スーパーGT岡山ラウンドとコレクション達⑫
もたもた書いて今回でやっとラストです
星野さんと別れたのが昼前。
お腹も空いたので腹ごしらえをしょうと、ちょっと遠いが(TEAM IMPULのピットが渡り廊下から一番遠い
)メインスタンド側に戻るため歩いていると、『え?
』一瞬目を疑いました。
なんと黒沢元治(通称ガンさん)さんがいるではないか
僕は、自分のブログの立ち上げネタにも取り上げるほどの日本一(自称)の黒沢元治ファンです
油断してた僕はつい『うわっ
』と叫んでしまいました
その声を聞いて周囲もガンさんも驚くほどでした
まさか岡山まで来るとは
何も準備をしてない事に一瞬ヘコミましたが、気を取り直しお約束のサインと写真撮影をして頂きました

舞い上がっていた自分は、ガンさんと一緒にいた人に撮影をお願いしたのですが、出版業界の著名な方らしくガンさんに『君、すごい人にお願いしたねぇ』と言われる始末
惜しみながらもガンさんとサヨナラした頃スーパーGTのスタート進行が始まってました。

グリッドウォークも進行してました↑
メインスタンド側に戻り食事も取り余韻に浸ってたのですが、スッキリしない自分がいました
やはり、なにかグッズにサインが欲しい
そう思うとブースに駆け込み物色開始です
いろんなブースに行きましたが、ピンと来るものがなく諦めモードに入りかけた時に最後のブースで見つけました
そう
ミニカーです
その店にガンさんがドライブした車が一台あったのです
それがこれ↓

エブロ製 1/43 日産スカイラインGT-R
KPGC10レーシング 1972富士♯15

有名すぎる49連勝、通産50勝(実際はもっと多いらしい)を達成した、名車「ハコスカGT-R」です。
ガンさんは49連勝目を挙げるなど7戦7勝とGT-R伝説の一角を担ってます。

ここで少し、黒沢元治ヒストリー
1940年8月6日生まれ茨城県出身
1962年鈴鹿サーキット完成記念のオープニングレース第1回全日本選手権ロードレースの第1レース50cc第2レース125ccで優勝
1965年日産と契約を機に四輪に転身
日産系の追浜ワークスで高橋国光、北野元と共に「追浜ワークス三羽ガラス」と称され数々のタイトルを獲得
1974年の富士GCでの事故が原因で、選手として絶頂期にトップカテゴリーからの引退を余儀なくされる
その後はレース活動と並行して担当していたブリジストンのテスター(ポルシェ公認になったRE711を開発)、日本カーオブザイヤー選考委員、市販車の開発(マツダロードスター、ホンダNSXなど)に携わるなど、日本の自動車業界を陰ながら支えた。
メディアではベストモータリングビデオでメインキャスターを勤め、辛口評価で日本車の発展を願った。
70歳の現在もホンダのアドバイザーなどをしている。
息子は岡山ラウンドにも参戦していたLEXUS TEAM LeMans ENEOS監督の黒沢琢弥氏、TEAM マッハのドライバー黒沢治樹選手、前哨レースのバッテリーカーレースでトップを激走した黒沢翼選手の3人
話が尽きないので話を戻しましょう
ミニカーを購入しダッシュでガンさんの元へ
先ほどの場所にいましたガンさん
僕は、ゼーゼー言いながら『黒沢さん有りました』とガンさんにミニカーを渡し、改めてサインを頂きました↓


サインを貰った後、ガンさんとしばらく、お話させてもらいました。
現在も首都圏に住んでるらしく、この日は岡山まで一人で運転して来たらしい(70歳ですよ
)
いろいろ話しましたが、5分ほどしてお別れしました。
そこで緊張の糸が切れたように、僕のスーパーGT岡山ラウンドは終わりました
歩き疲れたのもあって、レース中盤まで観戦してサーキットを後にしました。
サイン目的で行って、収穫はミニカーのケースにサイン×6、色紙サイン×3とちょっと少なかったですが、しかし最高のサプライズ、一番サインが欲しい人(ガンさん)に貰えたので、僕のスーパーGT岡山ラウンドは最高の思い出になりました
ダラダラ書いて来ましたが、これでスーパーGT岡山ラウンドとコレクション達は終わりです。

星野さんと別れたのが昼前。
お腹も空いたので腹ごしらえをしょうと、ちょっと遠いが(TEAM IMPULのピットが渡り廊下から一番遠い
)メインスタンド側に戻るため歩いていると、『え?
』一瞬目を疑いました。なんと黒沢元治(通称ガンさん)さんがいるではないか

僕は、自分のブログの立ち上げネタにも取り上げるほどの日本一(自称)の黒沢元治ファンです

油断してた僕はつい『うわっ
』と叫んでしまいました
その声を聞いて周囲もガンさんも驚くほどでした

まさか岡山まで来るとは

何も準備をしてない事に一瞬ヘコミましたが、気を取り直しお約束のサインと写真撮影をして頂きました


舞い上がっていた自分は、ガンさんと一緒にいた人に撮影をお願いしたのですが、出版業界の著名な方らしくガンさんに『君、すごい人にお願いしたねぇ』と言われる始末

惜しみながらもガンさんとサヨナラした頃スーパーGTのスタート進行が始まってました。

グリッドウォークも進行してました↑
メインスタンド側に戻り食事も取り余韻に浸ってたのですが、スッキリしない自分がいました

やはり、なにかグッズにサインが欲しい

そう思うとブースに駆け込み物色開始です

いろんなブースに行きましたが、ピンと来るものがなく諦めモードに入りかけた時に最後のブースで見つけました

そう
ミニカーです
その店にガンさんがドライブした車が一台あったのです

それがこれ↓

エブロ製 1/43 日産スカイラインGT-R
KPGC10レーシング 1972富士♯15

有名すぎる49連勝、通産50勝(実際はもっと多いらしい)を達成した、名車「ハコスカGT-R」です。
ガンさんは49連勝目を挙げるなど7戦7勝とGT-R伝説の一角を担ってます。

ここで少し、黒沢元治ヒストリー
1940年8月6日生まれ茨城県出身
1962年鈴鹿サーキット完成記念のオープニングレース第1回全日本選手権ロードレースの第1レース50cc第2レース125ccで優勝
1965年日産と契約を機に四輪に転身
日産系の追浜ワークスで高橋国光、北野元と共に「追浜ワークス三羽ガラス」と称され数々のタイトルを獲得
1974年の富士GCでの事故が原因で、選手として絶頂期にトップカテゴリーからの引退を余儀なくされる
その後はレース活動と並行して担当していたブリジストンのテスター(ポルシェ公認になったRE711を開発)、日本カーオブザイヤー選考委員、市販車の開発(マツダロードスター、ホンダNSXなど)に携わるなど、日本の自動車業界を陰ながら支えた。
メディアではベストモータリングビデオでメインキャスターを勤め、辛口評価で日本車の発展を願った。
70歳の現在もホンダのアドバイザーなどをしている。
息子は岡山ラウンドにも参戦していたLEXUS TEAM LeMans ENEOS監督の黒沢琢弥氏、TEAM マッハのドライバー黒沢治樹選手、前哨レースのバッテリーカーレースでトップを激走した黒沢翼選手の3人
話が尽きないので話を戻しましょう

ミニカーを購入しダッシュでガンさんの元へ

先ほどの場所にいましたガンさん

僕は、ゼーゼー言いながら『黒沢さん有りました』とガンさんにミニカーを渡し、改めてサインを頂きました↓


サインを貰った後、ガンさんとしばらく、お話させてもらいました。
現在も首都圏に住んでるらしく、この日は岡山まで一人で運転して来たらしい(70歳ですよ
)いろいろ話しましたが、5分ほどしてお別れしました。
そこで緊張の糸が切れたように、僕のスーパーGT岡山ラウンドは終わりました

歩き疲れたのもあって、レース中盤まで観戦してサーキットを後にしました。
サイン目的で行って、収穫はミニカーのケースにサイン×6、色紙サイン×3とちょっと少なかったですが、しかし最高のサプライズ、一番サインが欲しい人(ガンさん)に貰えたので、僕のスーパーGT岡山ラウンドは最高の思い出になりました

ダラダラ書いて来ましたが、これでスーパーGT岡山ラウンドとコレクション達は終わりです。