薄情な子ども達。 | 子育てというボランティア

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薄情・・・と書くと、なんだかすごくひどいイメージですが。
意味は、みてそのもので、情が薄い・・・そう言う意味です。
辞書で引くと、人を思いやる心が少ないこと。愛情の少ないこと。
・・・と書かれています。
 
私の娘達は、どちらかというと、いじめられっこが多いのですが
数々のいじめの中で、本人達が、学んできたこと、私が感じなさいと言い続けたことが
一つだけある。
 
人に助けてもらったら、必ず自分もその子を助けなさいということ。
人に優しさをもらったら、それ以上の優しさを与えなさいということ。
・・・そう言う口調では言ってないですけどね。
ただでさえ、病気や容姿でからかわれたり、異質なものとして差別されたり、
ただただ、可哀想な人と同情されるだけだったりするわけですが。
 
そういう時に、本当に心から、助け船を出してくれた友達には、
その子が困った時には、自分が損をするリスクよりも
その子の辛い思いをわかるなら、寄り添ってあげなさいと言っている。
 
私が子供の頃も、いじめや仲間はずれがあったけれど
私自身も、その子供達の残酷さに怒りや悔しさを感じたこともあった。
ただ、私は小学校時代にひどいいじめに遭い
自分自身ではそれを克服したという想いもあり、
その中で、一人でも大丈夫な自分と楽しさを友達と分かち合う心と
それを回りに広げるという気持ちを持てたと思う。
 
そこまで至るには、かなりの苦労もあったし、今思うとなんで小学生で、
クラス中に無視されたり、男子に石をぶつけられて怪我をしたり
先生に人前で見せしめの様に怒られたり、盗みの疑いをかけられたりしたのか。
それは、私がわがままな性格もあったけど、わがままということだけで
そこまでいじめを受けてもいいのか?・・・そう今は思う。
それは、一つの町にある一つの小学校でのことだったけれども、
中学校に上がる時は、3つくらいの小学校があわさって一つの中学校になっていたので、
その小学校から上がる子は、3分の一くらいの人数だったので、
中学校の半分以上は知らない子という環境になって
初めて、自分を解放できた感じがした。
 
その学校は、市内で一番荒れていた中学校だったんですけどね。
私は人生の中でその中学での自分が一番楽しかったと思えているので、
それがいじめを克服できたと思える所以なのですけど。
今までいた小学校の子達は、私の事をいじめられていたみんなの嫌われ者だと
そう思っていただろうし、自分たちがいじめていたのだから、
本当に弱いものだと思っていたに違いない。
小学校時代は、よほどのことが無ければ、切れて反論することも無かったし、
家の中ではおしゃべりだったけど、学校では一言もしゃべらない事もあった。
 
ブログを見ている人の中でも、リア友の人でさえ、ほとんど、変身した後の私しか知らない。
そういう人からの私の印象は、明るくて、元気で、パワフルで、ユーモアがある
まさにポジティブ人間で、だから、私の小学生時代は知らない人が多い。
そして、今のひきこもり状態の私を見てOちゃんどうしたんだろう?うつかな?
とか、頭おかしくなったんだろうかとさえ思う事だろうけど。
私の事は都会の中の思った以上のアウェイな状態に苦しんでいると思ってもらえばいいと思う。
まあ、私は大人だからそれでもいいのだけれど・・・。
 
大人の私でさえそうなのだから、子ども達は、もっとそれ以上の環境に苦しんでいるのかもしれない。
都会の大人には人情がない。転勤族も多いこの町では、
どうせ数年後には転勤するのだから、密な付き合いはやめよう。
自分の教育方針と違う子は、我が子にかかわらない様に
要注意人物だから近寄らない方がいいよと親が言っている。
その理由は、家庭が複雑だからとかあそこは片親だからとか、あそこは貧乏だからとか。
 
そんなだから、子ども達は、わけがわからないまま、
完璧な中流家庭と思い込んでる子ども達と親から
はじかれて、不登校になっている。
私達の時代でも、そういう差別をする子のグループはあったけどね。
でも、そういう孤立した友達を助ける子もいたよ。
今は、引きづられたくない。私まで嫌われる。悪い子と思われたくない。
私は何とも思ってないけど、グループの人が嫌だと思うかも。とか
いろんな理由はあるだろうけど、手を伸ばさない薄情な子が多い。
 
先生に言われたから、班には入れてあげたけど、
あんたは仲間じゃないからとあからさまに話しかけない子とか。
仲良しで固めたけど、後は人数合わせにあの子なら文句言わないからいれとけばいいか
とか、教師も、人によっては、そういう好き勝手に子供達が出したグループを
自分が決めたんじゃなくて、子どもたち自身が能動的に決めたんですと
子どもの自主性を盾に自分のパワー不足の隠れ蓑に使う人もいる。
 
ちょっとぐらい仲間に入れてやらないか?
入れるとあなたの友達を取られるのか?
テンションが違うと自分たちが盛り上がれない?
自分だけが楽しければいいのか?
横で寂しそうにしている人をスルーして、自分達だけ楽しければいいのか?
震災で苦しむ福島の人達をよそにお金儲けにまい進してる霞が関のみなさんの縮図を
子ども達の中に見ているようです。
 
今の子ども達には、真のリーダーがいないなと本当に思う。
アニメで、スケットダンスというのがあるのだけど
娘達が好きで見ていたので、ある日私も家事をしながら見ていて、
なんか感動したんだよな。
 
主人公たちはふざけてるような3人だけど心が本当に熱いんですよね。
主人公たちの名言の動画を見つけたので張り付けてみたいと思います。
 
 
これって、関西人と関東人の違いだけなんだろうか。
 
困ってる人をスルーしない。
一緒に楽しいことをやろう。
誰かの為に小さな犠牲を払っても、それがみんなの喜びになるなら
一肌脱ごうじゃないのっていう、中学生、今、いませんね。
 
都会にそういう大人がいないのと同じように
そういう人間じゃない大人から生まれた子は、
そういう人情って学ばないんだなと思います。
 
 
ちなみに、私は今充電中。パワー不足で、まずは自分を引き上げないと
人は救えないって状態なんですけど。
もうちょっとパワー充電したら、我が子だけでなく、
誰かを助けることをしたいなと思います。