教会の礼拝形式が変わって
礼拝の中に‘’ 交わり ‘’ という時間が
30分ほどもうけられたという
わたしはここ2年半以上
その教会の礼拝には
出席していないので
それがどんな雰囲気なのか
よくわからないが
その‘ ‘’ 交わり ‘’ の目的は
教会に集う人達が
お互いのことをわかち合い
お互いのことを祈る為だという
聞いたところによれば
それが良いと思う人もいれば
好まない人もいて
賛否両論らしいが
交わりの時間の前に
帰ってしまう人達も多くいて
礼拝の後に催される


その ‘’ 交わり会 ‘’ というものが
礼拝の中に
組み込まれたことを知った時
仲良く


持つのかな

それなら和やかそうで楽しそう

思っていたのたが
お互いの個人的問題をわかち合い
お互いの為に祈りあう時間だと
いうことを知ったとたん
あっ 無理...

と思ってしまった

信仰がたとえ同じであっても
信頼関係のない人達に
自分の個人的問題を
話すことなど嫌だし
わかち合ってもらいたいなどとも
さらさら思わないし
祈ってほしいなんていう
気持ちにもとうていなれない
想像しただけでも
心に酷く負担を感じる

そんな濃い関係は
信頼できる人とだけで十分だ
ということを

カウンセリングの先生に
お話ししたら
わかち合いという
宗教的名目であっても
自分の個人的な問題を
わかち合うのは
誰とでもすることではないこと
自分の心の領域を守る為に
どこまで誰になにを話していいか
どこまで誰に自分のpersonal spaceに
入りこませていいかの境界線を
意識して持つことの大切さを
教えてくださった

教会ってほんと
涙が出るくらい
めんどくさいな...

礼拝というものが


礼拝にいける気持ちになるのにな...

まっ どっちにしても
朝は無理...

