私は、小学校の頃、ひどいいじめにあいました。私の性格も、確かにわがままで、駄々っ子だったのは認めますが、その時の、一番の理由は、クラスで一番人気のある女の子と些細な事でケンカをしてしまったからでした。登校班の集合時間が遅いとか、早すぎるとか、班長と、副班長をどうするかとか、そんな事が、原因で無視されたり、クラスで、班活動や、好きな子と組んでなにかの活動をするのに、仲間はずれにされたり。
しまいには、いじめがエスカレートして、たまたま兄弟でアイスをスーパーに買いに行ったとき、車上狙いが起こって、その犯人に、疑いをかけられたこともあり、学校の先生から、正直に言えって、怒鳴られたりして、絶対、やってないことは謝らないって、いいましたが・・・。結局後で、犯人(大人)が見つかって、私の親は、私達兄弟を犯人扱いした、隣のクラスの、理科の生徒指導の先生に、家まで謝りに来させて、土下座させましたが。
しばらくは、友達も、先生も、誰も信じられなかったです。ただ、親だけは、どんなことがあっても、味方だからって、言ってくれたのが、心強かったです。
いじめって、いじめる側も、いじめられる側も、本質は、そんなに悪い人間ではないのかなとも思う。子どものうちは、自分と違うものに対して、知らずに残酷な言葉を投げてしまう事もある。
ただそこに、教師や、親が、きちんと、正しく関わって、解決しているかどうかによって、その後、エスカレートするのか、反省していじめが納まるのかが、分かれていると思う。
うちの子がいじめにあったとき、まわりの子がどうするのか、観察してみたいと、のたまった、教師もいました。子どもはあなたの教材じゃないぞ!!
いじめとは、集団で起こしたときなので、ただの、悪口だという先生もいるし。事実としてあるのに、そんな事があるのですか、信じられないと言いながら、真実を追求しない教師。
親だってそうだ。いじめられた子の方に、原因があるといわんばかりに、いちいち親が出て行ったら、そのこは自分でなんにも解決できない子になるからほっておく方がいいという親や、過保護だと騒ぎ立てて、いじめられたほうの親に原因があると逆切れする親。そういうあんたの方が、十分非常識だぞ。
いっしょくたにしてはいけないけど、人の人権問題だって、そうだ。同和問題を学校の道徳で、子どもに学ばせる前に、教師や、親の道徳観が、ゆがんでいないか、そっちの方を教育すべきだ。
教師を指導する、管理職がだらしないから、学校は、荒れるのだ。親とまともに話せない教師がいるから、いじめは野放しにされるのだ。親同士のいじめがあるのに、子どものいじめだけがなくなる筈もない。結局、悪いのは、模範的な行動と、指導が出来ない大人の責任なのだと、私は思う。
子どもは、親の背を見て育つなんて、いい加減なもんだ。背を見て育った子どもが大人になって、子どもなんてほうっておいても勝手に生きるだろうって、育児放棄をしているのに。
愛情をもらえなかった子は、人を愛せない。自分が愛せないのに、人は愛せないでしょう。
いじめをなくすためには、大人がもっと子どもに関心を持って、溺愛でなく、慈愛を持って接することが大事なんじゃないかな。むずかしい表現ですいません。