Tenyunari1Tenyunari22013年、86・87冊目。幸田真音 『天佑なり 高橋是清・百年前の日本国債 上・下』



二・二六事件で謀殺された高橋是清の一代記。





高橋是清(幼名和喜次)は嘉永7年(1854年)7月27日に生まれる。



御用絵師川村庄右衛門守房と次女北原きんの間に生まれた和喜次は生後間もなく仙台伊達藩足軽高橋是忠の養子となる。



養祖母喜代子に厳しく育てられた和喜次は11歳のとき仙台から赴任してきた若侍大童信太夫に勧められ、洋学を学ぶべく同じ歳の鈴木知雄とともに横浜に向かう。



紐育から来日した医師ジェームス・カーティス・ヘボンに学んだ和喜次はその帰国後、チャータード・マーカンタイル・バンク・オブ・インディアの横浜支店支配人級のアレクサンダー・アラン・シャンドにボーイとして雇われ、生きた英語を身につけていく。



藩からの亜米利加留学に辛うじて食い込んだ和喜次と鈴木知雄は留学を斡旋した星恂太郎の雇い人ヴァン・リードのもとに身を寄せるが、奴隷のように働かされるばかり。



業を煮やした和喜次がヴァン・リードに反抗すると、オークランドのブラウン家に売られてしまう。



辛うじて脱出した和喜次は周囲と計り、同じ境遇の鈴木も救い出す。



しかし、その頃、日本では大政奉還され、仙台伊達藩は賊軍とされているという。



日本の有様、江戸に住む家族の身を案じつつ、仙台藩の一條十次郎、鈴木知雄らとともに不安を抱えながら帰国する。



暫く身を隠しながら、打開策として桑港で面識のあった森有礼に面会し、身の振り方を相談する。



そこでそれぞれ偽名を使うこととなり、和喜次も「橋和吉郎」と名乗るようになる。



森のもとに身を寄せつつ、三人は新たにできた大学南校に通うが、読み書き・会話もできたので、間もなく教官三等手伝いという職を得ることとなる。



廃刀令を主導したことで森が左遷されるが、その後も和喜次は大学南校に勤め、森に代わって和蘭人のグレイド・ヘルマン・フリドリン・フェルベック(フルベッキ)に師事する。



和喜次が16歳になった頃、越前藩の元家老職の息子らから借金を持ちかけられたことをきっかけに芸妓遊びに耽溺し、身を持ち崩していく。



大学南校に辞表を提出した和喜次に周囲の態度は冷たくなるが、和喜次が贔屓にする芸妓桝吉は和喜次を実家に住まわせる。



その後、偶然出会った知人から唐津での教師職の話を聞いた和喜次は桝吉を貰い受けるべく、唐津行きを決心する。



唐津藩で和喜次はそのバイタリティを如何なく発揮し、人々の心をつかむが、東京に暮らす桝吉との仲は離れていかざるをえなかった。



東京に戻った是清(和喜次)は鈴木知雄の紹介で前島密に仕えることになるが、間もなく決裂する。



かつて自身が教えていた大学南校が整備されて開成学校となっていたが、そこに是清は通うことになる。



森の裁量で文部省の役人となった是清だったが、桑港から帰国して身を隠していた時代に世話になった一條が隠遁しているのを知り、復帰を望む。



しかし、これに応じない一條とのやり取りのなかで、仕方なく文部省を辞することとなってしまう。



一條の復帰をあきらめた是清は鈴木のいる東京英語学校の教官となるが、ここでも正論を貫き、辞表を出すことになる。



その後も投資話にひっかかったり、共立学校の再開、発展に尽力する。



別の投資話では、そこで知った仲買の世界に興味を持ち、研究のために会社を立ち上げる。そこでの失敗を経て、再度、文部省に登用される。



しかし、今度は農商務省から是清は発明専売・商標登録保護制度確立に向けて引き抜きを受ける。



精力的に制度確立に尽力したうえで、是清は海外派遣が命じられる。



アメリカに渡り、現地の先進事情を吸収した是清は、更に欧州にも足を伸ばす。



帰国した是清は特許局の建設に注力する。



前田正名との興業意見での研鑽を経て、是清はペルーでの鉱山採掘プロジェクト推進に尽力することを決意し、ペルーに渡るが、現地視察の不手際による詐欺ともいえる投資話で、大失敗に終わる。



明治25年、日銀総裁の川田小一郎から呼び出され、その知己を得た是清は日本銀行日本橋本店の建築に携わる。
その後、日銀の正規職員として日本銀行支配役となった是清は馬関にある西部支店に赴任する。



日清戦争終結後の講和会議が馬関で開かれたことで、政府要人と会う機会も多く、是清は人脈を広げていく。



戦勝に沸く日本だったが、依然として弱小国に過ぎず、三国干渉など海外からの圧力を受ける。



特に、南下を続ける大国露西亜との関係悪化は進んでいく。



一方で、是清は川田から横浜正金銀行に派遣され、日本の正貨準備への対応を求められる。



これまでの常識を打ち破り、効率性を追求する是清の策を得て、徐々に正金銀行は取引先を増やすことに成功していく。



松方正義総理から意見を求められた是清は銀本位制から国際標準である金本位制への移行も提言し、これを実現に導く。この背景には日清戦争講和で得た賠償金の存在もあった。



日露の関係が冷え込むなか、外国での起債の必要が求められるなか、是清は起債の可能性について探るべく、欧州へ派遣される。



精力的に海外事情を調べる是清だったが、現在の国力では政府が求めるほどの起債が無理であることを痛感して帰国する。



日本銀行の内紛により副頭取の任につくことになった是清だったが、依然として日銀総裁山本の暴走や政府の介入など、その対応に追われることになる。



そんななか露西亜との戦争は不可避との見方が高まる一方で、日本の正貨準備高は極小であり、兌換の不安もまた高まっていく。



ここに至れば外国での起債は不可避となり、是清に起債の任を託すが、事情を知っているだけに是清は応諾できない。しかし、肩代わりできる存在がないなか、是清は敢えて火中の栗を拾うことを決意する。



しかし、日本がいくら緒戦に勝利しようとも海外では最終的に露西亜が日本に勝利するという未来図は揺るがない。



是清に語りかける人々もまた日本に同情的ではあるものの、それと投資の話は別物だ。



戦争が進むにつれて、日本の国債は暴落を続けるばかり。



そんな悪環境ではあったが、是清は海外の銀行や投資家と交流、交渉を続ける過程で、その求めるところや駆け引きを少しずつ学んでいく。



そして、かつての雇い人であるシャンドやクーン・ローブ商会のシフなどの協力も得て、(日本に不利な条件ではあるが)第一回の起債に成功する。



その後も戦争継続に必要な資金が膨らむ過程で、政府からの起債養成が相次ぐが、これまで築いた人脈と起債手法により、数次の起債に成功する。



日本に帰国した是清は第七代日本銀行総裁に着く。



また、山本権兵衛内閣で大蔵大臣に任命されたことを初めとして、その後も原敬内閣で大蔵大臣に就任する。



軍事費が拡大するなかで、これを圧縮し、産業振興に向けるべきことを正論として述べるが、これが軍部の反発を呼んでいく。



原敬暗殺のあと内閣総理大臣に就任するものの、良き国家を作るべく邁進する一方で、党内の意見調整を怠ったため、短命内閣に終わる。



その後も、国難の都度、内閣に招集される是清だったが、国難に立ち向かい、軍部と反目することとなろうとも正論を貫くのだった。



そして・・・。







まさに波乱万丈の一言に尽きる。



やや小説として美化したところはあろうとも、為した事跡が変わるわけではなく、歴史の目でみても十分、堪能できる作品だった。



やや金融の世界、特に債券マーケットはわかりにくいこともあり、この作品はちょっと万人受けしないかとも思われる一方で、ダイナミックな対応を漠とでも理解すれば楽しめるのかもしれない。



そもそも政治家ではない実務家なのだろう主人公の生涯をみるに、最近の政治屋との違いが歴然として、少し悲しい。



お薦め度:★★☆☆



再読推奨:★★☆☆