入院初日 2024年真夏の出来事 | 代官山で働くアラフィフ美容師の徒然草

代官山で働くアラフィフ美容師の徒然草

気がつけば書き始めて18年。タイトルは二回変更。主に三十代から五十代の都会で働く独身女性のライフのひとつの形。
社会の変化と自我の変化、備忘録的に書いていますが、共感してくれる人がいたら嬉しいです。

朝9時半に病院での入院手続きの予定が 電車やバスの流れがスムーズで9時着


なものの、コロナ検査の結果待ちで一時間以上かかり、なんやかやで病室に通されたのはほぼ11時。

入院前に奇跡的に本屋さんで購入出来た 


人間はどこまで家畜か

を大分読み進められた。


前の日にお客様に教えてもらい、PIVOTを観たら更に面白そうだったので早く読みたかった。


タイトルが若干ショッキングな感じは否めないけど、

風の時代 とか スピリチュアルな考え方も良いけど、理論的なこういう考え方は わりかし好き


信じる、信じない はあなた次第ダネ といった どちらを選んでも良いよ

という


考え方


ではなく、


進化とは与えられた環境で生き残り次世代を残せた者たちの形質が継承されるもの


というような 〇〇は△⬜︎である 

という 🟰 というのがすっと腑に落ちた。


理数系なものの考え方?というわけではないだろうけど。




内容は 人間も家畜化しているのでは 

というもので

そもそも種の保存、生存戦略をしていく上で いかに生き残っていくか。

例えば

ペットとして人気を誇る犬は

元を正すと野生の狼からの進化であり 人間と共存していける個体が生き残り現在に至る


丁度少し前に国立科学博物館で大哺乳類展を見てきたからイメージが湧きやすい


家畜化


というのは

進撃の巨人(ちゃんと読んでないけど)の様に、

食用として、というわけではなく(もしかしたら宇宙人の食用としてかもですが)


例えば 


脳の成長が左右され 成長が遅れ、小さくなり、恐怖や攻撃性を司る扁桃体や視床下部の働きが変わりセロトニン分泌が盛んになって

視床下部の働きの変化によって性ホルモンの変化で雌の発情期や生殖サイクルも左右される

歯が小さくなって 顎が小さくなって(栄養の行き届くバランスがかわってくるらしい)

穏やかになり、争いを疎み(副腎の大きさ機能が小さくなる事で情動的反応が穏やかになる)


ざっくり書いてるのであしからず



確かに、なんか 若い世代と自分達のその頃をふと振り返ると


みんな穏やかで優しくて攻撃的な人が少ない気がしてたけど(短いスパンではありますが)

スピリチュアル的な考えだと、

今の若い子達は 魂レベルが高いから という考え方でしたが


穏やかでなるべく争わず 突出しないで それなりに綺麗にかわいくしたほうが生きやすいねっていう進化をとげているとしたら

そしてその進化を 家畜化とよべるものだとしたら。


とか書いてきたけどよく考えたらこれ入院日記というか忘備録として書いていることに気がついた。


ので本筋に


前回入院&手術したのと同じ病院だけど 

何となくふわふわしてる若い看護師さんが増えている気がする。

コロナ患者さんを受け入れているとのことなので 

病棟内も制限されてて 以前より更に不自由差が増した様な。。


先ほどお昼が出て

麻婆豆腐とご飯と和物とヨーグルト


今朝高菜のごま油炒めをタッパーに入れて持ってきて大正解。

 何とか美味しく頂けた(私は食事の制限が特にないので)


ご飯をしっかり食べるのは治療の一つです


というのもわからなくないけど、

明日手術で 多分また1、2日思うように動けなくなったら

 ご飯食べても歯磨きろくに出来ないし、

何よりトイレに行けなかったら(その為のオムツを用意してくださいということなのだろうけど)

と思うと

食欲が無くなるわけで。


なんだかんだで現在14時近く。 6名の大部屋は私を入れて5人

皆さん比較的静かなので 今の所、有難い。


さっきレントゲン撮りにいって、あとなんか数件術前検査をするような事をフワフワちゃんが言ってたけど

一向に呼ばれず。


しかもメンズの看護師さんが 多分確認の為だろうけど何も言わずにカーテン開けて ←ここまではまだ良い

毎回ちゃんと閉めてくれない。


オイッツ て独りつっこみをいれて少しでも楽しく物事を通過させよう。


そうなのだ

出来る限り今回の入院中、なるべく無になって 静かに 記憶に残さないようにやり過ごしたいのだ。


前回の辛かった事が残像として残っているので なるべく記憶を残したくない。


けれども この入院日記は数年後自分が何かで辛いなと思った時に、

あの時のあの絶望感?というと言い過ぎだけど 悲しい気持ち? に比べたら大した事ないな


って思えたらいいな というのでこれを書いているわけで。


事実、どんなに辛くて 心が張り裂けそうになっても 喉元過ぎれば、じゃないけど

存外人って忘れられるし乗り越えてるというか 乗り越えたなー私、あの時。 みたいな。


悲しくても 楽しい時には忘れてるし

あんなに幸せを感じてても ふと落ちて気が滅入る事があったり。


何かの本に

苦しみを知らないと幸せが分からんと書いてあったけど


失ってみて初めてその有り難みがわかる。 みたいな。


だから、というわけではないが

数年前に 手術、入院を3回経験して

温室のような閉ざされて動きが制限されて外の空気も吸えない、

身体が自由に動かせない


そんな経験をしたからこそ


皇居をお散歩したり

北の丸公園でのんびり何もせず風を感じて木々がサワサワしているのを聞いてるだけで

充分心が満たされて

あー しゃーわせや


っって思える様になったのかも。


だから 


一つづつ、一歩ずつ歩いて

早くお家に帰ろう。


明日は手術なので多分書けないかな。


頑張ろ。


そして退院したら

とりあえず


CELINE は 私の大好きなデザイナー エディスリマンが手がけた

ベルトを買う。


8万位内だったのに なんか8万以上になってる( ̄O ̄;)けど。


とにかく ヒタスラ漂よう。


モワモワ暑い最中の入院だし 病院だしと 油断してた。

エアコン効きすぎて寒い。


念の為持ってきたレッグウォーマーと 借りたタオルを膝掛けにやり過ごしてたら


換気のためか窓を開けてくれてホッとした。けどまた直ぐに閉められた(>_<)