皆さん、こんばんは☺️
今週は、毎日あちこち病院通いの毎日でした。
会社の健診結果で、要検査とでた心電図。
かかりつけの内科医で紹介状を書いてもらい、連休明けに市民病院へ。初日は負荷かけた前後の心電図をとり、今週は、心臓エコーをとり、今日が結果でした。
今度は循環器内科にも、かかるようになるのか?最悪手術か?なんてドキドキしましたが大丈夫でした。
これ以上、病気のデパートの階数を増やしたくないもん。
良かったぁ(^-^)
さて、この前のプロフェッショナルでは、納棺師の方の回をやっていました。
映画「おくりびと」の時に、親子で?監修指導された木村さんという方のお話です。
1月に母を亡くした時、湯灌師、納棺師の方の仕事を間近で見ました。
湯灌のとき、家族で順番に母の身体を清め、きれいにお化粧をされていくのを見つめ、基本の白装束だけでなく、追加で藤色羽織も着せてもらい、足袋と杖もつけてもらい、(燃やしてしまうだけなんだけど、これが母に贈る最後のプレゼントだと思い)着飾ってもらいました。
棺に入れるものが、その時何も思い付かなくて(朝方4時前に亡くなり、そのあと葬儀の打ち合わせなど、朝昼飯抜きでどんどん進められ、ショックと寝不足で思考停止状態だった。ずっと口からたべてないから、おにぎり入れてあげれば良かったです。私は葬儀会場に泊まってたし、考え付いてたら誰かに買ってきてもらったのに。入れようするものが、時計など金属やビーズで出来た金具金属のクラッチバッグとか、父が少ない時間でさがしてきたけど、ダメだろうとやめた。手紙も書けば良かったのにね?その時には時間無さすぎて思い浮かばない。かといって、普段そんな事考えたことないし。そもそも遺影用の写真探しで大変だったです)
入院前から痩せ細り、疲労骨折なのか、背中も曲がってしまい、ふくよかだったのに、別人のようになってしまった母。
一気に年老いてしまって、その姿を見るのが辛くてあまり実家に顔をだせなかった私。
その後、自分が、乳ガンで、三大治療こなすのに精一杯で、ますます実家に行かなくて。
久しぶりにあった時に、絶句?唖然としてしまったんですよね。病気のせいか、何もやる気も起きず、ちぎり絵の材料をプレゼントしてもなにもやらなかったし(昔は自分で、布で故郷の天竜川とかの貼り絵?やパンフラワー習いにいったりしてたのに。
今思うとうつっぽかったのかもしれません。食欲もなかったし。
入院してから、時々母をスマホでとってました。
見舞いに行けないときはその写真をみたりしてました 。
元気な頃の母の姿では、ないけれど、母の老いてく姿をちゃんと目をそらさずに見なくてはいけないと思ったし。
在宅療養のころ、リハビリに通ったり、来てもらったりしてたけど、痛がって、なにかと休みたがってた。
ちゃんとやらないと、こうなってしまうって、しらなかったんです。
気づいた時には、膝は寝ていてもまがったくの字のままで、もう、まっすぐには出来なかった。
亡くなる寸前なんて、骨と皮だけにみたいになってしまい、見舞いに行っても反応もなく、目の前に横たわっているのは、本当に私の母なのかなと、思うほど変わり果てていて、その姿を見るのが悲しくつらかったです。
でも、納棺師の方のおかげで、膝も真っ直ぐ伸ばされていて、
かまわれてなかった髪も綺麗に整えられ、生きてるみたいに綺麗にお化粧してもらい、すごく感激しました。
心の中で、きれいで、優しそうで、私の自慢のお母さんだって思いました。
この顔を忘れたくない、まぶたにやきつけるとかいうけど、きっと忘れてしまうと、
思わず、スマホで撮りました。
死に顔を撮るのはタブーなのかもしれないけど。
その時、目の前にいたのは、遺体だなんて思えなかった
心臓の鼓動がとまった、もう2度と目を覚まさない…そして、もうじき、その姿を2度とみることの出来なくなる母親でしかなかった。
いままで、親戚などの葬儀でみたご遺体は遺体でしかなく、怖いとか、恐れの感情があったけど、
母のときは怖いなんて全然思わないし、通夜で一晩母と同じ部屋に寝たけど全然平気でむしろうれしかったし。(葬儀前に二晩あったので、父は二晩とも、3人の姉弟は1日目に下の弟、2日目に私と上の弟が泊まりました)
見返すことは、ほとんどないけど、母がスマホの中のアルバムにあると思うと、心が、落ち着きます。
皆さんにお見せできないのは残念ですが、亡くなる寸前の顔と、納棺時の顔を見たらきっと、その素晴らしさに、そして、痛々しい姿でなく、綺麗にして家族とお別れさせてくれる納棺師さんのお仕事に感動されると思います。
昔は、死に関わる仕事に対する偏見があり、家のしごとについては話すなと言われてましたと木村さんのお母さまが、おっしゃてました。
遺族の心に寄り添い、亡くなった方を綺麗にすることで、なくなった方もきっと、喜んでいる。
マニュアルがあっても、葬儀は一期一会とおなじ、何一つ同じものなんてない。
その時その時、どうしたらより良いお別れが出来るか、遺族が、救われて、まえを向いて行けるか、傍らにいて、真摯に耳を傾ける木村さんの姿に心打たれました。
うちの次男より年下なんて思えない。すごくしっかりした方でした。
安楽死の、番組で亡くなる瞬間を放送していたこと。
そして、この、納棺師の回では亡くなった方にモザイクをかけないで放送されたことにとてもびっくりしました。
でも、産まれることも、亡くなることも、自然のことなのだから、自然でない亡くなりかた(残虐だとか、)でなければ、こうして、公共の電波にのせていくのも大事なのかも、しれませんね⁉️
納棺師のお仕事は遺体がなくては成立しないから説明も難しいし。
どんどん核家族化、少子化してきたら、葬儀に立ち会う機会も子ども時代は少なくなり、死の観念?とか、残された遺族の悲しみとか感じることも出来なくて、自ら命を断ったり、他人の命を奪うことの、重大さに気づかなかったりしてしまうかも?
死と生、命=時間、いろいろ心に響く番組でした。
ではまたね😃👋😃