人と出逢うこと・・・。 | 子育てというボランティア

子育てというボランティア

すべての出逢いに感謝とそしてハピネスを!!

最近というか、ここ4~5年は、本当に、人と触れ合うことを怖がっていたなと
自分で思う。
商売をやっていたときや、それ以前、結婚する前は、
自分自身こんなに内向的な人間じゃなかったと思う。
 
きっと学生時代の友人は、
昨年までの私を見て、あれ、どうしちゃったんだろうと
思っていたんじゃないかな~?
ディズニーに行っても、家族とだけだったし
引越しはしたけれど自分自身、人とかかわるのが本当にしんどくて
それは三重で暮らしたはじめの一年で誰とも話すこともなく
15キロ以上ストレスで太ってしまったトラウマのせい。
自分のスタイルにも、生き方にも、何もかも自信を失って
ただ子供の為だけにと思って、選んだ田舎暮らしだったけどね。
 
その中でも、なんとか自分らしさを見つけようと
子供自身も馴染めなくて苦労していたから
幼稚園のフリー参観で紙芝居や寸劇やお遊戯や昔遊びを
していたら、いつの間にか子供たちも輪に入れていてた。
でも、小学校の地区の中には結局、入れなかったな~
変な話、お年寄りにはすごく好かれたのだけれど
同年代のママたちからは、目の上のたんこぶみたいな扱いだったきがする。
 
それは、自分の意見を単刀直入にいってしまうからだろうけど。
田舎では、全国的に一般的な考えが、否定されることもしばしばあるし
できないといえば、みんなも嫌だけどやっているんだからという。
みんなが嫌なら改善すればいいと思うのだが、
そういう改革的な意見は6年間役員を勤め上げてから言えとも言わんばかりだったから
地区とかすっとばして、校長や教育委員会や子ども家庭課?に意見したりもした。
でも、そのせいか、地区には私が引越しした後、学童保育が出来たり、
地区の人も世代交代して、仲良かった幼稚園ママが
わりとのびのび活動できる環境になったらしい。
 
でもいつもそう。出る杭は打たれる。出過ぎた杭は打たれないけど孤立する。
でもその場を去ったときに、後からまわりは気がつくんだよね。
自分の利益とか、そういうことで言ってるんじゃないってことに。
そう、正義感とか、人の道とかそういうのばっかりけっこう、強い自分の性格
嫌になっちゃうけどね。
たまにはは目を外したいって、思うと放浪ぐせの出る私だから、
でも、親でいる以上はそういうわけにも行かない。
 
最近交友関係はほとんど広げてはいなかったし。
どこか違う世界を見せてくれる人もいない。
もっともっと、リアルな人の輪を広げなきゃと思うこの頃。
でも、娘の話でさえ宇宙語か?と思うくらい頭は固くなっているから。
 
この年齢、周りは理性的すぎて時々窮屈な気持ちになる。
別に人の道を外れたことをしたいというわけじゃない。
だけど男女問わず、人生について、いろんなことを教えてくれる人ともっと出逢いたい。
家庭に収まっていると、本当に学校のママ友とか
限られた人としか出逢えない。その中では、わが子自慢か
過保護な子供の心配とか、そんな話ばかりでうんざりすることもある。
 
なんだかもっと面白い話はないんだろか?
そんなことを日がな一日話していて面白いか?
そんなこと喋りながらランチしていて面白いのか?
とか思う。
 
もっと先みようよ。とか思う。
結局みんな誰だれちゃんのママでしかないんだろう。
私という人間をもっと成長させてくれる誰かに逢いたい。
学校の役もノルマはこなしてきたけれど
そろそろ自分の人生とかも考えないとね。
 
子供が四人いて、それぞれの子供を進学や進路を見つめているだけでは、
人間としてそれでいいのか?と思う。
親であることと、私という人間の自己実現は、
別の次元なことなのかもしれないけど。
 
自分の足で立っていないことや、自分ひとりでは生きていけないことをよくわかっているのに、
時々、現実から逃避したくなる。自分ひとりでどこかに行ってしまいたくなる。
だからって、家庭が不幸とかじゃないんだけど幸せだよ。
何も不自由しているわけではないのだけれど。
・・・・これって、鬱かな~???なんなんだろうな。