犬のように尻尾を振り、猫のように寝る。 | 子供達になにを残すかを考える

子供達になにを残すかを考える

いったい僕は可愛い3人の子供達に何を残すことができるだろうか・・・?

そんなことを思い初め、残りの半生を子供軸で過ごしていきたいと考えはじめました。

自己を磨くこと、子供達の心をしっかり受け止めること、日々の気付きをノートにしようと思います。

なぜ人は怒ったり、嘆いたりするのか?

 

考えた末、何かに怯えた時にこの感情が発生するのではないか?

 

怒っている人は何かに怯えているのだ。

 

よく、逆ギレというが、逆ではなくストレートな感情であって、

その人から信用されないのではないかという恐怖、間違いを指摘され、自分は人より劣っているのでは?という恐怖が生まれる。もしくは、ほんの少しの罪悪感からなる場合もある。

 

そんなことは考えなくてもいいのだ。

 

まず、人は100%失敗する生き物なのだ。失敗したことがない人はこの世に存在しない。

 

失敗したことを素直に認め反省し、改善に動こうとすることこそが人からの信頼を得ることができる。

 

自己の行いを正当化しようと感情的になっても、相手には伝わらない。例えそれが正当な意見があったとしてもだ。

 

そうなると、人は議論の内容はどこかにいってしまい、相手を倒そうとする感情だけが生まれてしまう。

 

しかし、感情とは不思議である。一晩寝ると冷静さを取り戻し、昨日のことが嘘のように後悔の念ばかりが頭中を駆け回り始める。

 

感情とはなんて無責任なんだ。

 

 

次に、人より自分は劣っているのでは?という恐怖が存在する。この劣等感こそが人を突き動かす動力にもなるが、

ただただ、悲観し自己を否定してしまうことに陥ることがある。

 

一つの考えとして、自分と他者を比べなければいいのだ。

 

人は日々自分のことしか考えていない。例え愛する特別な人のことでさえ、ほとんどその人目線で考えていない。

 

つまり、人はいちいち他者のことなど深く考えていないのだ。

 

ただ、その人、その人の領域があり、そこに立ち入る時だけ慎重になればいい。

 

そもそも人間、優劣などない。し、優劣はある。

 

(なんかおかしなことになってきたな・・・)

 

いや、いや、つまり、いい所は人それぞれ違うということ。

 

なので比べる必要がないということ。

 

 

 

食物連鎖の頂点にいる人間が、その地位を獲得できたのは進化の過程において、

 

生き死に意外での恐怖を持ったことによって大きく進化することができたのではないか?

 

そこに道徳観や哲学という人間だけが持つ概念が生まれ、さらに飛躍することになったのでは?

 

 

僕は今、人類として存在する。

 

存在するということは、進化の経過の中にいる。

 

人類が進化することは善なのか悪なのかはわからないが、進化させるのはその種においての義務のようにも思っている。