後、幸と不幸を分かつ。

 

たとえ関係性が破綻していても関係ない。絶縁していたとしても、いがみ合っていたとしても、そんな感情は脳を手放した瞬間に無意味となる。

 

機械的に、本能的にDNAを繋いだかどうかが、全生物の最後の幸せを決定する。

終わり良ければ総て良しなんて言う言葉もあるしね。

 

 

 

 

他の生物を見てみる。全ての生物はその本能に従って、命を賭してでもバトンを繋ごうとする。例外は無いんじゃないかな。

虫も微生物も、雑草もプランクトンも、遺伝子を繋ぐために生きて死んでいく。

まるでそれにしか価値がないことを知っているかのようにも見える。

 

 

もっと簡単にまとめると、

生を得て、道中得た物は亡くなった瞬間に無価値となる。唯一残る価値は次へ繋いだかどうか、という事実だけ。これが幸と不幸を分ける。

 

これに当てはめるなら、じいさんは幸せだっただろう。全てが終わり、全てを手放したその瞬間、幸せだったろうと思う。子、孫、ひ孫までも間違いなく繋がっていたんだから。

 

どんな辛く苦しい人生だったとしても、これで生物としての最終目的地。じいさんの幸せが証明できたと思う。

 

おつかれさま、じいさん。安心して逝っておくれ。ここからは俺たちが、じいさんのバトンをしっかり繋いでいくよ。