太宗台

 

第8期SNSリポーター

吉田大志

 

こんにちは。今から太宗台について説明したいと思います。

太宗台は、釜山のチャガルチ市場などがある南浦洞のすぐ目の前の影島の先端に位置する公園です。

 

 

最高峰250mの太宗台は大小さまざまな岩石からなる絶壁で,鬱蒼とした森と波打つ絶壁の海岸が本当に絶景でした。 200種類以上の樹木と,孤島に見られる様な変化に富んだ枝振りの黒松を楽しむことができました。。快晴の日には五六島はもちろんですが、対馬が見ることができます。釜山の代表的な観光地です。

太宗台の名前の由来は新羅時代にさかのぼります。新羅の第29代王太宗武烈王が百済と高句麗を下し三国統一した後、領土を巡回しているときにこの太宗台の景色に惚れ込んだことから、太宗台という名前がつけられたと伝えられています。その後、1906年に初めてこの地に灯台が作られました。1980年以降、名勝地として全国的な観光地にするため循環道路や遊園地、展望台が整備され、古くなった灯台などを中心に工事が行われ、2004年8月に現在の姿にリニューアルしました。2005年には、大韓民国指定名勝第17号に釜山影島太宗台として指定されました。太宗台公園は、入り口から公園を一周する形で循環道路が作られており、道なりを歩いて散歩すると一周大体1時間30分ほどで観光できるようになっています。散歩道沿いには、松や椿などの季節の樹木が植えられ、散歩をしながら森林浴を楽しめるようにもなっています。ただ、帰りはそこまで大変ではないですが、行きの上り坂を歩くのは少々辛いようです。

 

 

そこで、私たちは「タヌビ」とよばれるかわいらしい列車で園内を移動しました。停留所がいくつかあり、途中の乗り降りは自由で、時間はおよそ20分間隔で運行されています。数年前までは展望台の近くまで車で行けたそうですが、太宗台一帯の自然保護のために乗り入れが禁止になり、代わりに「タヌビ」が導入されることになりました。ゆったりと進む列車はおよそ10分程度で展望台に到着しました。太宗台の見どころを案内する日本語の車内放送がありました。

 

 

タヌビを降り、展望台に着くと、待っていたのは一面に広がる釜山の海でした。展望台のすぐ真下を見ると、断崖絶壁の岩肌があり、波と絶えず激しくぶつかっていたのです。そのあたりの海の色はエメラルドグリーンで、数十メートル先からは紺碧の海が広がっていました。そして展望台を突き抜けてくるやや潮の香りがする風は、私を心地よい気持ちにさせてくれました。あまりにその風が強いので、私のかぶっていた帽子が飛ばされそうでした。ヒヤッとしました。(笑)

 

 

そういえば、展望台の横には、母子像がありました。不思議に思ったのでガイドさんに聞いてみると、景色があまりにも美しいため、展望台で自殺する人が多く、母親の愛情をもう一度思い出してもらい、心の安らぎと生きる希望を抱かせるために、つまり自殺を踏みとどまってもらえるように設置されたそうです。展望台の上の階には、レストランがありました。釜山の海を一望できるシーフードのレストランのようです。にぎわっていて美味しそうでした。

 

 

私が一番太宗台で興奮したことは、展望台に設置されてる望遠鏡を使って対馬をはっきり見られたことです。テンション上がりました。日本と韓国って、本当に隣国なんだなと感じました。

そのあと、私は灯台に移動しました。灯台から見た景色は、展望台からの景色よりも海との距離が近いため、美しい潮の流れや水平線を思う存分堪能できました。個人的には、灯台まで向かう道がおすすめです。釜山の海を五感で感じられますよ。

灯台には神仙岩という岩がありました。神仙が降りてきて住んだという言い伝えからこのように名付けられたそうです。また岩の先には、女性の銅像がありました。日本に捕虜として連行された夫の帰りを待ちわびる様子を表現しています。日本と韓国の間にある暗い歴史を思い出しました。

 

 

太宗台は釜山に行った際のマストスポットです。日本は島国なので、どうしても外国に対して必要以上に物理的にも精神的にも距離があると思いがちだと思いますし、実際私も今回の訪韓に参加させていただくまでそうでした。しかし、日本にとって韓国は有史以来交流を続けてきた国です。お互い数多くの似たような文化を持っています。また、私は大学で経済学を専攻しているのですが、韓国は日本が経済的に成長するうえでなくてはならない国ですし、韓国にとっても日本は経済的に重要なパートナーだと習いました。実際、2016年時点で日本にとって韓国は第3位の,韓国にとっても日本は第3位の貿易相手国となっています。多くの日系企業が韓国でビジネスを行っていますし、韓国系企業も積極的に日本に進出しています。

私は対馬を見ながら、日本と韓国が暗い過去を乗り越え、いつまでも仲良くあってくれたらなと思い、太宗台を後にしました。