ダイジの語るキリスト | BLACK VELVETS

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火水(ホシ)の舞踏と祝祭の音

シンギングボウル と霊性に
身体から働きかけるワークを
やっています

ダンテスダイジの語るキリストの教えに凄く興味がある。

キリスト教は妙に理想ばっかり語ってるような印象があるけどここでダイジが語ってるのはむしろ逆です。

3.11以後の日本でいわゆる精神世界でリアリテイ持つ言葉ってほとんど無いと思うんですよ。

全部、辺野古とか虐待とか、現実に負けてしまう。


聖書はドストエフスキー的に読んだら客観芸術になり得ますがそうでなかったら下らない道徳の教科書みたいになってしまう。

A「モーゼの十戒の姦淫について、『姦淫するなかれ』について。あれに出てくる禁じられている姦淫とはどういうものですか。」

ダン「それは君の考え方から言えば、こういうふうに理解したらいいよ。
あの当時のモーゼというのはものすごく荒くれた民族を率いなければならなかったんだ。そうすると奴らというのは姦淫だとか、人殺しだとかそうたいしたことではないという連中ばっかりだよ。荒くれ男達だよ。そういう中でもってある1つの統一された平和な状態というのを維持するためには『姦淫するなかれ』という厳しい法律を作らなくてはならない。注意してもらいたいんだけれど、神を本当に知っている人間というのは普通の人よりはるかに合理的だからね、行動の仕方が。そしてモーゼはそれを的確に知っていたということ。
その連中達を御すためにはね、『姦淫するなかれ』の項目を絶対入れなくてはならなかった。それが一つね。

それからもう1つは内的な問題としての姦淫だけれど、キリストが言っている、
『心に姦淫することを思えば、姦淫したも同じだ』というね、それは人間というものを見つめるというのと同じことなんだ。

イエスキリストの言葉というのはもし本当に実行しようとすればどれをとってもものすごい無理を言うんだよ。『お前心に姦淫したならもう姦淫したのと同じなんだ、もう罪なんだ』とやるわけ。

どういうことかと言うと、人間の力というのを信じる立場をもうやめちゃいなさいということなんだ。『何頑張っているんだ、何堅いことを言うんだ君は、そんなに人間の立場が立派で、そんなに何でもできると思っているのか』そういうふうに突き刺しているんだ。

君が『心の中で姦淫したならもう姦淫したのと同じでもう罪なんだ、君がもともと罪深い存在なんだ』とやるのは君が自己というものを否定しているにすぎない。君の存在、命を肯定しようとするために。

つまり自分の自己という自分勝手な頭のヒューマニズムというのはギリギリのところでは通用しないよというかなりハードなヘビーな教え方だ。」

「最高に生きたい」雨宮第慈講話録より