こんにちは。 
 
「どうしてほしい?」と聞かれたら
直ぐに答えられますか?  
 
私、かなり苦手なんです。笑 
 
 
 
少しずつ、できるようにはなってきたけれど 
 
 
(こんなことを言ってイヤな気持ちにさせないかな?)
(困らないかな?迷惑じゃないかな?)
 
と、まだまだ答えるのに躊躇してしまいます。
 
 
 
 
「私はどうしたい?」 
という自分の要望を汲み取ってあげる質問でさえ
 
自分に聞いてあげられるようになったのは
ほんの5、6年ほど前のことだし、
 
 
 
だからこそ、
 
 
「くぅちゃん、どうしてほしい?」 
 
なんて、
 
他人への要望を(びくつきながら)言えるようになったのは、
もっと最近の話です。笑
 
 
 
 
 
 
”してほしい”と思うなんて 
 
私は、おこがましい。 
 
私には、そんな権利はない。 
 
 
誰かに頼りたくなるたびに
そうやって、ひどく自分を罰してきました。  
 
  
 
 
だから 
 
「どうしてほしい?」と聞かれると
(分からない)って思ってしまうことが多かったんです。
 
 
 
 
でもね、
1ヶ月ほど前にとある出来事がありました。
 
 
その時の私は、悲しい気持ちでいっぱいになってしまい  
涙が止まらなくなっていました。 
 
 
あげく、
いつもなら 
ある程度泣くとおさまって切り替えられるのに
  
 
この時は 
深い悲しみが溢れてどうすることもできず 
 
 
体にも力が入らなくなって
なす術がありませんでした。  
 
 
 
 
でも、そんな時に 
 
 
「どうしてほしい?」 
 
  
ふいにそう聞かれて 
 
 
 
「大丈夫と言ってほしい…。」 
 
思わず口をついて出たんです。
 
 
 

 

 

 
 
 
今まで、「自分の望みは叶わないんだ」と思ったことがあまりにも多かった。 
 
 
 
助けてほしい  
力になってほしい
頼りたい 
 
 
いくら心で願い 
勇気を出して伝えても  
 
 
その声は届かなくて 
 
なんでよ! 
どうしてわかってくれないの! 
なんで私はダメなの!!
やめて・・・。
 
 
そんな風に、またイヤな気持ちになるのはいやだからと 
寂しい気持ちをたくさん抱えてきた。
 
 
 
頼ってはいけない 
甘えてはいけない。 
 
 
そしてまた、誰かの顔が一瞬でも浮かぶと 
 
 
頼れるとでも思ってるん? 
何を甘えたこと思ってるねん!!
そんなこと言える立場とでも思ってんの!! 
 
 
自分に激しく怒ってきた。
 
 
 
なんとかしなくちゃと 
何度も奮い立たせようとしてきたし
 
これぐらい平気だと強がって生きてきた。
  
 
 
「大丈夫。」だと言ってくれた友だちの優しさも 
 
体調が悪くてどうしようもない時以外は 
絶対に受け取らなかった。
 
  
 
 
 
そして、
私が深い悲しみにくれた1ヶ月前のあの時、、、
 
 
あまりにも強く深い悲しみを自覚して 
とても心細かった。
 
 
 
 
 
そして、それと同時に
 
 
 
また昔のように
 
 
 
人との間に大きな壁を作り 
「誰も信じないぞ」と、
自分を傷つけるような考え方に戻りそうで、怖さすら感じていました。
 
 
 
 
 
だから心から安心したかった。  
その人とのつながりを感じたかった。 
「大丈夫」と言ってもらって、
 
 
 
深く深く、安心したかった。
 
 
 
 
 
自分ではまだ受け入れられない 
弱い部分がある私を
「大丈夫」と言ってもらうことで 
 
 
認めたかった。
 
 
 
 
そんな心からの声にただ委ねた。。。
 
 
 
「大丈夫と言って欲しい」
 
 
 
当時は心を守るために 
閉じ込めるしかなかったものが 
 
 
ようやく出てきてくれました。
 
 
出てこれたんだなって。。。
 
 

 

 

 
 
 
つらかったね 
 
こわかったね 
 
悲しかったね 
 
よく今まで我慢してきたね。 
 
 
知らんぷりしてごめんね。 
 
ほったらかしにしてごめんね。 
 
こわかったね。 
 
悲しかったよね。
 
 
 
 
ようやく感じることができたこの悲しみは   
 
 
凝り固まっていた何かがほぐれて 
固くぎゅっと結ばれていた何かを解いてくれて
 
 
本来の私を取り戻させてくれました。 
 
 
 
いつの間にか 
存在さえもかわからなくなっていた  
女性としての私が、
 
抱えきれない悲しみと無力さで
心からの助けを求めていました。
 
 
それが、本当の私でした。
 
 
 

 

 

 
誰にも弱みを見せることができなくて、 
素直にもなれなくて、
 
 
心を守るために、そうやって”感じる”スイッチを切って麻痺させ、
嵐が過ぎ去るのを待ち続けた。
 
そればかりを繰り返してきました。
 
 
 
そしてこれが、私の”成功”体験でした。
 
 
 
 
  
人ってね、 
何かにチャレンジしてうまくいく経験をすると
それが成功体験のベースとなるんですね。 
 
 
何をやってうまくいったかは関係なくて、
”結果的に切り抜けられた”かどうがが、ベースになります。
 
 
 
 
私の場合は、 
”心を感じる”スイッチを切って麻痺させることが 
成功体験になりました。
 
 
心が壊れないように守るためには、とても役立ってくれたから。
 
 
 
 
ただ、これには問題がありました。
 
 
 
一旦”感じる”スイッチを切ると 
自分の心との距離ができてしまうんです。。。 
 
 
 
悲しさや
怒りや 
不安や 
申し訳なさや 
寂しさ
 
 
それらを感じずに済むから、楽にはなるんです。 
 
 
 
実際に、 
待ったなしの子育て、仕事、家事、介護と
マルチタスクでこなせてました。
 
 
 
でも、その代わり、
 
 
 
何が好きなのか 
何をしたいのか 
何が嬉しいのか 
 
 
わからなくなりました。
 
 
 
本来なら 
幸せを感じて嬉しくなるはずなのに、
楽しいはずなのに 
充実してるのに 
 
 
 
心の中はいつも虚しさでいっぱいでした。
 
 
 
 
そんな私にも、
自分の悲しみをちゃんと感じる時がきて、
「どうしてほしいか」言える時がきて、
 
「大丈夫」と言ってくれる人ができた。
 
 
上手くは言えないんです。
 
 
 
 
 
でも、たくさんの”感じる”と”認める”に
 
出会えた気がして、今は胸がいっぱいなんです。
 
 
 
 
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「どうしてほしい?」  
 
 
もしかしたら、
聞いてくれたその人にとっては 
ごく自然なことなのかもしれない。 
 
 
 
そうだったとしても 
心細くて不安だった私には 
ものすごくありがたかった。
 
 
 
 
 
誰かを信頼するというのは 
自分を信頼することに他ならず  
 
 
それだけ今の私には
信頼に足る人が身近にいる
という証でもあり
人に恵まれている証でもある。 
 
 
 
喉にあった寂しさと恐れの声を聴き続けて半年。 
 
 
 
委ねたことで知った安心感を
体感覚でまた1つ深く腑に落とせたと同時に
 
 
いろんな意味で大きく前進できた1日でした。
 
  
 
 
これからも大切な自分のために 
 
「私はどうしたい?」 
 
「今どうしてほしい?」   
 
聴き続けてあげられる私でありたいです😌