こんばんは、ゆきんこです。
鍼灸院探し、なかなか難しいなぁ、、、と思いつつ、ここはしつこく、『リウマチ、鍼灸、鍼』でGoogleマップを検索。
色々と調べていくうちに、1軒、変わった鍼灸治療をしている所を都内に発見。
『◯◯◯鍼灸院』といたって普通な名前でしたが、HPを見たら、なかなか奥深いマニアックな内容。
そこは、高麗鍼、という手法で、身体ではなく、手や指に鍼をおいて、治療する模様。
HPには今までに治療してきたリウマチ患者さんの血液検査や経緯を細かく書いてあったり、他には癒着で具合を悪くした人のことや、パーキンソン病の治療経緯、高麗鍼について長々と説明をされていました。
理論もしっかりしていて、治療データを見せてくれていて、先生の生真面目な人柄が垣間見れました。
意を決して、電話をかけましたが、最初は先生が体調が悪くてしばらく休む、と言われて断念。
数ヶ月後に再度電話をしたら、okをもらい、通い始めました。
都下の住宅街にある一軒家。
伺うと先生お一人。可愛らしい、いい意味で普通のおじいちゃん。亡くなった穏やかで優しかった私の父をなんとなく連想させる容姿でした。
まずは軽くお話して、問診。不思議な診察?がスタート。
手のひらにも身体と同様、いろんな内臓とつながりのあるつぼがあり、手のひら、指などにたくさん鍼を置いていきます。そして鍼にコードをつけて、微弱な電気で刺激を与える、という治療。
↑両手それぞれのツボ1箇所につき数本さすので、両手がハリネズミみたいになってました💦
痛みもありましたが、私は身体に鍼をさすのよりは我慢できました。
先生は経絡に流れている気の流れを読み取り、イメージとしては血管とかリンパ液が体内をすごいスピードで流れている中で、大事な気?みたいな物がピンポイントでやってきた瞬間をとらえることができる、とのこと。
気に関しては、長いこと研究されていて、腕のいい治療師さんはすごい気の力がある、と若い頃気づいて研究を重ねたそう。
なかなか勉強熱心な先生で、何かの治療の機械は独自に作り出したので特許を取ったとか。
いつも治療に入る前に、内臓の状態をOリングテストで調べたり、リウマチにより効果があるツボを、行くたびに先生は調べてより効果を高める工夫をしてくれていました。
その甲斐あってか週1で行き始めてから1ヶ月半、身体の動きが何となく軽くなり、気持ちが楽になり、痛みとかも気にならなくなり、元気が復活してきました。
それまでは週2で公文式の採点バイトに行っていましたが、単発で他にもバイトを2日ほど増やしても体力的にも気力的にもへこたれなくなり、回復の道をたどっている手ごたえを感じはじめていました。
しかし、その当時、あの流行り病の時期。
💉がようやく基礎疾患のある高齢者から受けられる案内が来始めた頃。
先生も基礎疾患持ちで、医療に関しては否定派ではなく、💉も接種すると言っていました。
施術に行ったあの日、『今日の午後、◯×会場で接種の予約してるんです』って言ってて。
『私も来月基礎疾患枠で予約が取れたから続いて受けますよー』なんておしゃべりして。
その日、先生はだいぶ体調が改善してきた私に、音の周波数を使ったリウマチの人向けの音楽があって効果高まるかもしれないから、後でメールで送るね、と約束してくれていました。
あと、腸の健康状態が大事という話になり、私が次回までに状況をメールでお知らせすることになっていました。
その日から数日後、先生にメールを送っても音沙汰がなく、見てないのかな?💉でちょっと体調崩してるのかな?と思っていた所に、先生の番号で📱がかかってきました。
何だろう?メールの返事かしら?と思いながら電話に出ると、聞き慣れない男性の声。
結婚してなくて独り身だった先生のサポートをしていた甥っ子さんでした。(よく甥っ子さんの話をしていました。)
それはあまりにもあっけない、悲しいお知らせでした。
『おじ(先生)が💉の翌日、倒れて亡くなっていたのを見つけました。予約が入っていたのが私だけだったので、連絡しました。』
先生は独り身だったので毎日ご飯を届けてもらうサービスを受けていました。
朝、届けにきた業者さんが、呼んでも出てこない、と緊急連絡先の甥っ子さんに連絡して倒れている所を発見したそう。
振り返れば、先生、💉の日の施術中、ちょっと様子がいつもと違って、上の空だったり、途中トイレに行ってなかなか帰ってこなかったりしてた。もしかしたら、若干調子が良くなかったのかも。
数週間前は、何かにあたったのか、胃腸をやられて嘔吐したって言ってたし。
私以外でもう1人、別の疾患の方が来ていたのですが、相手の方が急に怒り始めて来なくなった、と言っていたことも、思い出しました。
なんとなく物忘れ的な様子の時がたまにあったので、それが原因かな?と思ってました。
基礎疾患もあったから、もしかしたら…💉は…
とか色々頭の中によぎるものはあったけど。
甥っ子さんとしては、まあ、寿命だったのだという意見でした。(まだ72〜3歳くらいだったけど)
一応、亡くなる直前にいたのは私だったので、先生の様子を色々話して、お世話になったことをお伝えし、電話を切りました。(鍼灸院を継ぐスタッフやお身内の方はいませんでした)
残念ながら音の治療には進めず。
私にあっていた高麗手指鍼の治療もストップせざるを得なくなり。
またふりだしに。
何より、こんな身近な人を亡くすなんて、、、あの時期だったので、特に衝撃でした。