『翼』を読み、(またや?)涙が止まらなかった。二度目なのに・・
最初の方では、自分が成長したのか、
キャラクターを自分にひきつけたり、置き換えたりするのをやめて、
「冷静」に読めるようになったと喜びすら感じたが、
ただ単に作者がゆっくりしたペースでストーリーを展開していたからに過ぎないって、
いまさら気付かされた。
前回のように、一人ひとりのキャラに、
こじつけのように自分の「物語」を投影し、
勝手に涙を流したり、おまけに人に押し付けようとしたり…
するのをやめたのは確かなんだと思う。
ただ今回もやはり、思わず誰かに同調したり、
自分の「物語」との共通点に心を打たれたりもした。
それでも、少しばかりは、自分は本当に成長したのかもって、
少しばかり誇りに思ってもいいのかもって、思えた。
なぜなら、前回の涙は、自分を憐れに思い、押し付けがましい思い込みに囚われすぎたが、
今回は、ちゃんと人物そのものの感情に寄り添おうとして、その人物として感動したのだと思う。
たとえその感動に、自分自身とのつながりを混ぜてはいるが、
あえて言葉にするとたぶん、それは憐れみではなく、悲しみというか、切なさに近いモノのように思う。
だから人物に寄り添う気持ちで、どうして私がこんなに感動したのかを、
まず長谷川岳志その人物自体の魅力から見ていこうと思う。
何より、彼の素直なところが一番の魅力なのではないかと思う。
もちろん里江子に対して、まっすぐなところは言うまでもないが、
聖子と対面するときも、いつも目の前にいる相手と向き合う姿勢が感じ取れる。
十三年後の今、聖子とまず夫婦間の清算をしてからの考えからもはっきりわかるが、
当時結婚と決意したことにも実はそのまっすぐさが伺えるように思う。
記憶がおぼろげなせいで詳細まで覚えてないこともあって、
最初は読みながら、こんなに里江子と一緒になりたいならどうして聖子と結婚したの、
結局は「俗」に流されたというか、里江子とダメだったら、
やはり結婚できる相手と結婚しちゃえばの考えがあったのかと、岳志のことをなぜかものすごく疑った。
でも21章まで来てやっとわかった。
実際、「恋愛や結婚に結びつかなくても、そばにいてくれれば、想い続けられる」ことも、
とにかく「共に生きて、共に死ぬ」ことだけを強く願う岳志の考えを文字通りにわかった、
とは言えないのかもしれない、が、
一つわかったのは、岳志はきちんと心の中で里江子への想いに、
けじめをつけてから聖子と結婚すると決意したに違いない。
私には、そんな長谷川岳志のことがとてつもなく可愛らしくて、とてつもなく愛おしく感じた。
彼のそのまっすぐさはきっと、人生そのものを使って「愛」という真実を見出そうと、
そして向き合おうとする一生懸命な正直さから来てるのだろうと確信できた。
そんな彼につられて思わず考えてしまうが、真実の愛は「恋愛」や「結婚」の形を取らなくても、
ただひたすら「共に生きて、共に死ぬ」と願い、とにかくそばに一緒にいたいという想いだけで、
成立してしまうのかな、と、とんでもない啓示を受けたかのように、
私は、この事実に感動したのではないかと、今気がついた。
なんだか関係のない話に思えるかもしれないが、最近聞いた話では、
日本に「愛」という言葉が伝わってきたのが、ごく近現代のことであって、
古典文学を読めばわかるらしいが、それまでずっと「慕う」とか、「思う」とかの言葉が使われていた。
しかし岳志を見て思ったのだが、むしろだからこそ岳志には「愛」の真実が見つけ出せるのではないかと。
もちろん正確に言えば、だからこそこの日本文学の流れに身を置いた白石一文さんに、
「想いつづける」ことの真価が、わかったのではないかと思った。
そう。「愛」と言えば「恋愛」だの「愛情」だの、言葉は出ては来ても、
それが表している「形」の部分に、私たちが囚われすぎたように思える。
というのは、「恋愛」も「愛情」も、もちろん「結婚」も、
二人の間の人間関係を指しているのではないだろうか。
それゆえ私たちが「愛」にこだわりすぎて、その感情が相互になくてはならないと、
心のどこかで思い込んでしまってはないだろうか。
でも岳志は違った。里江子を「想う」気持ちを何より大事にし、
相手がどう思うかをとりわけ気にもせず、かと言って相手にムリヤリ押し付けたりもせず、
とにかく自分の気持ちに素直な行動を十三年間続けてきた。
というよりもおそらくずっと前から岳志は、人生の真実に気づいて以来ずっと、
その真実を求め続けて、その真実に生きようと頑張り続けてきたのだと思う。
だから岳志は「運命の人」を一目見て直感できたし、それを決めることもできた。
だって岳志からすれば里江子の気持ちなど確かめようもなく、
一緒になってくれるとも限らず、一緒になったって絶対に幸せになれる保証もなく、
自分が愛したから、「初恋」だと決めただけで、そこまで突っ走ったり、
ろくに連絡も取り合ってないのに十三年間も想いつづけるなんて、
どれだけ勇気のいるものだろうか。
そんな純粋で素直な岳志に、心を奪われないはずもなく、何より敬意を感じずにはいられなかった。
今日はとりあえず岳志に関する感想や思いを綴ることにしよう。
実は最近このようなまっすぐなキャラクターばかりに(再び)出会えて、
そして初めてその素直な心に気づき、心を打たれ、
自分の浅はかさや意志の弱さや根性のなさに何度思い知らされたことだろう。
そんな反省を繰り返しつつ、とにかく自分の「想い」にだけ、
注目してみようと思う。
最初の方では、自分が成長したのか、
キャラクターを自分にひきつけたり、置き換えたりするのをやめて、
「冷静」に読めるようになったと喜びすら感じたが、
ただ単に作者がゆっくりしたペースでストーリーを展開していたからに過ぎないって、
いまさら気付かされた。
前回のように、一人ひとりのキャラに、
こじつけのように自分の「物語」を投影し、
勝手に涙を流したり、おまけに人に押し付けようとしたり…
するのをやめたのは確かなんだと思う。
ただ今回もやはり、思わず誰かに同調したり、
自分の「物語」との共通点に心を打たれたりもした。
それでも、少しばかりは、自分は本当に成長したのかもって、
少しばかり誇りに思ってもいいのかもって、思えた。
なぜなら、前回の涙は、自分を憐れに思い、押し付けがましい思い込みに囚われすぎたが、
今回は、ちゃんと人物そのものの感情に寄り添おうとして、その人物として感動したのだと思う。
たとえその感動に、自分自身とのつながりを混ぜてはいるが、
あえて言葉にするとたぶん、それは憐れみではなく、悲しみというか、切なさに近いモノのように思う。
だから人物に寄り添う気持ちで、どうして私がこんなに感動したのかを、
まず長谷川岳志その人物自体の魅力から見ていこうと思う。
何より、彼の素直なところが一番の魅力なのではないかと思う。
もちろん里江子に対して、まっすぐなところは言うまでもないが、
聖子と対面するときも、いつも目の前にいる相手と向き合う姿勢が感じ取れる。
十三年後の今、聖子とまず夫婦間の清算をしてからの考えからもはっきりわかるが、
当時結婚と決意したことにも実はそのまっすぐさが伺えるように思う。
記憶がおぼろげなせいで詳細まで覚えてないこともあって、
最初は読みながら、こんなに里江子と一緒になりたいならどうして聖子と結婚したの、
結局は「俗」に流されたというか、里江子とダメだったら、
やはり結婚できる相手と結婚しちゃえばの考えがあったのかと、岳志のことをなぜかものすごく疑った。
でも21章まで来てやっとわかった。
実際、「恋愛や結婚に結びつかなくても、そばにいてくれれば、想い続けられる」ことも、
とにかく「共に生きて、共に死ぬ」ことだけを強く願う岳志の考えを文字通りにわかった、
とは言えないのかもしれない、が、
一つわかったのは、岳志はきちんと心の中で里江子への想いに、
けじめをつけてから聖子と結婚すると決意したに違いない。
私には、そんな長谷川岳志のことがとてつもなく可愛らしくて、とてつもなく愛おしく感じた。
彼のそのまっすぐさはきっと、人生そのものを使って「愛」という真実を見出そうと、
そして向き合おうとする一生懸命な正直さから来てるのだろうと確信できた。
そんな彼につられて思わず考えてしまうが、真実の愛は「恋愛」や「結婚」の形を取らなくても、
ただひたすら「共に生きて、共に死ぬ」と願い、とにかくそばに一緒にいたいという想いだけで、
成立してしまうのかな、と、とんでもない啓示を受けたかのように、
私は、この事実に感動したのではないかと、今気がついた。
なんだか関係のない話に思えるかもしれないが、最近聞いた話では、
日本に「愛」という言葉が伝わってきたのが、ごく近現代のことであって、
古典文学を読めばわかるらしいが、それまでずっと「慕う」とか、「思う」とかの言葉が使われていた。
しかし岳志を見て思ったのだが、むしろだからこそ岳志には「愛」の真実が見つけ出せるのではないかと。
もちろん正確に言えば、だからこそこの日本文学の流れに身を置いた白石一文さんに、
「想いつづける」ことの真価が、わかったのではないかと思った。
そう。「愛」と言えば「恋愛」だの「愛情」だの、言葉は出ては来ても、
それが表している「形」の部分に、私たちが囚われすぎたように思える。
というのは、「恋愛」も「愛情」も、もちろん「結婚」も、
二人の間の人間関係を指しているのではないだろうか。
それゆえ私たちが「愛」にこだわりすぎて、その感情が相互になくてはならないと、
心のどこかで思い込んでしまってはないだろうか。
でも岳志は違った。里江子を「想う」気持ちを何より大事にし、
相手がどう思うかをとりわけ気にもせず、かと言って相手にムリヤリ押し付けたりもせず、
とにかく自分の気持ちに素直な行動を十三年間続けてきた。
というよりもおそらくずっと前から岳志は、人生の真実に気づいて以来ずっと、
その真実を求め続けて、その真実に生きようと頑張り続けてきたのだと思う。
だから岳志は「運命の人」を一目見て直感できたし、それを決めることもできた。
だって岳志からすれば里江子の気持ちなど確かめようもなく、
一緒になってくれるとも限らず、一緒になったって絶対に幸せになれる保証もなく、
自分が愛したから、「初恋」だと決めただけで、そこまで突っ走ったり、
ろくに連絡も取り合ってないのに十三年間も想いつづけるなんて、
どれだけ勇気のいるものだろうか。
そんな純粋で素直な岳志に、心を奪われないはずもなく、何より敬意を感じずにはいられなかった。
今日はとりあえず岳志に関する感想や思いを綴ることにしよう。
実は最近このようなまっすぐなキャラクターばかりに(再び)出会えて、
そして初めてその素直な心に気づき、心を打たれ、
自分の浅はかさや意志の弱さや根性のなさに何度思い知らされたことだろう。
そんな反省を繰り返しつつ、とにかく自分の「想い」にだけ、
注目してみようと思う。


