決定。。。 | 星名(せいな)の徒然草

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本当に「徒然なるまま。。。」なブログです(^^)。
不登校から別室登校、そして通信制高校に進学する息子のことをメインに書いております。

投稿を久しくせず、ご無沙汰してしまいましたあせる

今までの流れを説明しながら、少し長い投稿になります。

 

現在、中3の息子は、中1の2学期から不登校になり、スクールカウンセラーの面談日以外は

全く学校に足が向きませんでした。学校以外の外出もほとんど出来なくなり、「ひきこもりスト」

と呼べる状態でした。

それでも今年の年明けころから

「家での時間が暇すぎてつまらなくなってきた」

と言い出しました。もちろん、本当に暇だというワケでもなく、

毎日、You TubeとPlay Stationと濃密な時間を過ごしている中での発言でした。

これが、不登校ブログでお見かけする”充電期間の終わり”を意味するかと思い、私はトンネルの出口の

光を一瞬見たような気がしていました。

 

中3になった今年4月、

初日と2日目までは、驚いたことに、教室への登校をしました。

しかし、クラスメートの中での生活は気持ちの負担が大きかったらしく、3日目からは別室登校となりました。

それでも、今まで学校に足が向かなったのに、別室であれ、ほぼ毎日登校することは、息子にとっては大きな1歩でした。

このまま少しずつ、ゆっくりと学校に復帰出来れば理想的でしたが、現実には大きな壁がありました。

息子は、私立の中高一貫校に在籍していて、高校への進学には一定の条件がありました。

いくつかある条件の中で、不登校児の高い壁は、やはり「欠席日数」でした。

ただ、日数の規定はあるものの、最終決定は学校長判断ということでした。

 

 

 

1学期の最後の日。

それは決定されました。

息子の付属高校への進学は不許可でした。

 

うすうす私はわかっていました。

多分ダメなんだろうなと思っていました。

校則も厳しいし、勉強1日○時間やれ!など締め付けも厳しい学校だったので、

他でもいいかな~、なんて考えたりもしていました。

息子も7月初めあたりから、「どうせ別室だったからダメなんでしょ」と言っていました。

それでも、、、、、

その「言葉」を告知されたときは、息子も私も言葉が出ませんでした。

先生から、今までのことをどう思うかと聞かれたときの息子の返事、

「ここの高校に行きたかった。もっと頑張って学校に来ればよかった」

「普通の高校に行きたかった」

 

私は歯を食いしばりましたが、耐えきれず涙が出ました。

先生に気づかれないようにと我慢していましたが、鼻水が止まらず、すすり泣きをごまかしきれませんでした。

色んな感情が押し寄せていました。

息子に対しての”今更そんなこと言って”な気持ち。

今まで「このままでは付属校に上がれないよ」と何度説明したことか。。。

そして、3年前、小学校での嫌がらせを受けて、急遽、中学受験させてしまった後悔。

2年前、中1の担任から「子どもの喧嘩は時間が解決する」と突き放された時に退学しなかった後悔。

せっかく別室でも通えていたのに、進学できない学校に息子のモチベーションが下がる不安。

1学期最後の日に勇気を振り絞って教室に登校し、クラスメートと集合写真を撮れたと言うのに、

半年後に自分だけがこの学校を去らなければならない現実を、どう消化させれば良いのかの苦悩。

 

辛い時間でしたが、息子の前では平気な振りをしなければならず、

私はお風呂に入る時になってやっと思い切り泣くことが出来たのでした。

 

 

その日から約1ケ月が経ちました。

息子は、しぶしぶ通信制高校の説明会に一緒に行きました。

会場ではそれなりに過ごしていましたが、あまり乗り気ではありません。

時々、

「あーぁ、みんなは普通の高校に行けるのに、俺だけ通信制なんだ」

と呟きます。

 

夏休みの宿題には手を付けません。

2学期から学校に行くかもわかりません。

 

「どうせ高校に上がれないし・・」

この気持ちを破って壁を乗り越えないと、また先に進めなくなりそうです。