ルー君とのお別れ | 私と旦那と。赤ちゃんは?

私と旦那と。赤ちゃんは?

2013年12月初期流産。
2015年4月,35週5日で死産。2016年1月,子宮外妊娠で左の卵管切除。
2017年4月,4度目の妊娠にてやっと元気な我が子(娘)をこの腕に抱く事ができました。2020年2月息子も誕生。
2023年4月,6度目の陽性反応

相変わらずここ数日、心は荒れ模様です。


というのも、悩みましたが私たち夫婦は死産となった赤ちゃんを検視に出す事を選びました。


死産をした理由をきちんと知りたかったから。


理由がわからないままだと前に進めそうになかったから。。。


です。




血液検査や胎盤検査のみで、検視をしないご夫婦がたくさんいる事も承知しています。


病院の先生にも色んなご夫婦の決断の例を聞きました。





が。。。。。


私は検視の選択肢がある事を知った時に「お願いしたい」と思いました。


旦那もそう思ってたようで、


いろいろ話し合いましたが結果的にはお互い最初に思っていたように


「検視をお願いしよう」という結論にいたりました。



この決断が正しかったのか…、また間違っていたのか…はわかりません。


産まれたばかりの小さな体にメスを入れる事に確かに抵抗はありました。



しかし、未来のルー君の兄弟姉妹の為にも、私たちは出来るだけ原因をクリアにする必要がある。


と感じたのです。


それでもやっぱり辛いです。


ウジウジ自分のした選択を考えてしまいます。



でも、後悔はしていません。


残酷ではあったけれど、検視をお願いしないでいたらもっとウジウジしていたと思います。


(した事の後悔よりもしなかった事にもっと後悔するタイプです…)




まぁ、どちらがよかったのかなんて、一生答えはでないでしょう。。。








そのルー君。おとつい検視から帰って参りました。


赤ちゃん専門の検視の先生がいる少し遠い町へ行っておりました。


今の住んでいる町でも検視はできたのですが、


専門の先生がいる所へ、出産した時の担当の先生が特別にリクエストをしてくれました。



この3週間、ルー君の体がまだこの世に存在していることと


ルー君が帰ってくる日まではしっかり頑張ろうという気持ちをバネに頑張って生活してきました。





そして今日、とうとう3週間半前に産んだルー君にお別れをしてきました。


もう次に合う時はお骨です。


日本とは違い、火葬場には立ち会えません。


ですのであとはお骨が帰ってくるのを待つのみです。




今まではルー君は亡くなってしまったけれど、


まだ存在してくれている事で頑張れていました。


「待っていればまた我が子に会える。見れる。触れる。」って思えたから。



でも、お別れを告げた今、もうルー君を見る事も触る事も本当に出来なくなってしまいました。



この先、どうやって頑張って行けばいいのかわからなくなっちゃいました。



今日は旦那とも喧嘩しちゃったし…。


出口の見えないトンネルって言うけど、本当にそんな感じ。


真っ暗。


まだまだ底抜けに沈んでいく感じ。


自暴自棄。


深酒…かな。。。。。。






もーーーーーーーう。


暗すぎるブログですいません