灰の水曜日 | とりあえず今日を生き 明日もまた今日を生きよう

とりあえず今日を生き 明日もまた今日を生きよう

山の麓で 英語塾をしています。週末は東の都 東京のおうちで過ごし とりあえず今日を 明日もまた今日を生きようと ゆるりゆるりをモットーに過ごしています。



今日


キイロキラカトリック教会キイロキラでは




キラキラ灰の水曜日キラキラ
の典礼が行われました



典礼の中で
キラキラ灰の式キラキラがおこなわれ


キイロキラカトリック信者の方々キイロキラ
額に灰を
うけられていらっしゃいました




額に灰を受けるのは


キリストと出会って
始められた

きらきら新たな生き方きらきら


真心から立ち返る回心と


人間は


神につくられた塵にすぎない 
はかない存在であること自覚し


シャボン玉謙虚に生きることシャボン玉
覚えるためだそうです




「ちりに帰って知ること」


わたしのよく知っているご主人は
80代を迎えるとともに
生活がままならなくなりました


奥様はそれまでと同じように
喜んでこまやかにお世話を
続けていらっしゃいました


しかし


ある時からご主人は
朝になると鞄をかかえて
パジャマのまま靴を履き


とても急いで
駅のほうへ
向かうようになりました


ご主人が現役時代
毎日通勤の為向かった
駅への道です


奥様が止めても
どうしてもそうすると言って
きかないのです


奥様は一緒に
駅まで急ぎ足で歩き


駅に着くと家に戻る
という日々が
一ヶ月くらい続きました


ある朝
歩きながらご主人が
言ったそうです


「俺が会社にいかないと
女房や子供が困るんだよ、
姉さん!」


毎日一緒に
歩いてくれている奥様を
姉さんだと
思い込んでいたのです


奥様は
おっしゃいました


「愛してるとか 大切だとか
言ってもらったことは
一度もありません


でも どんな気持ちで
何を思って
毎日駅に向かっていたのか


壊れてしまった夫と
同じ道を歩いてわかりました


ちりになって
はじめて知ることって
あるんですね」


キラキラ3キラキラ3キラキラ3キラキラ3キラキラ3


人はよく
人間は歳をとると
赤ちゃんに
帰っていくと語ります


このご主人は
人の目には
赤ちゃんや幼児のように
映るかもしれません


しかし


赤ちゃんには
この方が秘めていらっしゃる


ただひたすら
愛する人の為に


自分自身を
捧げようとする内面は
まだ育ってないのです


人は
自分自身でも
気づかぬままに


一生かかって
この種を育て


その実りをたずさえて
高齢へと歳を重ねます


確かに私たちは
地のちりからとられ
ちりへと帰っていくのですが


取られる時のちりと
地へ帰っていく時のちりは
同じではないようです


後者は
‘’土の器‘’なのです


キラキラ3キラキラ3キラキラ3キラキラ3キラキラ3


人はみな
ちりとしてのはかなさを
身に受けています


でも


人の思いを
はるかに超えた神は


そのはかない
‘’土の器‘’の中で


思いのままに
働いていらっしゃいます


このことを忘れないで
心に刻みたいと思います