皆さん、こんばんは☺️
今日は母の月命日です。
母が亡くなってから5ヶ月経ちました。
亡くなった頃は、自分たちで送り出すのは初めてということもあり、やらなきゃいけないことも多くて、考えたりしてる余裕もなかったんだけど、
最近は、施餓鬼や、新盆までは、行事?もなく、落ち着いたせいか、眠れぬ夜は、いつも母のことを考えてしまいます。
そして、もう話すことも触れることも抱き締めることも出来ない現実を思い知らされ、愕然とし、悲しくてもどかしくて叫びだしそうになります。
人は誰でも死ぬ。
産まれたときから、いつかは必ず訪れる死に向かって生きていくのは、わかっていること。
わかっているけど、それがいつかわからないから、私達は日々、何もかんがえずに暮らしていける。
誰もが同じ道をたどるのだから、必要以上に悲しむことはない。
母のように、口からものが食べられなくなり、胃ろうにしても、管の交換時に、ただれていたのか?もう管を使えないと言われて高濃度?の点滴を大腿部からいれるようになり、どんどん痩せていき、話す力も無くなってきて、寝ている時間も増えてきて、反応も鈍くなってきて、死が近づいてきているのを感じささせられてきた。
入院して、いずれ快方に向かっていくのではなく、その先には死という、永遠の別れが、待っているという入院生活。
入院したときに。いざというときに延命措置をとるかどうかを書かされた。
胃ろうだって、やらなければあと1ヶ月の命と言われて、どうしても父も私達兄弟もここで諦めたくなかった。まだ、母は78才だったから。胃ろうをして、まだ、会話もできて数年寿命が、延びてくれればいいなと思っていた。
別れる覚悟も出来なかったし。
胃ろうすることにしてやっと入院させてもらえたってこともある。手術しなければ、うまく飲み込むことが出来なくて、痰をつまらせるたび苦しい思いをして肺炎おこしても、在宅医療で、医者を呼んでも、時間かかるなか、苦しそうな母を、目を白黒させてる母を1人老々介護していた父も限界だった。
医者を呼ぶタイミングにも悩むし、常に目を 放せないし、看護師に食べさせたら駄目と言われても、豆腐なら、柔らかなものなら、アイスクリームならと、懇願する母に、かわいそうになり与えてしまい、その度に、痰吸引する看護師にばれ、怒られ、
いくらやせ細っていても、1日何回もオムツ換えや体位変換など、腰を痛めている父には大変なのに、全然できてないと、ケアマネに、指摘され、
かといって、兄弟も生きていくために、介護のための離職も簡単には決断できないし。
先日、NHKで、安楽死を選んだ女性の番組をやっていました。
夜見るにはテーマが重すぎて、最後だけちらっとみました
自分が自分でいる間に死にたい。
お世話になっている人たちにありがとうを言えるうちに…
とかって感じでしたが、最後しかみてないので。
今日の深夜に再放送されます。
見てしまうと、寝れなくなりそうですが、みるかどうかはともかく録画はしようと思います。
亡くなる瞬間まで、放送されることにびっくりしました。
自分で、薬剤入りの点滴のスイッチ?を入れて、何分か後には亡くなります。
これって、自殺とどう違うの?
自殺の瞬間を見ているのとは違うの?というのが、その時の感想でした。
安楽死って、医者などの手によって、安楽死を願う患者を死に至らしめる行為じゃないの?
母は、胃ろうの手術の時、すごくきれいな藤色のカーディガンを着ていました。父が選んだのかな?これから入院するのにまるで、おしゃれしてどこかにお出掛けするみたいでした。
まさか、これで、二度と自宅には帰れないなんて思ってもいなかったと思います。
でも、私と弟は、胃ろうにしたら、管の清掃?管理、など、父がやるのは無理だから、この入院のあと、たぶん、自宅には帰れないだろうと薄々感じてました。
父はそこまでかんがえてなかったようで、入院後の医者の話で「元気になって退院できることはないです」と言われて、何回もその時のことを、なにそれって、憤慨してましたが。
もう、家には帰れない。そこまでは母には説明していない。騙してつれてきたようで、心が、痛かったです。
家族を、元気になって退院できることのない入院をさせるときの気持ちわかりますか?
日に日に、いつか来るであろうお別れの日に近づいて行く毎日で、そんな、母の見舞いに行くときの気持ち。いけないと思ってもどうしても、気持ちが落ち込みました。
「ずっと入院してるとお金もかかるし、迷惑かけるから家に帰りたい」と母がこぼしたとき、
「大丈夫だよ❗今まで育ててもらったんだから、お金なんて足りなければみんなで出しあえば
いいんだから。そんな心配なんてしないで❗みんな、ママのこと、大事に思ってるんだから」と言うと、母は泣いていました。
快方に向かわない入院生活、1日ベッドの上で、自分では何も自分のことが出来ない、楽しみもない、動けない、そのうち話すこともできなくなってきたら、生きてる意味がないと思ってしまうのも、わかります。
安楽死の番組の主人公は、難病の51歳の方でしたが、見ていてレビー小体型の母のことを思いました。
日本で、安楽死が、認められたら、寝たきりになっているお年寄りたちは、意思を聞くことが出来たならなんて答えるんだろう?
母が亡くなったとき、大腿部からの点滴になると7~8ヶ月でなくなるというようなことをどこかでちらっとみたので、1月から2月が、危ないかなとおもっていたけど、そろそろ危ないですとも言われなかったので(9月頃に一度言われみんな、入れ替わり立ち替わり見舞いに行ったときは持ち直した)
もしかしたら、母のいた療養病棟では、死ぬ順番が決まっているんじゃないか?なんて思ったり。
1年3ヶ月の入院中、何度も病室を代わっていて、父に言わせると、ナースステーションのない階にいたら大丈夫だけど、徐々にナースステーションの近くの部屋になったらもうあかんみたいだなと言ってました。(父は毎日見舞いに行ってました最後の部屋は患者の出入りが激しかったと父はいってた。)
まあ、亡くなるまでの日を過ごすような病棟であり、その存在に、家族はすごく助けられるわけだけど。
あの、死を感じさせられる場所にいたら、安楽死という言葉も身近なんじゃないかと思います。
今夜、興味のある方は是非ご覧くださいね。
考えさせられます
ではまたね😃