18年前、音楽事務所SMエンターテインメント所属(以下SMと略す)の9人組がデビュー曲Into the new worldを発表し、瞬く間にKPOPガールズグループのトップに躍り出ました。
後に少女時代となるメンバーがSMの練習生となるまでの経緯(概略):
2000年:
まずジェシカが練習生としてSMに入ります。
(ミュージックビデオ撮影の、妹クリスタルを応援するために訪問したジェシカもSMの目にとまり、姉妹は練習生提案を受けることになります)
ヒョヨンは練習生時代以前から評判の神童ダンス少女として、いろいろなイベントで公演した経歴もある子役スターでした。
(練習生初期、既に女性ダンサーとしてはすべての技術をもっていた上、パワーが必要なポップ(popping)を楽しむために、むしろ男性ダンサーとの練習を主としていました)
スヨンも2000年にSMの公開オーディションを通じてSMの練習生として入社します。
(幼い頃から背が高くて、ダンスの動作の線がきれいで注目されたスヨンはSMの練習生になって1年目に歌手デビューできる絶好の機会が来ます「日本のTV Tokyoの『ASAYAN』」)
2001年にはオーディションのダンス部門で優勝しダンスチャンピオン(ダンスちゃん)となったユリが練習生として入ってきます。

(幼い頃から町内の大小のダンス大会で優勝し、天賦のダンスと表情の余裕は幼い頃から作られたようです)
2002年のオーディションには当時小学校6年生のユナが通過して練習生となります。

(100%確認された事実ではありませんが、当初、ユナは3人組でのデビュー計画があったようです。
その3人組の練習生は、後日、韓国の人気女優になるコ・アラとユナ、そして後日少女時代の末っ子となるソヒョンだったようです)
2003年のオーディションでは小学校5年生のソヒョンが童謡を歌って練習生に合格。
(2002年SMのマネージャーは、地下鉄で偶然親戚のお姉さんと一緒に親戚の家に行っていた「徐朱玄」という小学生を発見してSMのオーディションを提案します)
2004年にはオーディション歌部門でテヨンが歌チャンピオン(歌ちゃん、大賞も受賞)となって練習生となります。
(テヨンに歌の練習をどのようにしていたかと訊いたら、一人でコンピューターで歌を演奏して練習していたといいます)
同年アメリカカリフォルニア州からティファニーが太平洋を渡りオーディションを受け合格。
(2004年LA韓国人祭りで行われた歌のコンクールで優勝はできませんでしたが伸びのある歌唱力と可愛い笑顔のために、海外で才能のある練習生を探していたSMからオーディション受験のオファーを受けました)
2006年2人組でデビュー直前であったサニーは父親の音楽事務所の経営悪化により、SMに移籍され練習生になります。
(事務所先輩で既に人気のあったSugarのICONIQが、研究生サニーの才能を見守っていて、SMにサニーを推薦したからです)
少女時代デビューまでの経緯(概略):
2005-2006年頃からSMは練習生デビュー班(いつデビューしてもおかしくない程の実力者)の予備候補を対象に、後に「少女時代」としてデビューすることになる別名「女子団体チーム」の構成を開始します。
デビュー前は「女子団体チーム」、「女子スーパージュニア」、「スーパーガールズ(仮)」などという別称で呼ばれた少女時代。
結局、予備候補19人が登場し、結果的には4回の変動がありました。毎回、11-12人の予備候補がノミネートされました。
1回目からノミネートされていたメンバーは
ジェシカ、ヒョヨン、 スヨン、 ユリ、ユナ、 ソヒョン(この6人は4回とも候補生に入っていた)。
SM自体も試行錯誤し、最初から9人と決まっていたわけではないようです。
メンバー候補に選ばれても次回の選考に残れなかった練習生は、その後SMを離れ、歌手、女優などをはじめ大部分が各方面で活躍している。
(メンバーに選ばれなくても、普通の練習生に戻ることも可能でしたが、そのようなケースは無かったようです)
少女時代のメンバーは最終ショーケース以降、 9人のメンバーで確定、ここに少女時代が誕生しました。
2007年8月5日 Into the new worldでデビュー

ユナをセンターポジションに据え、統一のとれたフォーメーションのダンスとボーカルのステージは圧巻でした。
2007年デビュー後も、歌・ダンス・外見などそれぞれがお互いを補い合って予想をはるかに超える人気グループに成長して行きました。
おことわり:
少女時代デビューの経緯については、韓国の古くからの少女時代ファンがブログなどに寄稿したものを編集・翻訳されたものを参考にしています。







