斎場までのタクシーの中、運転手さんと話しをしていて、父も祖母もいなくなり、出雲の家には誰もいなくなったので、もう、帰る田舎がないのだと話をしていたら、なんだかとても寂しい気分になった。
斎場に着き祖母と対面して、祖母に祖母が生前亡くなったら着せて欲しいといった、服やら、刺繍の入った綺麗な布団のシーツをかけ、それから、祖母の好きだった、藤色の靴を棺に納めた。
葬儀が始まって、驚いたのは、父が亡くなった時にきていただいたお坊さんが偶然また祖母の弔いにお経をよみに来て下さった事だ。葬儀屋も違うのによくよく縁のある方なのかもしれません。
そして、あわせて初七日の法要を済ませ、火葬場に向かった。もちろん父と同じ火葬場で、係りの人もまた同じ人で、ちょっと山崎邦正に似ているお兄ちゃんだった。
一時間半後に祖母のお骨を拾って、骨壷に納め、そのまま祖母は、叔父が預かることになり、また49日には京都のお墓に納める事になるので、予定を話した後、出雲市駅に送ってもらいそのままとんぼ返りで、家に帰ってきた。家に着いたのは、夜の11時半過ぎだった。
この半年で、大事な父と祖母を亡くし、そして、母は余命三年で、後数年の内に私達家族は、本当に兄弟4人だけになるのだと思うと子どもを4人も産んでくれた母に感謝したい気持ちで一杯になった。
兄弟姉妹で口げんかをしても、やはり、頼れるのは、血をを分けた兄弟姉妹だなと祖母の葬儀で思った。
三月までには関東に引っ越す予定なんだけれど、弟が、住む家の保証人になってくれると言ってくれたのだ。関東に住めば、父の死後、弟夫婦と同居している母にも会えるので、とてもうれしいし、母の最後は見取ってあげられるかもしれないと思うと、本当に弟には感謝である。
帰りのやくも号や新幹線で、一生懸命、大学の講義の文やそれに対する、試験問題をパソコンで作っていた弟を見て、なんだか、本当に大きくなったなとしみじみ思った。
私は、4人兄弟の長女で下に英語教師の妹と医者の弟が二人いる。家の中では、私が一番不肖の娘だったわけだが、親がなくなって、それぞれがいろんな道を歩いて来て思うのは、いろいろあっても、兄弟愛のある兄弟に育ててくれた両親に感謝である。もちろん弟に迷惑をかけないように、私達も頑張って行かなくてはと思います。
主人の姉とは、例の事件から誤解が解けて、気軽に話せるようになって、本当に良かったし、私は長女だったので、このとしになって、相談できる姉が出来たのは嬉しい。でも、お姉さんも病気で、大変そうなので、あまり心配するようなことは相談できませんが。
兄嫁に追い出され、アパート暮らしだった、主人の父や母が住む家も去年完成したし、もう心配することもなさそうなので、安心して引越しが出来そうです。
さあ、悲しいことはもう終わり。新たなる人生の幕開けにポジティブに足を踏み出そう!!って、自分に
後ろから、叫んでやります。これからがハッピーのはじまりなんだって、信じて。