戦後70周年ということで、京都の空襲について。 | 子育てというボランティア

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先日伯母の家に行き、祖父母の仏壇にお土産を持って行って線香をあげてきた。
私が学生時代から、一時居候させてもらったりしていたこともあり
母が亡くなってからは、あまり顔を出してはいなかったのですが
昨年、娘が京都に進学することになり、挨拶に行って以来
京都に来たら一度は顔を出すようにしている。

それで、ちょうど終戦記念日だったので、自然と戦争の話が出て、
私が、母から聞いた話で、祖父が、京都には絶対に爆弾は落ちない
だから、ここからは出て行かない方がいいって言って、
疎開しなかったんだって?・・・と聞くと
伯母が、いや、何言ってるの?あんたのお母さんはまだ3歳やったから知らんのやわ。

あと二日したら、綾部に疎開する予定やったんやで。
うちは小学校1年生やったから、路地の屋根の上をB29がすごい音で
飛んでったのを見てるし、このお家の半分は、床下に防空壕が掘ってあって、
その上に掘りごたつみたいに板と畳が置いてあって、空襲警報がなったら
兄弟姉妹7人とお父ちゃんとお母ちゃんとじっと入ってたんやで。

智恵光院の方と伏見の方に爆弾が落ちたとか聞いたし
あと二日したら、綾部に疎開しようって準備してたら
戦争が終わったんやで。
・・・そんなふうに話してくれた。

東京生まれで、東京大空襲を経験した父からは、よく戦争の話を聞いたけども、
京都生まれの母からは、戦争の話はほとんど聞いたことが無く。
聞くと母は、お父ちゃんは京都は神さんがいるから、絶対爆弾は落ちへん。
せやから、他の土地に逃げたらあかんって言うてたし、
路地の家から、結局戦争終わるまで逃げへんかったんやで・・・
としか聞いていなかったので。
今回、伯母からそんな戦争体験を聞いて、びっくりした。

母の実家には、小学生の夏休みはほとんど泊まりに来ていたので、
よく床下をのぞきこんで、ラムネの瓶が落ちてへんかな?とか、
伯母さん家で飼っていた三毛猫を探していたけど、
そんな大きな穴は無かったから知らなかった。
そういえば、釜で火を燃やしていた風呂場に青大将がいたこともあったな。

長い夏休みは、いとこと近所の子とみんなで路地で下駄隠しをしたり、
かくれんぼをしたり、屋根越しにBB弾で打ち合いしたり、
駄菓子屋にお菓子やアイスを買いにいって、
日陰で、怖い話をしたりしながら食べたり、
けむりおばけやシャボン玉、
夜には、路地でねずみ花火や蛇玉花火、線香花火をして遊んだ。

母の実家は、戦後、防空壕に土入れて、コンクリで固めて改装したんだと聞いた。
・・・そんな話も、聞かなければ、知らずに母の様に高齢の伯父や伯母は
他界してしまった事だろう。
さすがに母の様に3歳では、何も覚えていないだろうけど。
伯母の貴重な戦争体験を聞けて良かったと思った終戦記念日でした。