お講座 | とりあえず今日を生き 明日もまた今日を生きよう

とりあえず今日を生き 明日もまた今日を生きよう

山の麓で 英語塾をしています。週末は東の都 東京のおうちで過ごし とりあえず今日を 明日もまた今日を生きようと ゆるりゆるりをモットーに過ごしています。


カトリック教会のお講座に
通っています

先日は
放蕩息子のたとえ話からのお話を
神父様がお話してくださいました

神父様がしてくださるお話は
プロテスタント教会に例えるなら
礼拝の説教のようでも
ございますが

とても深みがあって
心に響いてきます

お話の中で
印象に残ったことは
たくさんありますが

『神様が愛してくださっているように
‘’自分自身‘’を愛する』
という神父様の言葉が
心に残りました

愛するという言葉が
漠然としていて
とらえにくいならば

愛するという言葉を
‘’大切に‘’という言葉に
置き換えてもよいようですが

神様が心から大切に
思ってくださっている
自分自身を

自分も
『心から大切に思うことの大切さ』を
神父様に教えて頂きました

また神父様は
‘’正しさ‘’ということについても
お話してくださいました

‘’自分が正しい‘’
という偏りを持つと
狭量になり
柔軟性に欠けてしまうこと

‘’自分が正しい‘’とすることは
‘’自分が正しい‘’とすることの
『とらわれ』であることを

神父様は
語ってくださいました

お講座のあとは
質疑応答の時間があり

鋭い質問が
いくつかだされましたが

神父様は
そのひとつひとつに
淡々と明確に
詳しく答えられていて
その奥行きの深さに
驚かされました

大変博識な
すこぶる頭の良い神父様で
ございますが

ご自分でも
つね日頃から
様々な視点 角度から思索され
考察されていられるからこそ
このような答え方ができるのだな
と思わされました

ほんとうに
いろいろな意味で
よい勉強になりました

お講座をとおして
まっさらな気持ちで
キリスト教を
学びなおせたらと思っています