かつて我が家には

先住の犬がいた


それはかれこれ五年ほど前


お寿司屋さんで生まれた

兄弟の内の一匹

中型の雑種犬


娘が産まれて間もなく

我が家にやってきて

十六年の歳月を

家族と共に過ごした


犬という生き物が

我が家に居るのが

当たり前だった五年前まで


それからのこの五年間は

家族が一人足りない

何か足りない家族

そんな感覚を

みんなもっていた


先住の犬を想う気持ちが

其々にあり

みなあまり口に出さずに

五年という歳月が過ぎていった


最期は段々

脚が立たなくなって

それでも家の中で

頑張って歩こうとしていた


私は彼の手を取り朝に晩に

ゆっくりと部屋を一緒に歩いた


夜は一緒に眠り

朝は一緒に目覚めた


彼が我が家に来てからというもの

彼の世話は

殆ど夫がしてくれていた

私はずっと病で伏せがちだった


娘のことも

彼女が小さな頃から

独りぼっちにさせてしまった

私はずっと身体が動かなくて

ずっと伏せがちだった


だから今この私が

働いていること

夫と一緒に働けていること

それがなんとも言いがたい

気持ちになるのだ


娘にも本当に寂しく

辛い想いをさせてしまった

ずっとずっと


私の家族がばらばらに

なってしまった時期があった

それは物理的にも

精神的にも


もう駄目なんだと

これでこの家族は終わりなんだと

何度そう思ったことか


それは先住の犬が

この世から

居なくなってしまった時

と同じ時期


我が家の最後を看とるように

彼は旅立ってしまった


嵐の様な日々だった


取り残された

私たち家族


家族がばらばらになっていく

それを目の当たりにした毎日


朝起きて

また一日が始まる

信頼できない人と

同じ屋根に共に暮らすことが

こんなに辛いことだなんて

知らなかった


そもそも信頼していると

意識したことなどなかった

当たり前のことだった

信頼しあうということが


先住の犬は

私たちが崩壊していく様を

ずっと見ていた

黙って見ていたんだ


彼は刻々と変わっていく夫の手を

いつかに噛んだ

夫が違う人になっていく

それは駄目だ

そんなんじゃ駄目だと

言いたかったのか


私たちは其々に孤独と闘い

夫がそれに負けたんだな

我を失い狂っていった


外の人はまるで

気づかなかった

そればかりかいい人だと

思われていた


内と外の狭間で

夫は叫んでいたはずだ

その叫びは誰にも聞こえなかった

何故なら夫は自ら

叫んでいることを否定し続け

その口を自らの手で

塞いでしまっていたから


夫の叫びは深い深い

谷底へ追いやられてしまっていた


それはずっと後からわかったこと

本当に?

いや私にはわかっていた

しかし恐くて目を背けていた

背けながら我を失わない様

日々を過ごすことに

段々とこころが疲弊する


私は何をそんなに

恐がっていたのだろう

私自らが崩壊してしまうことか

また家族が崩壊してしまうことか


娘はそんな夫婦の様を

間近に見ていた

いや見させられた


私は

私たちは

そんなことを

してしまっていたのだ


先住の犬は

黙って逝ってしまった


その後の五年間は

私たちが

私たち大人が

黙る番になった