昨日6月2日は

私の誕生日でした。



大好きなボウイから

Moonage Daydream






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これからとても長い話をします。

忘れないよう書き留めるため

とても長くなります。

ディープな内容が含まれます。

そして書いていることは

あくまで私の考えです。

ご了承ください。

お時間許される方のみ

どうぞおつきあいください。




★   ★   ★



6月2日はローズの日

と知ったのは

2019年

今から5年前の誕生日の日。


その日夫とスーパーに行き

そこにある花屋さんの

ばらのコーナーに

書いてあったのを見て知った。


私はばらが好きで

誕生日がローズの日と知り

とても嬉しかった。

心の中でひとり喜んだ。


そしてそれを夫には

言わなかった。

言えなかった。


何故なら

夫は当時

違う人になっていたから。


夫は病気で休職中の身であり

更に夫はその病特有の

症状の自覚がなく

日々興奮状態で

手がつけられない状態だった。


夫は自分は

落ち着いていると思い込んでいた。

いや思い込みたかった。


私はずっと悲しかった。

夫が日々別人になっていくのを

目の当たりにし

絶望と隣り合わせの日々を

送るしかなかった。


毎日胸が痛かった。

痛くて仕方なかった。


私は毎朝目が覚めると

起き上がる前に

布団の中から天井を見ては


また一日が始まる

別人になってしまった夫と

どうしていけばよいか


考えるより先に

絶望で胸が痛み

息ができない状態になっていた。


隣には娘も一緒に寝ていた。

娘も目を覚ましていて

ぽつりと言うのだ。

パパはこの家族から抜けたんだね。

と。


そうだね。

と私は答える。

パパは抜けたんだね。



。。。



夫はその頃ひとりで

夫婦の寝室だった部屋に寝ていた。


寝ていた

そう言えるのだろうか

夫は夜中

ごそごそと何かをしていた

毎晩毎晩

それが何か

私にはわからなかった

ただとても怖かった。


優しかった夫。

優しかったが

とても弱かった夫。


夫は自らの弱さを

受け入れられなかった。

そのことが

弱い者へ刃を向けることと

なってしまった。


それが夫の病だった。


その頃の夫の主治医も

カウンセラーも

職場の上司も同僚も

そのことを理解する者は

誰もいなかった。


信じられるだろうか。

夫は当時休職する前

転職をしていて

その職は福祉職だった。


その職場の人々

福祉の職に就いている人々の中で

夫は病気になっていった。


今考えれば

とても異常な職場だった

その職場が

特別に異常だったわけではなく

あくまで私の考えだが

その地域の福祉の現場が

とても異常だったと私は思っている。

勿論日本中の福祉の現場が

異常だとは考えていない。

私の私たち家族の関わった

福祉の現場が異常だったと

私は思っている。

それには理由がある。


夫は

1年と3ヶ月で働けなくなった。

そしてそれから約8ヶ月間休職。

家族が止めるなか

主治医は本人の意思を尊重などと

無責任なことを言い

リハビリ通勤を始めてしまい

状態は悪化する一途を辿り

休職してから

1年後に退職となった。


夫の興奮状態は

退職後も収まらなかった。


その頃2019年の

6月2日の私の誕生日は

リハビリ通勤をしていた時期だった。


私と娘は

藁をもすがる思いで

主治医に懇願した。

リハビリ通勤はとてもまだ

できる状態ではないので

止めさせてくださいと。

とても仕事ができる状態ではないと。

家での夫は

私に対して暴言そして

時に暴力が酷くなっていた。


それを伝えるも

その主治医は

本人の意思を尊重すると。

愕然とした。


私と娘は

職場の上司にも訴えた。

カウンセラーにも。


私は市の福祉課にも

助けてください!

と訴えた。


それでも

誰も助けてはくれなかった。


専門家と呼ばれる人々

その地域の福祉の人々。

私と娘の話を

親身に聴く人は誰もいなかった。


四面楚歌状態だった。


何故そんなことにと

思われるだろうか。


夫は福祉職であり

とてもいい人をやっていた。

○○さんが

そんなことするはずがない。

と周りに思われていた。


夫の家での横暴な振る舞い

暴言暴力をいくら訴えても

誰も耳を貸す人はいなかった。

私の私たちの訴えを

信じてもらうことができなかった。


それどころか

そんな福祉の人たちの対応が

夫の状態に拍車をかけていった


おれは落ち着いてる!

主治医もそう言ってる!

カウンセラーもそう言ってる!

上司も同僚も!


誰も真実をみようとはしなかった


遊んでるのか

ふざけてるのか

この人たちは

そう思った


毎日が絶望の中の

誕生日だった。


私はその頃その地域の

福祉の裏側を直視できずにいた。

誰かが話を真面目に聴き

適切な対処をし

助けてもらえると

本気で思っていた。


あんなにも偏見があると

思っていなかった。


主治医、カウンセラー、

職場の上司、同僚

そして福祉課。


今でもそのことを思うと

やりきれない。

あの時福祉側の誰かが

適切に対応してくれれば

あんなにも夫は酷い状態に

ならなかった。

そう思う。


夫に病の自覚を持たせること。

家族にはどうしても困難だった。

何故主治医は

何故カウンセラーは

何故上司は同僚は

やらなかったのか。


今ならわかる。


彼らはよい人をやっていたから。

正しくは

彼らがよいだろうと

思っている人を

やっていたから。


彼らは

その殻を破るのが

怖かったのだ。


彼らの思う

地位、名声、立場

彼らの思う

関わり。


それらを壊されると

思っていたからだろう。


散々助けを求めたが

私たちはその地域の

福祉の職の

誰にも助けてもらえず

私は東京の専門家を探した。


夫の病の専門家を見つけ

連絡を取り

状況を伝えた。


そのドクターからの問い

第一声は

彼には自覚があるのか?

という問いだった。


それを聞き私は安堵した。

そのドクターにかかるためと

仕事を探すため

私たちは東京に引っ越すこととなる。


そのドクターにかかるにも

診察迄長い期間があったので

その間も夫の興奮状態は

落ち着かずどんどん悪化していった。


暴言暴力が止められなくなる程の

酷い状態になり

私と娘は

私の実家に避難することになる。


私の実家ここでも

私たちは大変な目に合うのだが。。。



離婚する寸前

もう少しで離婚となる所だった。


これが今から5年前。

あれから5年。


夫は新しい専門のドクターにかかり

己の弱さを知ることとなる。

いや夫は知っていたのだが

認めることが

どうしてもできなかった。

自らを壊してでも

認めたくなかったのだ。

家族を壊してでも。


それほどの恐怖。

夫の病。

その恐怖と向き合わなければ

いつまでもそれは

追ってくるのだ。

容赦無しに。


新しい専門のドクターにかかり

夫は変化していった

とてもゆっくりだけれど確実に


しかし夫の変化は一瞬とも言える

自覚を一瞬にして持ったのを

私は見た

それは弱かった私が

弱さを受け入れ

強くなったからなのか

毅然と対峙した

これで駄目なら

離婚だと

自分に誓った


ゆっくりなのは

受け入れる過程

まだ拒否している

抵抗している

以前と違うのは

それを夫自身自覚している所だ。





私の誕生日。

私を産んだ母もきっと

恐怖を持っているに違いない。


そして私も持っている。

向き合うのが恐ろしい

恐怖を。

それでも私は向き合ってきた。

長い時間をかけて。

そう思い込んでいた。

でもまだまだ足りなかった。

いや違う。

やり方が間違いだった。

向き合い方が。


あの地で四面楚歌にあい

人間の愚かさを見

人間の弱さを見た。


思うたび

腸が煮えくり返るが

それでは

私はどうなんだろう

愚かで弱い

そのものではないのか


そんなのは御免だ


愚かさは

学び直し。

弱さは

弱いことを知る強さに

変えていかなくては。


娘にすれば

何今頃言ってる!

ということ。


やっていく。

それしかない。


私がほしいもの。

幼い頃からの

私がほっしていたもの。


わたしのかぞく。


生まれ育った家族から抜けて

わたしのかぞくが

ずっとずっと

ほしかった。


ずっと孤独

ひとりだった。

幼い頃の経験。

とても怖かった。

ひとり耐えていた。

誰にも言うことができなかった。

誰かに言うなど

考えもしないほど

何もなかったんだと

それくらい

怖かったのだ



母は

そんな私に

気づくことはなかった。

何かからずっと逃げていた母。

笑うことがなかった母。

母の目に私が映ることは

決してなかった。


お母さん

何故私を産んだのですか?





私の誕生日。

私が生まれた意味なぞ

そんなものは

わからないが


わたしのかぞくは

夫と娘と

今はわんこのおちび君。

そして空にいる先住の

わんこ君、うさ君、ハム君。



母を理解しがたくとも

母親と向き合い

母親を理解していく。

母と話せなくとも。

母が変わらなくとも

いや母は絶対に変わらないが。

そんな母を私が理解しなければ

私を取り巻く状態は変わらない。


全て母から始まる。

その母もその母から。


私は娘の母。

私も大失敗をしてしまった。

母を理解していなかったから。


私は私になるために。


生まれ育った家族とは

もう誰とも交流がない。

母。義理の父(母の再婚相手)。

妹。弟。

実の父は亡くなった。


この人たちも

とても悲しい人びと。

恐怖と向き合えず

いい人をやっている人びと。


理解。

批判でなはなく

理解して

離れていよう。


ここまできた

わたし。



とても長くなりました。

ここまで読んでいただき

ありがとうございます。


おつきあいいただき

本当にありがとう。



何故離婚しなかったのか。

それは愛というのも

違う。

わたしのかぞく

だからだと思っている。

それが愛かは知らないが

家族のことは

死ぬまで見捨てない。

そう思っている。

寸前まで行き

自分に問うた。

駄目なら別れるまで。





誕生日

わたしのかぞくが

そばにいる。

わらってる。

とても嬉しい日です。




そんなローズの日に。





ありがとう。